看板買取に力を入れています!
■琺瑯看板(ほうろうかんばん)とは、主に屋外用の表示として使用される看板の一種です。主として光沢のある塗装ないし印刷で仕上げられた金属製の看板です。1888年から1889年ごろに誕生したとされ、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝手法の主流として一時代を築いた販促品の一つです。もともとの琺瑯(ホーロー)はガラス質の釉(うわぐすり)を高熱で焼き付ける仕上げを意味しますが、のちに類似の外見を持つ塗料仕上げをも意味するようになった。「ホーロー看板」における「ホーロー」は、後者の意味であり、金属板と塗料という組み合わせのものを指します。その耐久性から、ブリキ製の類似品と比して現在でも美しい姿を保っているものが少なくありません。 骨董品の買取品や取集品としての看板も状態で値段や相場がかなり変わりますがやはり高価なものはアンティーク本にも載っているような看板は100年たってもよい状態が残っていますね。1950年代から1970年代の日本で普及した屋外広告の媒体としても広く知られているものです。マスメディアによる広告手段が一般的ではなかった時代、広告代理店を通さずに、その製品のセールスマンと看板の製造業者が各地で依頼・製作・設置していたようですね。琺瑯製の看板の設置に対する広告料は現金でなく現物支給が多かったと聞きます。
■レトロな看板の買取例を紹介いたします。
★オロナミンC 大村崑
◎これは昭和30~40年代の大塚製薬オロナミンCの琺瑯看板です。大村崑さんの写真で天才バカボンやアタック№1、黄金バッドなどが下に描かれています。何も描かれてないものもありますが今の相場では黄金バッドが一番高値と思われます。またほかの図柄でも状態が良いのは高額でお取引されております。
★カスケードビール(木製)
◎むかしの酒屋さんから木製ビール看板を譲っていただきました。このビールは日英醸造という、醸造会社で作られていました。日英醸造はその後、寿屋(今のサントリー)に買収されて、1931年にoragabeer(オラガビール)となり、そのオラガビールも時代の中に飲み込まれて1948年に解散。その日英醸造ですが、大正10年に莫大な借金がありその結果解散となったらしいです。1928年頃、寿屋に買収され、当時あったアサヒ、キリン、サクラの各ビール会社についでオラガを参入させることとなりました。このほかにも1943年頃にサクラは大日本麦酒に吸収され、1949年にはその大日本麦酒もサッポロとアサヒに分割の歴史があります。木製看板はお酒関係が多く状態の良い木製看板はあまり残っておりません。見かけましたら是非、ご相談ください。高価買取いたします。
★アース製薬の看板
◎上の写真は昭和時代のアース製薬の渦巻蚊取り線香の看板です。当時はこのスターの由美かおるさんと水原弘さんです。この看板は「ハイアース」「アース渦巻」の、最も一般的なタイプです。普通、ふたつセットで貼られていますが、稀に、どちらかひとつだけ貼られていることもあります。「アース渦巻」の由美かおるさんの写真は全国共通ですが、「ハイアース」の方の水原弘さんの写真は地方によって違うそうです。関西や四国にある「ハイアース」の看板では、水原弘さんが歯を出して笑っています。そしてこの楕円形のタイプと四角のタイプの琺瑯看板があります。
■高価買取のポイントは…
その1…錆や傷の少ない状態の良い物
その2…あまり見かけない商品やメーカーの看板
その3…漫画チックなイラストがあるもの
その4…入手経路やストーリがはっきりしている物
■家の中のどこに眠っている?お宝を発掘しましょう!
殆どの看板は忘れ去られて家の中のどこかの場所に収められています。
可能性が高い場所は…
①押し入れ…湿気があまりないので状態の良い看板が眠っています。
②戸袋…とても古い骨董やアンティーク品が良く出てくる場所です。埃や汚れも溜まっていますが看板は新聞に包まれているのを見かけます。
③倉庫や蔵…今まで見たことのない古い時計や骨董品が良く出てくる場所ですね。状態はまちまちです。
④中二階、隠れ部屋…この場所からは超高額なアンティークや骨董品などのお宝が良く出てくる場所ですがほとんど改築されていたり片付けられている秘密の場所です。
看板出張買取の流れ
■まずはお電話下さい。日時をご相談します。
商談成立して終了です!
★わからない事や聞きたい事などなんでも気軽に下の「LINE」からでも問い合わせできます。
勿論、骨董やアンティークもコチラから写真査定できます。(24時間OKです!)
■〒818-0068 福岡県筑紫野市石崎2-6-25(A)
骨董品買取の福岡玄燈舎050-3569-2100(年中無休受付)