■田原陶兵衛

田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)は1925年(大正14年)生まれの日本の陶芸家です。
十代陶兵衛の二男として山口県長門市に生まれますが長兄11代田原陶兵衛に後継者がいなかった為、家業陶芸を継承し、父や兄(十一代)に陶芸を学びます。そして1956年、兄の死去により十二代を襲名いたしました。
田原家は赤川助左衛門の系統を引く深川御用窯(深川萩)の陶芸一族としての名跡であります。1866年(慶応2年)8代赤川喜代蔵の時に嫡男謙治が赤川性から田原姓に改姓します。十二代田原陶兵衛は独自の高麗朝鮮陶器の研究、茶道への造詣を深め茶陶中心に発表しました。田原陶兵衛は田原家当主が代々襲名し現在に至ります。そして現在の『田原陶兵衛』の名跡は13代です。作品を拝見すると朝鮮古陶器を踏襲しつつも萩焼を基本に茶席に似合う詫び錆の表現がぴったりの
萩焼について…「一楽、二萩、三唐津」と茶人に愛されてきた萩焼は、桃山時代に朝鮮半島より渡来し、脚光を浴びた「高麗茶碗」の系譜を引く茶陶として、広く知られています。 その起源は、豊臣秀吉公の文禄・慶長の役に際して、日本に渡来した朝鮮李朝の陶工李勺光(りしゃっこう:秀吉から毛利輝元に預けられたといわれています)、李敬(りけい:李勺光の弟?)が、十七世紀初頭、毛利輝元公に従って安芸の広島から長門の萩に移り、李朝前期の陶技を以って城下の松本中之倉に開窯した萩藩御用焼物所がその始まりです。 その後約半世紀の後、李勺光の子、山村新兵衛光政の高弟、蔵崎五郎左衛門、赤川助左衛門の一統が、藩の許しを得て、深川三之瀬(ふかわそうのせ)の地に移り、大寧寺の山林を薪山として窯を築きました。
土は「大道土(だいどうつち)」を使用。現在、萩(松本)は、坂家、三輪家、古賀家等、深川は田原家、坂倉家、坂田家、新庄家などがあります。ざんぐりとした手触り、土の持つ温かみ、使い込む程に肌合いが変化していく様子が「萩の七化け」と言われ、お茶人に喜ばれてきました。
1925年 山口県長門市に生まれる。
1944年 旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。
1945年 シベリアに抑留される。
1948年 抑留先のシベリアから復員後、長兄11代田原陶兵衛に後継者不在の為家業を継承。
1956年 12代田原陶兵衛を襲名。
1972年 日本工芸会正会員。
1981年 山口県の無形文化財保持者に認定。
1991年9月27日没。66歳没。

◎作品紹介

田原陶兵衛


 

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