扇子(書)の買取/福岡市西区にて掛軸や茶道具、書道具など買取させて頂きました。 こちらの扇は中国有名書家の扇子です。
中国では扇面とも言います。扇の地紙のことです。扇の紙の面のこと、また扇形の料紙のことも扇面といいます。また、扇を広げたときの地紙の形状のことも扇面といい、模様の形としても扇面という名前があります。折りたたみ扇子は、「摺疊扇」や「聚頭扇」と呼ばれ、折り畳めて広がる事から、「撒扇」とも呼ばれました。 折りたたみ扇子の扇面の材料では紙が最も広く使用されていて、簡単に持ち運べて、いつでも広げて楽しむことができる事から、「袖の中の上品な物」とも呼ばれました。と呼ばれました。特に王星記の扇子は「雅扇」の代表で、「中華老字号(中国の老舗)」において唯一の扇子ブランドでもあります。扇子は扇面という限られた形態の中で創作する特異性をもっており、その発展は明清代の絵画史において軽視することはできません。中国近代の書画コレクションとして知られる小萬柳堂(しょうばんりゅうどう)の旧蔵品に、扇面のコレクションで有名な『明清書画扇存(しょがせんそん)』があります。中国・明~清時代の書画名家の扇面形式によるコレクションで、宮子行・玉甫兄弟から、書画収集家の廉泉が受け継いだ品です。収蔵品には惲寿平(うんじゅへい)や王鑑(おうかん)、呉歴(ごれき)・陳淳など多くの著名作家作品が揃っており、明清代の書画史を通覧する資料としても大変価値の高いコレクションです。
そんな名品が揃っているコレクションですが、大正時代に数回にわたり訪日した廉泉は、美術評論家・大村西崖を通して自身のコレクションと扇面集の一部を売却していることが知られています。扇面(扇子の絵の部分)は一枚一枚で売られているため、骨董品収集の対象としても比較的安価に購入できる場合もあり、収集している方が多くいらっしゃいます。
古代中国では、扇は「揺風」「涼友」と呼ばれ、禹・舜の時代にすでに存在していたといわれます。隋代以前は、絹や鳥の羽などで作られていたが、唐代以降、象牙やビャクダンなどを用いた扇子が相次いで現れました。明・清代になると、蘇州、杭州一帯における扇子の製造技術がピークに達します。なかでも、蘇州で作られたものは「香扇」、杭州のものは「雅扇」と言います。
日本における扇面が広く庶民に受け入れられ、社会のすみずみにまで、むしろ日常の必需品として行き渡ってくるのは、江戸時代も後半になってからである。江戸時代初期の俵屋宗達工房の扇は、現在も扇面の雄といわれるものである。絵画史上極めて重要なものであるが、その扇面は、華麗に絵巻物の一場面を描いたもの、たとえば源氏物語の夕顔の巻などといったものが多く、庶民に広く愛好されたといっても、一部の富裕な階層に限られていたというべきであろう。だが、江戸時代後半になってくると、著名な文人や絵師などの書画会などが盛んに行われ、その書画会などの席において、即座に書画や詩歌を認める席画の習慣が扇面にも定着し、広く人々の需要に答えることになる。また一方では、書物の出版元で、扇の地紙や有名な絵師や文人・作家の自筆の扇面を販売するようになった。ありがとうございました。
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