【中国の壷買取りました。4/16】
今回は春日市に骨董の出張買取に出かけました。
こちらのお宅は最近まで貿易のお仕事をされていたお宅で世界中の特産品が
満載のお家です。特にアジアの民芸品が多くベトナムやカンボジアの発掘品や古美術品などが
目を引きます。本日は台湾と中国の骨董品を仕入れに来ました。
掛軸と扁額は台湾の戦前の古美術品で壷は古い中国の骨董品です。
値段の付け方が難しく少し高かったけど何とか買取できました。ありがとうございました。
【古伊万里大皿買取りました。4/17】
先日は福岡市城南区に骨董品の出張査定に出かけました。
見せて頂いたのは大きな古伊万里の皿です。
昔から床の間に飾っておいた物で70センチほどありました。
江戸後期の物だそうです。他にも掛け軸や茶器、銅器や鉄瓶なども
譲って頂き感謝です。
【碁盤、碁石買取りました。4/18】今回のお客さまは以前にも骨董品の出張買取依頼をされた早良区の方で
前回は油絵を買取致しました。今度は古い碁盤と碁石です。
拝見させて頂くと碁盤は分厚い茅の碁盤でしたが状態が悪く
変色句がありましたので低めの査定となりましたが碁石の方は
日向の蛤で筋がはっきりと出ている上物です。
そして黒の石はもちろん那智黒。これも分厚い上質のものでしたので
高く買取させて頂きました。
【ペコちゃん買取りました。4/19】
不二家のレトロなペコちゃんは度々買取依頼胃がありますが今回も骨董の出張買取に出かけた際に
西区のお宅で譲って頂きました。
このペコちゃんのソフビはとても古い物でしたが残念ながら台座がありません。
昭和30年代のこのペコちゃんの台座はブリキです。
これが有る無しでは買取価格が倍違います。外れやすいこともありますが
保管する際はなるべく台座はくっつけて保管ください。
【2眼レフカメラ買取りました。4/20】
古い二眼レフカメラ買取りました。
先日、骨董買取に行った福岡市東区ではカメラ収集のマニアの方のお宅でした。
全く使わないカメラが20台ほどありましたので査定して買取致しました。
その中には壊れてい増したがライカもありました。
【マンドリン買取りました。4/20】
度々骨董品の出張査定で訪れる地区に福岡市東区があります。
昨日はお電話のご依頼があり古い民家へ伺いました。
外国製のマンドリンがありました。程度も良くハードケースに入っていて
中のラベルを見ると「ギブソン」でした。高く買取させて頂きました。
ありがとうございました。
【高取焼茶入れ買取りました。4/21】
上の写真は高取焼の茶入れです。このお品は福岡市中央区へ骨董買取に伺ったお宅で
譲って頂いたものです。ここはお茶の先生をされていたお宅で
茶道具の他、掛軸、茶掛け、古伊万里、備前の壷や李朝の花器など
骨董も豊富にありました。その中で小さいですが存在感のある骨董で
茶入れがありました。蓋には象牙を使用、古高取とうまくマッチングされて
上品な焼物になっております。
【グヤトーンギター買取りました。4/22】
今回、仕入れたのは古いギターです。日本のレトロなエレキギターで「グヤトーン」という
今は無きメーカーです。音はチープですがデザインはオシャレな木製ギターです。
福岡市城南区のお宅で出張買取に行った時の物です。
骨董の買取は伊万里の皿や壷、着物や古書などもあり充実した買取でした。
ありがとうございました。
【ユンハンス時計買取りました。4/】
昭和レトロ好きなお客様よりお電話があり福岡市南区へ骨董買取にお伺いました。
赤レンガの屋根で白い壁のレトロモダンな一軒家です。
壁には古い額の油絵に掛け時計がありましたので拝見して買取致しました。
この時計はドイツ製の宮時計の「ユンハンス」です。
もちろん稼働致します。倉庫には祖父の集めた骨董類、皿や壷、掛け軸、茶道具のほかに
祖母の着物もありすべて買取させて頂きました。ありがとうございました。
【銅鐸買取りました。4/23】
最近、土器や化石などの買取の依頼が多くなり勉強し始めている矢先
福岡市中央区にお邪魔したところ骨董品買取のほかに発掘品も査定の依頼を受けました。
拝見すると古い中国の青銅器で銅鐸だということです。
紀元前というほどの物ではないようですが頑張って値段付けて買取できました。
その他の骨董には李朝の花瓶や皿、高麗茶碗や古い花器などがあり状態を確かめて
査定して買取致しました。朝鮮の民族衣装や南米の骨董品も多数譲って頂きました。
