■水盤買取りました…骨董品の査定や買取に伺うと大部分は焼き物や陶磁器が殆どですが中には珍しい物もあります。今回は華道で使用する「水盤」を買取致しました。このお品は青磁の古いもので明治位の青磁です。こちらのお宅では着物や家具、置物や茶道具などが主な科対象でしたがその中でも一番の古い物がこの水盤です。中国風の図柄で在銘です。
水盤とは生け花や盆栽に用いる浅い器です。楕円形や長方形のものが多く、盛り花や盆栽・盆景などに使用されおもに夏期に使用されます。材質は銅製、鉄製、陶器,磁器が多いですね。磁器による水盤は、古くは中国の青磁水盤などが知られていますが、一番多いのは白磁水盤です。中国製の古い水盤などでは、手作りの水盤をたまに見ることができますが、ほとんどが、型をおこしてからその型枠に流し込んで作るという、いわゆる「流し込み製法」で作られたのがほとんどです。ですから、寸分の狂いもないまったく同じ大きさ・形の水盤が数多く残されています。一般には白磁の水盤が一番多いのですが、均釉・瑠璃釉・織部(緑釉)釉・青磁釉などの釉薬が掛けられたものもあり、青磁釉が掛けられたものは、特に青磁水盤と呼ばれています。釉薬ではないのですが、呉須やコバルトなどを用いた染め付けの技法による絵付けがなされた水盤もあります水盤の胴部分に陽刻や陰刻により、浮き牡丹・雷紋繋ぎ・唐草文様などの紋様が施されているものもあり、古い浮き牡丹の青磁水盤などは名品として知られているものもあります磁器水盤は、古い中国製の他に、国内では伊万里・瀬戸・砥部・三田などで焼成されました。中国の古い水盤や、丸善などの施釉水盤が人気があるようです
次に陶器水盤ですが陶器製水盤も、古いもののほとんどは中国製で、日本では瀬戸を中心に国内で焼成されています。最近では、磁器の狂わないという特徴と、陶器の味をミックスさせた半陶半磁の水盤も焼成されるようになってきました。陶器水盤の場合は、窯名で呼ばれるよりも、作家の名前が呼称されることが多く、春松・緑寿庵陶翠・一陽・東福寺・香山などが良質な水盤を製作した作家として知られています。銅盤は、銅の合金で作られている水盤で、含有される物質の違いにより黄銅・青銅・朱銅・斑朱銅・斑青銅などに区分されますが、ほとんどのものは黄銅製ですが、まれに純銅の銅盤もあります。銅盤の形は、基本的には水盤と同じですが、胴部分の装飾が陶磁器水盤とは少し異なり、銅盤には、「卍透かし」・「霰紋」・「古代紋」などの、銅盤だけのオリジナルに近い紋様も見られます。陶磁器製の水盤に比べ、全体に低めに作られているということも特徴の一つで、深い作りの物はあまり見かけることはありません。また、最大の物は3尺というバカでかい大きさのものもあるように、陶磁器製のもに比べて大きな物がたくさんあるのもその特徴です。骨董品買取での水盤が高く買い取れるものは古い時代の物、割れや欠け、穴などが無い状態の良い物、古い中国製の物などが相場や価格も高くなっています。骨董品買取の福岡玄燈舎では古い水盤を買取ります。お気軽にお問い合わせください。
◎その他の買取品…この写真のアンティークショップではよく見かけるカメラですが通称2眼レフと呼ばれるものであって現在のカメラと違って上のファインダーからのぞきこむタイプです。現在ではなかなか実用には不向きなのえほとんどがインテリア化している骨董品的カメラです。今回買取したのはミノルタカメラで国産の昭和30年代のレトロなカメラです。骨董品の買取依頼ではよく見かけるカメラですね。
ミノルタとは、以前日本に存在したカメラ・複写機メーカーです。日本の光学機器メーカーとしてはコニカに次いで2番目の歴史を持ちましたが、現在は合併でコニカミノルタとなっています。 1933年にミノルタ、セミミノルタが発売され、この時ミノルタブランドが初めて使われました。ミノルタは「Machinery and INstruments OpticaL by TAshima」という英語の文字からとったもので、創業者の田嶋一雄によって名づけられました。この名称は『稔る田(みのるた)』の意味も含んでおり、創業者の生母が『稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい』と言っていたことを肝に銘じておきたかったからとも言われているようです。 まさに日本人好みの理由ですね。日本で最初に市販されたカメラは、1873年(明治6年)に創業した小西本店(のちのコニカ)が販売したボックスカメラだと言われていますが、厳密な意味でのカメラでは、ミノルタ(当時は日独写真機商店)が1929年3月に発売した「ニフカレッテ」だと言われています。戦前の最大のヒットカメラと言われているのが、1934年(昭和9年)に発売した、ベスト判カメラの「ミノルタベスト」です。このカメラを発売した当時のミノルタは、モルタ合資会社等名前で、ミノルタベストのヒットのおかげで株式会社化できたとも言われています。国産初の二眼レフ「ミノルタフレックス」を皮切りに、1953年(昭和28年)には「ミノルタコード」、1955年(昭和30年)には「ミノルタオートコード」を発売し、ロングセラーになります。
ミノルタは「カメラ専業のメーカー」として設立されたこともあるのか、二眼レフカメラから一眼レフカメラへの転換もすばやかったと言います。たとえば1954年(昭和29年)のライカM3発売を見て、すぐに開発に着手しそのわずか4年後の1958年(昭和33年)には、初の一眼レフカメラ「SR-2」が発売されます。立ち回りも素早い会社ですね。このような今は亡き著名なメーカーのカメラは西洋骨董として蓄音機や時計と並んで我々骨董商で高く買取できるものがあります。高く売れるポイントはやはり状態の良しあしで決まるようです。