■片多徳郎(かたたとくろう))
片多徳郎は大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)生まれの洋画家です。
明治45年(1912年)、東京美術学校卒業し文展第3回に『夜の自画像』、第4回に『黄菊白菊』、第5回に『或る人の母』を出品しました。第10回出品の『婦女沐浴』と第11回出品の『伎女舞踏図』で、帝展における日本化された洋画の代表者と目され、大正7年(1918年)『花下美人』、大正8年(1919年)『霹靂』、昭和4年(1929年)『秋果図』、昭和7年(1932年)『秋果一枝』を帝展に出品します。この間に審査員に挙げられ、また受賞歴もあり、また絵画団体をも結成します。また明治神宮絵画館壁画『憲法発布観兵式行幸啓図』を描きました。
片多徳郎の作品は3期に分けられ、第1期は、印象派風の明るい色彩のある作品、作品としては、「黄菊白菊」、「或人の母」です。これはフランスに留学していた黒田清輝の作風を受けた結果だとおもわれます。第2期は、後期印象派のような日本の和風色の強い作品を描いていました。第1期とまるで反対の暗い重みのあるどっしりとした東洋的な画風で、第3期は、写実的な作風になりました。素朴なデザインと写実的な画風で人物画ではどこか近所の人々のような親しみのある作品が多いです。
【略歴】
1889(明治22)年~1934(昭和9)年
豊後高田市生まれ。
1907(明治40)年、東京美術学校西洋画科入学。
1909(明治42)年、第3回文展初入選。
1910(明治43)年、第4回文展で褒状受賞(翌年も受賞)。
1917(大正6)年、第11回文展で特選(翌年も受賞)。
1920(大正9)年、第1回帝展で推薦、以後、無鑑査。
1923(大正12)年、第4回帝展審査委員。翌年、帝国美術院展覧会委員。
◎作品紹介
「キンカン」1912年
「初夏」1923年
「歌者」1928年
「自画像」1928年
「芙蓉蟷螂図」不詳
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