ありがとうございました。
【鍋島焼買取りました。4/24】
上の写真は福岡県糸島に骨董買取に出かけた時の戦利品です。
昔は豪商だったという旧家にお邪魔しました。お客様の紹介で査定依頼を頂きました。
昔、先代が古美術商に骨董品を売っていたそうなのであまり残ってはいませんでしたが
それでも写真のような鍋島焼の大皿が中二階の長持ちから出てきました。他にも漆器や着物、
掛軸も出てきましたがこの大皿が貴重でした。一尺皿で江戸時代後期の骨董です。
欠けや割れもありませんので良い値段で買取致しました。ありがとうございます。
【般若面買取りました。4/25】
この写真の能面はと無銘作家さんの木製面です。時代は古く明治期位のもので
既に骨董品です。焼き物の能面が多い中これは木彫り一刀彫の造りの良い物で
代々伝えられたものだと思われます。
【メンコ買取りました。4/25】
福岡市中央区は骨董買取で良く伺う地域です。
今回も骨董が沢山あるとのことでお邪魔したのはマンションの一室。
見せて頂いたのはご主人が子供のころに集めていたメンコです。
それは昭和20~30年代のモノでとてもレアなモノばかり。
月光仮面やナショナルキッド、野球選手やお相撲さんのメンコが約2000枚ほど。
勿論、買取させて頂きました。ありがとうございました。
【英国製ミニカー買取りました。4/26】
先日は福岡市博多区へ出張査定に伺いました。このお宅は戦前からあるお宅で
地下室がありました。戦時中は空襲避難の為に造られたものらしく
とても頑丈な地下室でした。見ると戦前の雑誌に混じって
外国製の振りミニカーが沢山ありました。イギリス製で1960年代の物です。
とても良い物で箱付なので高価買取させて頂きました。ありがとうございます。
【弓矢買取りました。4/28】
この弓はお客様が弓道部に在籍していた時のモノだそうです。
福岡県宗像市に依頼を受け出張査定に伺ったお宅の物です。
家族全員んがブドウをされていいて薙刀、剣道、柔道や弓道…
全て網羅しているようです。今回は弓道の道具、弓と谷を買取に来ました。
この弓は和弓で上質な竹でできているようです。かなりの使用感はありましたが
丁寧に保管されていたのと矢が沢山あったので頑張って買取致しました。
【支那事変勲章買取りました。4/29】
先日は太宰府市のご近所のお宅へ出張査定で伺いました。
今回、家をリフォームするに当たり古い家具や骨董品を整理したいとの事で依頼を受け
早速お部屋に案内されたところ硯箱の中を見ると勲章が8個ほどおあります。
この勲章は先代が支那事変で満州に兵役で赴任していたころの物だそうです。
状態が良く貴重な物だったので頑張って査定致しました。
【雑誌「青空」買取りました。4/30】
この古い雑誌は戦後間もなくの物で「青空」という雑誌です。
戦後の一番つらく厳しい時代を明るく描写したものです。
挿絵に岩田専太郎や松本かつぢなど戦前からの人気画家をつかって
国民のみんなを笑顔にしました。他には中原純一などの「それいゆ」や「ひまわり」などの
レトロな雑誌が沢山買取できました。
ココのお宅は福岡市南区のビンテージマンションの一室ですが先代からの
荷物がぎっしり詰まっており骨董、古美術品、古い家具なども沢山ありました。柿右衛門や太郎衛門などの
陶磁器もあり譲って頂きました。ありがとうございました。
【狩野派の屏風買取りました。4/30】
この屏風は福岡市の早良区に買取に伺った際、納屋で見かけたものです。
とても大きな木箱に入っており2階から降ろすのにも1時間がかかりました。
中を開けると状態の良い書画です。江戸期の物だそうで
骨董屋としては見逃せません。古いのに状態の良い屏風はなかなかお目にかかりませんので。
そしてこの屏風の作者は狩野派の屏風です。
狩野派は、足利幕府の御用絵師に取り立てられた正信(まさのぶ)に始まります。
2代目の元信(もとのぶ)は、幅広い層のニーズにこたえるため、工房としての絵のスタイルを確立しました。真・行・草の3様式を定め、弟子たちに学ばせることで、絵を受注するシステムをつくりあげました。
