■鹿子木孟郎(かのこぎたけしろう)
鹿子木 孟郎は1874年(明治7年)11月9日生まれです。岡山県出身の洋画家で肖像画を得意とした画家です。元関西美術院長、レジオン・ドヌール勲章を受章しています。彼は早くに洋画に志して松原三五郎、小山正太郎にまなび、その後渡欧3回、ローランス、ルネ・メナールに師事しました。第2回文展に出品した滞欧作「ローランス画伯の肖像」等は良く知られる作で、このほか明治神宮絵画館の「奉天入城図」支那事変に際して遊就館に納めた「南京入城図」等の大作があります。忠実な手がたい作風を示し津田青楓、吉田初三郎、斎藤与里、黒田重太郎、安井曾太郎、小林和作、前川千帆、中村研一、佐竹徳、北脇昇、藤本東一良ら多たそうでも指導したそうです。この作品をみるとどこか懐かしさとリアル感が入り混じって長い時間、見ていられる絵ですね。色遣いがとても素朴ですが緻密なタッチや繊細な筆使いが特徴の作品でした。肖像画が得意のこの作家さんですが風景画もお勧めの作家です。ありがとうございました。
略歴
1874(明治 7)年 岡山に生まれる。
1888(明治21)年 高等小学校卒業後、天彩学舎に入学。
1892(明治25)年 不同舎に入学。
1895(明治28)年 文部省教員検定試験に合格、滋賀県尋常中学校に勤務。
1896(明治29)年 三重県尋常中学校に勤務。翌年、岡山出身の妹尾春子と結婚。
1899(明治32)年 埼玉県師範学校助教諭となる。
1900(明治33)年 不同舎の学友たちと、アメリカへ出発。
1901(明治34)年 アメリカからパリへ移り、ジャン=ポール・ローランスに師事。
1904(明治37)年 帰国。
1906(明治39)年 2回目の渡仏。
1908(明治41)年 帰国、関西美術院長となる。
1915(大正 4)年 3回目の渡仏。
1918(大正 7)年 京都下鴨にアカデミー鹿子木下鴨家塾開設。
1934(昭和 9)年 鹿子木孟郎還暦記念会から画集刊行、この頃余技として日本画を描く。
1941(昭和16)年 京都で死去、67歳。
◎作品紹介
男裸体習作(後手)
海岸
山村風景
奈良の秋
婦人像
浴女
裸婦などがあります。
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