■九谷焼買取りました!

 

■こんにちは。骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回は九谷焼です。福岡県春日市にて九谷焼の花瓶や皿の出張査定にお伺いました。古い倉庫の片付けとしてお父様が集めていた九谷焼の壷、大皿を鑑定して頂きたいとの事でした。普段使いの九谷焼の中には古い九谷焼の花瓶がありました。九谷焼の「堀江青光」の作品です。
共箱に栞が入った古い焼物でとても盛り上げ模様の高い綺麗で渋い色合いでした。

色絵五彩手の作品は、細描法とでもいえる細かな絵付のされた作品が取り上げられました。この絵付は、赤絵の細描法とは異なりますが、五彩の絵の具による細かな点描にも似たものです。九谷焼の絵や文様を手で触ると、絵の具が盛り上がっていることがわかりますが、これは、昔から九谷焼では絵の具を塗るのではなく、“のせる”ことから、焼かれたあと、絵の具の部分が盛り上がるためです。その作品は細かく絵の具を2~3回のせては焼いたと見られますが、絵の具の剥落もなく、技術がかなり高いことを示しているとのことです。合わせて、素地が何度も窯に入れても耐えられるもので、その制作技術も高度であるから、こうした絵付も可能になったということです。
九谷焼は(1655年頃)、藩の殖産政策として始められたとされますが。しかし、約半世紀後の元禄末期(1700年代初頭)に突然廃窯となります。この頃に作られたものを「古九谷(こくたに)」と呼ばれています。
廃窯から約1世紀後の文化4年(1807年)、加賀藩が京都から青木木米を招き、金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開かせたのを皮切りに、数々の窯が加賀地方一帯に立ちました。これらの窯の製品を「再興九谷」と呼んでおります。同じ頃、能美郡の花坂山(現在の小松市八幡)で、新たな陶石が発見され、今日までの主要な採石場となります。これらの隆盛を受け、それまで陶磁器を他国から買い入れていた加賀藩では、文政2年(1819年)に磁器を、翌年に陶器をそれぞれ移入禁止にしました。
現在、見かける古い九谷焼のほとんどはこの再興九谷焼だといわれています。明治維新後、藩からの支援が途絶えた窯は自活を迫られます。旧大聖寺藩の職人たちは作家として名をあげようと技術向上に努め、竹内吟秋・浅井一毫兄弟や初代須田菁華などの名工を輩出。一方、旧加賀藩の職人たちは輸出産業に活路を見いだし、九谷庄三を中心に金彩と赤絵のジャパン・クタニと呼ばれる、彩色金襴手作品を欧米向けに数多く生産しました。
尚、現在、九谷焼の人間国宝は2名です。
〇吉田美統(よしたみのり)
1932年、石川県小松市にある作陶を生業としている家に生まれた吉田美統は、高校在学中から陶芸技法を学び始め、卒業後の1951年に家業である錦山窯の三代目となり、九谷焼独特の赤絵金襴手(きんらんで)など、九谷の伝統的な絵付け等の技法を習得しました。その後、自らの作品に釉裏金彩技法を用いたり、九谷伝統の色絵具をかけた素地を本焼きして地色とした上に二種類の金箔を文様に切り取ったものを載せて焼き付けたりといった、独自性を発揮。釉裏金彩の第一人者として2001年7月12日に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
〇三代目 徳田八十吉(とくだやそきち)
三代目 徳田八十吉は1933年、九谷焼の陶工である徳田八十吉(初代)の孫として生まれました。
金沢美術工芸大学短期大学工芸科陶磁専攻中退後に、初代、二代目等に師事し、1988年に三代目を襲名。1991年には第11回日本陶芸展で、大賞・秩父宮賜杯を受賞しました。
釉薬で色彩を調整した鮮やかな群青色が特徴で、海外にも多くの作品を発表して高い評価を得ているほか、古九谷の学術研究にも尽力。1997年6月6日、重要無形文化財「彩釉磁器」の保持者(人間国宝)に認定されました。

骨董品買取の福岡玄燈舎では九谷焼の陶器作品を買取ります。見積もりや査定だけでも構いませんのでお気軽にお問い合わせください。福岡市内県内は無料出張査定致します。

 

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