さらに中国の水墨画にならった「漢画」様式に、伝統的な日本の「やまと絵」の要素を取り入れていきます。漢画は筆の輪郭線を重視し、色は淡彩。やまと絵は細い輪郭線に、濃く絵の具を塗ります。この狩野派スタイルを徹底させるために用いられたのが手本となる「粉本(ふんぽん)」です。画家としては、狩野派の創始者である正信(まさのぶ)、桃山時代の天才画家・永徳(えいとく)、画家の最高位「法印」についた探幽(たんゆう)などが有名です。元来、狩野派の始祖、狩野元信から始まる「狩野家」の血縁者を中心に構成され、家の格式や序列によって、城や寺院などの障壁画を制作する絵師が決まりました。
戦国時代が終わり、江戸幕府に入って社会が安定すると、狩野家は幕府から障壁画の制作依頼を受けるようになり、狩野正信は一門の絵師を率いて集団で制作にあたりました。正信は室町幕府第8代将軍・足利義政(よしまさ、1436-1490)に仕え、幕府御用絵師として活躍します。狩野派の絵師はそれまで将軍家の御用絵師は、禅の修行を積んだ「画僧」と呼ばれる絵師たちが務めてきましたが、正信は僧の修行をせずに、初めから幕府御用絵師として活躍し、絵師としての人気を確立した画期的な人物です。
当時は中国人画家のスタイルが人気で、中国風様式の依頼が多くあったため、正信は仏画だけでなく水墨画(漢画)や、肖像画も描きました。正信の特徴は、要望された通りに描いたことです。
「漢画」(中国の絵画)と「やまと絵」を巧みに描き分け、注文に応じて様式を描ける専門絵師として、足利将軍家だけでなく、禅宗寺院からの注文も獲得していきました。
【焼物火鉢買取りました。4/30】
先日は出張買取で福岡市博多区へ伺いました。
庭には灯篭や壷、甕などがありました。その中で
目を引いた古物はこの火鉢でしたが裏を見ると在銘でしたので査定して買取致しました。
この大きさは金魚入れにピッタリの大きさです。
家主様もこんな泥だらけの火鉢を買取ってもらえるとは考えておらず喜ばれておりました
【ノリタケ茶器買取りました。4/30】
今回、古いノリタケのコーヒーカップなどが沢山ありました。明治期の物ありましたので
高額で買取させて頂きました。いわゆるオールドノリタケです。
オールドノリタケ(英語圏での一般的な表記は “ EARLY NORITAKE ” )とは、その年代をはっきりと限定することはできませんが、1800年代の末から第二次世界大戦前後頃まで、ノリタケカンパニーの前身である森村組と日本陶器で作られ主にアメリカへ輸出された装飾品(花瓶、壷、陶製人形、置物、陶製化粧セットなど)とテーブルウェア・ディナーウェアの総称です。
それらオールドノリタケの製品群は、工業的に優れた技術力と伝統的な感性、テクニックが融合した芸術作品として高い評価を受け、現在では骨董愛好家から『オールドノリタケ』とよばれる人気の高いコレクターズアイテムです。それらのオールドノリタケは大きく2つに分類されます。
1つは1885年(明治18年)頃から1935年(昭和10年)頃までに主にアメリカに輸出された日本的なデザインの商品を含むアールヌーボーを中心とした西洋画風のグループで、もう1つは大正末期頃から昭和初期頃の短い間に流行したアールデコのグループです。近年のノリタケは伝統的でフォーマルなデザインの食器やインテリアだけでなく、幅広い世代、男女を問わず愛される新しい感覚の食器が販売されています。ノリタケチャイナやノリタケボーンチャイナ以外にも強度と安全性に優れたプリマデュラ、電子レンジや食器洗浄機に対応したプリマチャイナ(アーズンウェア)など、新しい素材の食器なども生産し、人気商品となっています。
余談ですが「ノリタケ」の名前の由来ですが…
・1876年:森村市左衛門が貿易商社「森村組」を創業
1889年:「パリ万博」へ視察に訪れ、目を見張るような美しい陶磁器に感銘を受ける。
やがて、陶磁器製造を始める。
・1904年:日本陶器 創立
愛知県愛知郡鷹羽村大字則武字向510(現在の名古屋市西区則武新町)に設立し、
ここに日本の近代陶業が始まる。
「ノリタケ」の名は、この地名「則武」に因んで付けられ、商標もこれに由来している。
・1981年:ノリタケカンパニーリミテド と社名変更
…ということのようでした。
なお、ノリタケカンパニーリミテドの本社は現在もこの地にありますが、名古屋駅からは約500mと近く、また東に約1kmのところには1609年築城の名古屋城が聳えています。ありがとうございました。
尚、玄燈舎ではノリタケの食器や茶器など出張買取致します。お売りになる際は是非、福岡太宰府の玄燈舎へご連絡ください。福岡市内県内は無料出張査定致します