★ご自宅に眠っている骨董品を無料査定&買取致します!

■春日市の骨董品出張買取
弥生時代中期には奴国の中心部が春日市内にあったといわれ、市北部の須玖(すぐ)地区では奴国にまつわるとされる遺跡が数多く発見されています。また市西部では古墳時代の遺跡も発掘されました。市の名称は市内にある春日神社に由来します。春日神社は奈良時代、藤原氏の手により奈良の春日大明神を迎え入れ創建されたといわれています。「春日」という地名は古くは「霞処(かすが)」と書き、「ハルヒ(春日)がかすむ」と言う枕詞から「春日(はるひ)」が「かすが」と読まれるようになったといわれています。

有名な場所としては須玖岡本遺跡です。遺跡の最高所の標高36.3m地点を中心に、弥生時代中期~後期初頭の116基以上の甕棺墓群、木棺墓、中期後半の祭祀遺構など、あわせて約300基の墓壙が確認されました。また、少し低い西側平坦地で9軒の住居跡が検出され、さらに片磨岩製小銅鐸の鋳型が出土したそうです。この場所は我々の取扱う骨董品ではありませんがより古い発掘品が多く出土しています。
春日市での骨董品買取事例
◎古いトミカ…
昭和期の「トミカ」勢ぞろいです。骨董品買取に春日市に伺いましたが古美術品等は無くおもちゃや古本が沢山ありました。その中でご主人が幼少期から集めていたというミニカーをまとめて買取させて頂きました。傷は結構ありましたがレアな物もあり査定後、高価買取させて頂きました。1970年、当時のトミーが「日本の子供たちに国産車のミニカーを届けたい」という思いの元発売します。当時はホットウィールをはじめとする外国車のミニカーや1/43スケールモデルなどが主流のため、値段も高く大きいサイズの商品が大半を占めた時代だったみたいですね。それを見て手のひらサイズで子供でも動かしやすく、ダイキャスト素材に焼き付け塗装という本格派の完成度の高さ、そして何より廉価で家族連れのユーザーにも手に入りやすい手頃な価格で世に送りました。、トミカは瞬く間に国産ミニカーのシェアの大部分を担う存在となります。1984年に現在の赤帯パッケージとなり、どこのホビーショップでも見つけやすい親切設計になっています。
◎寛永通宝まとめて…
この古銭は「寛永通宝」ばかりです。昔はこうやって古銭を紐でまとめて保管されていたのを良く見かけました。
この他にも5円玉なども穴が開いているのでまとめやすかったのかよく見かけます。この古銭も春日市の古銭コレクターの方からご依頼で査定と買取に伺いました。骨董品の部類ですが未だ世の中にも沢山あるのでまとめて骨董相場にて買取致しました。寛永通宝は江戸時代から明治時代の始め頃までに日本で使われていた通貨です。寛永3年に初めて作られたという説が有力で、その後寛永13年には流通が始まったと言われています。寛永時代に作られた貨幣なので、寛永通宝と名付けられました。万治2年(1659)までに全国15箇所でおよそ30億枚生産された寛永通宝は、品質が良く国民に大歓迎されました。このころは、「古銭(中世来の渡来銭)」と、「新銭(寛永通宝)」が並行して使われていました。幕府は積極的に渡来銭を寛永通宝に置き換えることを進めました。明治2年(1869)ころまで、生産を続けられた古銭です。
◎古酒(茅台酒)…
中国の古いお酒買取りました。骨董品買取では良く見かける古酒ですがこちらは中国の茅台酒です。1980年代のお酒です。春日市の古いお宅よりお酒を売りたいので査定をして価値を知りたいとのことで出張査定に出かけました。レトロなサイドボードの中には「山崎」「響」などの高級酒に混ざって茅台酒がありました。この茅台酒ですが貴州省で造られてる蒸留酒です。カテゴリは白酒ですが、原材料から手をかける年月など、一般的な白酒の倍以上の時間がかけられているのが特徴です。特筆は一般的な白酒の2倍を超える穀物、そして蒸留を3度行うのですが、それを6度も繰り返すというこだわりようです。中国酒の中でも実に特別な酒なのです。年代で価値は違いますが一般的には高い順にラベルが「サンフラワー」「天女」「五星」と言った順番です。中にはレアな物もありますが今回の買取品は一番数が多い五星にあたります。
■商品カテゴリー
■春日市の骨董出張買取の流れ

