■荒木寛畝(あらきかんぽ)

1831年7月24日(天保2年6月16日)生まれの画家です。荒木は、日本の幕末から明治時代に活躍した絵師・日本画家ですが本姓は田中です。幼名は光三郎。寛畝は号で、別号に雲居、橋村、木吉、詩画堂主人、達庵などがあるようです。濃密な色彩と緻密な描写による花鳥画を得意とした画家です。のちに土佐高知藩主・山内容堂の御用絵師となったが、明治維新後は洋画に転身し川上冬崖らに油絵を学みました。一時は、五姓田芳柳、高橋由一と共に油絵三名家とも称されましたが、その後、日本画に復帰しました。
東京美術学校教授や帝室技芸員も務めました。
門下生には、荒木十畝、池上秀畝、西沢笛畝などがいます。
「孔雀図」「菊花図」「芦辺遊鴨図」などの作品があります。作品を見るとやはり谷文晁の色が濃いように思われますね。とても細かいタッチと濃淡がはっきりっしている描写が特徴の作品です。鶉がまるで生きているような動きがある作品でした。ありがとうございました。

荒木寛畝作品画像
1830年 江戸・芝に生まれる
1839年 谷文晁派の荒木寛快に入門
1852年 寛快の養嗣子となる
1856年 山内容堂に認められ土佐藩の絵師となる
1872年 ウィーン博にて「菊花図」で受賞
藩主没後に洋画に転向。その後日本画に戻る
1887年 日本美術協会の重鎮として活躍
1898年 東京美術学校教授に就任
1900年 帝室技芸員拝命
1906年 英国ロイヤル・ソサェティ・オブ・アーツ会員
1907年 文展で第1回より審査員をつとめる
1915年 逝去

◎作品紹介

代表作
「孔雀図」「雉竹長春」など


 

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