福岡市中央区にて頭山満の掛軸を買取りました

買取品の詳細

福岡市の中央区にある昭和のお宅よりお声掛けがあり出張査定にお伺い致しました。今回のお客様は2回目のご依頼で前回は仏像や茶道具などお買取りさせて頂きました。今回の買取品は福岡ではおなじみの「頭山満」さんの書です。こちらのお宅では戦前の総理大臣や閣僚、文化人などの掛軸や書やサイン色紙、額や著書も沢山保管されている由緒あるお宅です。書の内容は「忠孝國之大本也」です。

頭山満の掛軸の箱画像

10年前までは頭山満さんの書や額は高額査定が就ておりましたがかなり出回っており最近では安価になりつつあります。この掛軸は状態もよく箱もありましたので頑張ってお値段付けて買取りさせて頂きました。ありがとうございました。

買取査定額

頭山満さんの書は最近の買取額は状態が良く箱があるものでも2000円から5000円になっております。

頭山満とは?

頭山満は明治,大正,昭和の3代を通じての右翼の巨頭ですね。大アジア主義者でもあり生い立ちは福岡藩士筒井家に生れ,母方の頭山家を継いでいます。そして福岡,高場乱の塾に学び,21歳のとき,西郷隆盛傘下の矯志会に加わりました。のち萩の乱にも関係して入獄されますが,出獄後一時民権運動の先駆として活動いたします,1881年平岡浩太郎,箱田六輔らとともに大陸進出を唱える玄洋社を起し,民権運動から離れました。皆さんがご存じの頭山満と玄洋社は,軍備拡張,強硬外交を唱え,日清,日露などの開戦の機運をつくるために運動した代表者と結社のことです。また政治家を庇護したり,孫文の中国革命への援助を行うなどアジア復興へ情熱をかけた人でもあります。しかしながら決して表舞台に立つ人ではなかったようです。全国的に歴史を知っておられる方はご存じの方も多く特に福岡、博多の歴史、文化を知っている方には知らない方がいないと聞いております。

玄洋社とは…旧福岡藩士によって組織された国家主義・大アジア主義の政治団体です。1881年(明治14)成立され「皇室の敬戴,本国の愛重,人民権利の固守」を掲げた組織でした。前身の向陽社時代は土佐の立志社とも連携し,民権に積極的でしたが,玄洋社は国権拡張に力点を移します。当初の主要メンバーは箱田六輔(ろくすけ)・平岡浩太郎・頭山満(とうやまみつる)・進藤喜平太らがいました。条約改正反対運動では社員来島恒喜(くるしまつねき)が大隈重信外相に爆裂弾を投ずるなど,対外硬派中の実行派として活動します。韓国・中国に人を派遣し,商業活動,現地の政治家との接触,さらには政治家の日本招請など対外活動にも積極的でした。第2次大戦後,国家主義の右翼団体としてGHQ指令により解散させられました。

孫文とは…頭山満と縁が深かった孫文は「三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)」を唱えて,辛亥革命の中心になりました。この結果,1912年に「中華民国」が建国され,清は滅びました。
孫文は中華民国の臨時大総統になりましたが,まもなく袁世凱(ユワンシーカイ/えんせいがい)にその地位を譲りました。その後,袁世凱の専制政治に反対する運動を起こし,1919年に中国国民党をつくりました。しかし、孫文らの勢力はなお弱く、まもなくその地位を清朝の実力者であった袁世凱に譲ります。政権を掌握した袁は孫文らの勢力を圧迫し、孫文はふたたび革命を起こしますが敗れて日本に亡命しました。そしてその翌年の10月25日、孫文は宋慶齡と東京で結婚したと言われます。

犬養毅とは…犬養も頭山とは縁が深く犬養毅の父は岡山藩士で慶応義塾に学びます。郵便報知新聞の記者として西南戦争に従軍しました。その後、東海経済新報記者をへて、立憲改進党創立に参画します。大同団結運動で活躍した後、明治23(1890)年第1回総選挙で衆議院議員に当選、以後第18回総選挙まで連続当選します。さらには第1次大隈内閣文相、第2次山本内閣逓相をつとめました。大正11(1922)年、革新倶楽部を組織し、13年加藤高明らと護憲三派内閣を結成し逓相に就任します。昭和4(1929)年立憲政友会総裁を経て昭和6年、首相となりましたが、翌年515事件で暗殺されました。

★平岡浩太郎とは…嘉永4年(1851)6月23日生、明治39年(1906)10月24日没。法名「恵海院正專浩徳居士」、明治11年自由民権運動に参加し進藤喜平太と共に向陽社を組織し、明治14年(1881)玄洋社と改名し、初代社長に就任しました。福岡の炭鉱王とも呼ばれ、その財力は玄洋社の活動に止まらず、郷土の後輩の学費の援助や孫文など支援していたようです。

箱田六輔…筑前福岡藩出身。戊辰戦争に出征後,藩軍制改革を志したが反対派に制せられ一旦拘禁。明治7(1874)年,佐賀の乱に際して福岡臨時鎮撫隊半隊長,翌8年,頭山満,進藤喜平太らと矯志社を組織し,翌年,萩の乱への呼応に失敗,拘禁された。西南戦争(1877)後に出獄,頭山らと向陽社を設立,自由民権運動に取り組み,12年の愛国社第2回大会に出席,さらに筑前共愛会の代表となり条約改正・国会開設の請願を元老院に奉呈するなど活躍。14年,向陽社を玄洋社と改称,次第に国権確立運動に力点を置くに至った。

進藤喜平太…この方も福岡藩士です。1869年(明治2)箱田六輔らと就義隊を組織して福岡藩兵制改革を唱えたときから頭角をあらわし,75年武部小四郎,頭山満らと矯志社を結成して自由民権運動に参加します。81年玄洋社を結成し,箱田六輔の死後社長となり,〈九州侍所の別当〉と称された。1906年福岡市から代議士に当選,憲政本党に属しました。12年国民党の応援を得て出馬したが落選し政界を退きます。

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