■福岡市j城南区で根付を買取致しました。今回はラインからご連絡で叔父様が骨董コレクターで根付を沢山持っていたので処分したいとの事で早速、出張査定に伺いました。見せて頂いた根付は約30点程。象牙の物や骨製のもの木製の物などがあり時間をかけて査定させて頂きました。
根付とは、日本の江戸時代に使われた工芸品の留め具です。煙草入れ、印籠、巾着や小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)、矢立などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いたそうです。根付は江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和・平成以降の現代根付に大別されます。製作国の日本では服装の中心が着物から洋服に移り変わるとともに使う機会が減りましたが、外国人に美術面で評価されるようになり、日本国外で骨董的な蒐集対象となりました。発祥はたぶん安土桃山時代から江戸時代初期には使われていたようです。当初は手頃な瓢箪や貝殻、木、木の実などを用いていました。自然の造形をそのまま使用していた根付も、次第に細工が施されるようになり、江戸時代中期には武士や豪商のみならず、一般庶民にも需要が生まれ、意匠を凝らした根付が作られるようになりました。このような歴史のある根付ですが高く売るにはやはり状態が良く欠けがないものが相場も高いです。材質も象牙や柘植、骨などが高価買取ができます。
◎その他の買取品…琥珀色の帯留を買取致しました。今回、着物買取で上質な帯留を買取致しました。琥珀色の鼈甲製だと思われる台座に色を被せたとても上品な帯留です。
帯留の始まりは、江戸時代後期の文化・文政年間頃といわれています。当時は、今でいう帯留の形とは異なり、帯が解けないよう紐の両端についた表金具と裏金具をパチンと合わせる「留め金具式」だったようです。この留め金具が、現在の帯留へと発展していきました。幕末から明治初期のころは芸者衆の間で、客の男性の刀の装具や、煙草入れなどを契りの証として帯留に作り変え用いることが流行していたそうです。1876年に廃刀令が出ると、今まで刀の装具を加工していた職人たちが失職し、その技術を活かして帯留を生産するようになりました。それにより刀装具のデザインや加工技術が加わり、職人の数が増えたこともあって明治時代から大正期には、様々な素材やデザインが登場してきました。また現在のような紐に通す形式の帯留は、1892年(明治25年)ころからと言われ、従来の留め金具式から、装飾品としての価値が高まって行きました。このような歴史やストーリーがある和小物は材質や装飾でかなり買取の価格が違います。鼈甲、琥珀、螺鈿細工、象嵌、象牙等のもであれば高く売れると思いますのでご自宅で見かけましたら査定をご依頼ください。
◎その他の買取品…古い茶道具買取致しました…出張査定ご依頼を受け出張査定に出かけました。ここはお茶道具が沢山あり明治期から先代より受け継がれた古い道具が部屋いっぱいに並べられておりました。茶碗や短冊、掛軸や茶棚、茶筅や竹籠があります。その中で特に目を引いたのは古い箱に入った茶量です。茶合ともいわれますがこちらは漢詩が彫られとても趣のある時代物の骨董品です。
茶量(ちゃりょう)とは煎茶道で使用される道具の一つです。流派によって「茶合」「仙媒(せんばい)」「茶則」「茶計」とも言われるようです。抹茶用は桜の木で椀(わん)形に作り、煎茶(せんちゃ)用は二つ割りにした竹で作ります。
いろいろな図が彫られ、その図によって季節等を表し、有名な作家が作った品物は、高価に売買されています。また煎茶道具には、このほかにも煎茶碗、急須、宝瓶(泡瓶)、茶桃、茶托、涼炉(瓶掛)、茶壺(茶心壷・茶入)などがあります。宝瓶(泡瓶)は、持ち手のついていない急須のことで、茶托は茶碗をのせる台のことです。涼炉(りょうろ)は煎茶道で使用する湯を沸かす道具の一つで、焜炉、茶炉、風炉、瓶掛とも言われています。この他にも、煎茶席の道具飾りの下に敷く敷物・茶具褥(さぐじょぐ)、茶滓(ちゃかす)を入れる陶磁器・滓盂(しう)、急須や茶碗を洗った水をすてる器・建水(けんすい)などもあります。煎茶の道具はこの他にも多くの種類があり、それぞれ、様々な呼び名や名称があることも少なくありません。元々煎茶は中国文化だったため、唐具といわれている中国の煎茶道具もあります。この茶量などもその一つです。人気の煎茶道具は、朱泥の急須、錫製の茶壺、錫製の茶托などですが、作家によってもその価値はかなり違います。