骨董品買取で先日は福岡市南区へ出張査定に出かけました。
こちらのお宅では鹿児島県出身で先祖代々薩摩焼の収集をされていたそうです。
島津関係や西郷隆盛関係の書、掛軸や茶道具、銅の置物の他多数見積もりさせて頂きました。
その一つが写真の壷です。14代沈寿官の壷でした。
沈寿官の壷
薩摩焼の里・美山で400年以上続く名門・沈壽官の窯です。薩摩藩御用達の白もんを焼き続け、12代当主は透かし彫や浮彫の考案者といわれ県内でも5人しかいない透かし彫職人の一人に数えられています。また、14代当主は司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』の主人公でも知られる色絵薩摩の担い手です。
沈壽官(ちん じゅかん / シム スグァン(심수관))は、鹿児島県日置市東市来町美山(旧・苗代川)に窯元を置く薩摩焼の陶芸家の名跡。薩摩焼の苗代川系(苗代川焼)に属し、初代・沈当吉の末裔である沈家の明治以降(第12代以降)の当主によって襲名されている。
骨董品買取の福岡玄燈舎では薩摩焼沈寿官の作品買取ります。

◎その他の買取品…
唐津焼の収集家で絵唐津や斑唐津、朝鮮唐津や黒唐津、などの茶道具が豊富に
みられました。その一つの杉谷窯の茶入れです。
特筆は仕覆の良さ。絹の詩集入りで上品かつ煌びやかな古美術的仕覆です。

茶入れ仕覆

仕覆(しふく) とは、茶入や薄茶器、茶碗、挽家などの道具類を入れる袋で、「仕服」とも書きます。
茶入の仕覆には、名物裂・古代裂が多く使用されていて、茶入によっては、名物裂の替袋(かえぶくろ)を何枚も持つものもあります。茶席では、仕覆は、茶入、茶杓とともに客の拝見に供されます。
茶入に付属する、「袋」、「挽家(ひきや)」(仕覆に入れた茶入を保存するために木材を轆轤で挽いて作った挽物の容器)、「箱」、「包裂(つつみぎれ)」、その他の補装を「修覆(しゅうふく)」といい、修覆が仕覆となり、茶入袋の呼び名になったといいます。
骨董品買取の福岡玄燈舎では仕覆付の茶道具買取ります。お気軽にお問い合わせください。

◎その他の買取品…
こちらでは柿右衛門、今右衛門、源右衛門など三大有田焼を沢山買取させて頂きました。
写真は6代源右衛門の花瓶ですがとてもスッキリとした染付の花瓶ですね。

花瓶買取り

有田焼とは、佐賀県有田町周辺で焼かれた磁器の総称です。硬く丈夫で、透明感のある白磁に、藍色や赤・黄・金など鮮やかな色が繊細にほどこされているのが特徴です。また、藍色で描かれた染付の器も有名です。
江戸時代の初め、ある朝鮮陶工が有田で磁器の原料となる“陶石”を発見したことがきっかけで、国内ではじめて磁器の焼成が行われるようになりました。有田の磁器は17世紀後半から18世紀後半にかけて、国内はもとよりヨーロッパを主とした海外へも多く出荷されるようになりました。
有田には海がないため、有田で作られたやきものは一番近い港である伊万里港から積荷がなされていました。そのため、「有田焼」ではなく「伊万里焼」と呼ばれてその名を知られるようになります。当時輸出された豪華な品々は、現在でも「古伊万里(Ko-Imari/Old Imari)」と呼ばれ、世界各国の美術館・博物館に展示されています。骨董品買取の福岡玄燈舎では人間国宝の陶磁器買取ります。お気軽にお問い合わせください。

◎その他の買取品…
こちらでは龍文堂や亀文堂などの鉄瓶が
多く見積もりさせていただき高価買取致しました。
その一つの大きな鉄瓶は龍文堂で床の間に飾っていたものです。
鉄瓶買取り

日本の鉄瓶の誕生は、中国と深い関わりを持っている。日本の最初の茶道は唐代の中国文化に由来し、発展の過程で、抹茶道と煎茶道とを生み出した。煎茶道の発展は、日本の茶道具に大きな変化を生み出した。当時の日本の釜師は、湯を沸かして淹れるのを便利にするために、鉄釜に注ぎ口と取っ手を付け、体積の縮小をはかった。こうしてできたのが鉄瓶の原形である。鉄瓶がいつ誕生したのかははっきりしていないが、日本の茶道において用いられる茶釜に取っ手を付けたのが、鉄瓶の原形であったと考えられる。史料によると「鉄瓶」という言葉が最初に現れたのは、江戸時代の天明年間(1780年代)、中国の清朝乾隆年間(1736-1795)とされる。日本の鉄瓶はほぼこの時期に形成されたと見られる。鉄瓶の産地として最も有名なのは、京都三条釜座や山形鋳物、長浜の晴寿堂、京都の龍文堂、そして南部鉄器で、このうち龍文堂はその銅蓋で知られ、日本ではこの銅蓋だけを買い求める人もいる。銑鉄製品には、鉄瓶や急須、火鉢、鍋敷き、茶託、鉄鍋、風鈴、花瓶などの種類がある。1リットル以下のものを「鉄急須」、1リットル以上のものを「鉄瓶」と言う。急須と鉄瓶には、容量と体積の大小の差のほか、急須には茶を淹れるのに便利な茶こしの網が付いているという違いがある。

南部鉄瓶買取り

 

最後に有名な南部鉄瓶は17世紀中頃、ときの南部藩主が盛岡城築城のおり、京都から釜師を召し抱え、領内から豊富に算出される砂鉄や木炭を用いて茶の湯釜を作らせたのが始まりと言われます。
以来、良質の現在料に恵まれたこと、藩の保護育成を受けたことから、南部の地において鉄器はおおいに発達しました。その風雅な味わいや、独特の金気止めの技法などによる高い品質が、南部鉄器を全国有数の伝統工芸品の地位に押し上げることとなりました。昔ながらの技術を守る釜師たちによって、鉄と炎から生まれる芸術品と言うべき茶の湯釜や鉄瓶が、今も入念な手作業のもとに作られています。また伝統的な湯釜や鉄瓶のほか、現代の生活に溶け込むようにと考えてデザインされた各種の鍋や花器、趣味性豊かな置物や文鎮、風鈴など多岐にわたる製品が生産されています。それらの日用品は、比類のない品質と親しみやすさで、広く愛用されています。骨董品買取の福岡玄燈舎では鉄瓶や茶道具買取ります。お気軽にお問い合わせください。

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