青磁(中国)の買取/福岡県大野城市より青磁の花瓶や皿、壺など買取りさせて頂きました。ありがとうございました。主に中国の古い青磁の物が多く青磁は中国においては,古くは殷や周の時代からすでに原始的な陶磁器がつくられていたが,青磁が現れたのは後漢の時代にあたる1世紀の頃だと考えられています。 青磁の青から青緑の色は,陶磁器の表面にかけられた釉薬(ゆうやく)に含まれた鉄分が,高温での焼成により還元されることで発色したものです。

 

 

青磁の画像

青磁の買取

青磁の画像2

 

当時、浙江省北部の越窯(えつよう)では本格的な青磁が登場し、三国時代から南朝にかけて青磁の生産が盛んとなり、その中には独特な造形の神亭壺(しんていこ)や天鶏壺(てんけいこ)なども見られます。一方、華北では北朝において鉛釉陶や青磁が生産され、とくに北斉時代には黄釉(おうゆう)に緑釉(りょくゆう)のかかる二彩や三彩(さんさい)などの鉛釉陶や白磁への萌芽なども見られるようになります。また唐時代には、青磁は越窯で生産が続き、晩唐から五代にかけての最高級品は「秘色(ひしょく)」と称され、青磁の代名詞にもなりました。また、長沙窯(ちょうさよう)では釉下彩(ゆうかさい)に銅や鉄を用いた水注や盤などがさかんにつくられ、海外にも輸出されました。唐代以後、青磁は多くの文人・知識人に愛されたが、その理由の一つに碧玉に近い色があります。碧玉は古代より君子が身に付けるものとされ、儒教においては徳の根源とされ尊重されていました。青磁は「假玉器(かぎょくき)」と称され、碧玉に近い色の青磁は貴族に宝器として受け入れられたそうです。
また、晩唐に後に茶祖と称される陸羽が『茶経』(760)を著し、それに則った喫茶の習慣が流行しました。『茶経』において陸羽は、浅黄色に抽出した煎茶を越州窯の青磁茶碗に淹れると茶の色が緑に映える、として好みました。宋代にかけての陸羽茶道の流行とともに、王侯や文人たちは青磁茶碗を買い求めたそうです。その後は宋が華北(白色や茶、褐色などの赤系色の磁器が主)を失陥し青磁の産地だった江南へ中心が遷った南宋時代が最盛期で、耀州窯(陝西省)、南宋官窯(浙江省)や北宋後期官窯の汝窯(河南省)などが名窯として知られています。名窯程ではないが評判が高く生産量の多かった龍泉窯(浙江省)の物は秘色と呼ばれ、魏晋時代から明中期まで生産を続けていましたが、元以降は輸出用の容器に用いる大型製品が多くなり、良質の原料が枯渇し始めます。著名な景徳鎮は宋代には主要な産地ではなかったが、青磁が好まれた元代以降隆盛となり、清代には磁器胎の青磁が生産されていました。
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