■于右任(うゆうじん)
于 右任は清末から中華民国にかけての政治家・軍人・書家・文化人・教育家・ジャーナリストです。
中国同盟会以来の古参の革命派で、国民政府の監察院院長として知られております。名は伯循ですが、一般には字の右任を用いて呼ばれるようです。筆名は、神州旧主、騒心、大風、剥果、太平老人など多数あります。1926年(民国15年)9月、于右任は馮玉祥による五原誓師に参加し、陝西省政府主席となります。翌年、国民聯軍駐陝総司令として、北伐に呼応する準備を整えますが4月、蔣介石が南京に国民政府を創設すると、于は国民政府委員(同年9月に常務委員)、軍事委員会常務委員に任命された。1928年(民国17年)2月、審計院院長に任命されています。1931年(民国20年)11月[3]、監察院院長に任命され、以後死去するまで30数年に渡り、この地位に終身あり続けた方です。国民党でも、第1期から第6期まで一貫して中央執行委員に選出されており1938年(民国27年)には、国防最高委員会常務委員に任ぜられています。
1948年(民国37年)、于右任は副総統選挙に出馬したが敗れました。国共内戦が終盤にさしかかった1949年(民国38年)に、于は台湾へ逃れています。翌年に国民党評議委員を兼任しております。彼は政治家として活動する一方、文化人としても知られ、書・漢詩などで優れた作品を残しています。特に書画は日本では有名な方でで本物であればかなり高額で取引されているようですね。私も資料館などでは拝見したことがありますが実物にはまだ出会えておりません。
◎作品紹介
『涇原故舊記』1912年
『變風集』1912年
『右任詩存』1926年
『于右任言行録』1931年
編著『標準草書』1937年
『標準草書范本千字文』1944年
『右任文存』
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