■王一亭(おう いってい)
王 一亭は清末民初に活躍した実業家・書画家・銀行家・政治家です。上海を中心に活動した実業家・銀行家として著名である一方、中国同盟会にも参加した革命派の人物でもあります。また、画家としても優れた業績を残し、仏教徒としての活動も顕著でだったそうです。名は震ですが字の一亭で知られております。法名は覚器。号は梅花館主、海雲楼主、白龍山人です。
学徒の時代から書画熱が高じ、この頃に任伯年に就いて絵を学びます。山水画は呉鎮に師法しましたが人物画、花鳥画、仏画に優れ晩年にはほとんど毎日仏像を描いたそうです。また呉昌碩とは師友となって親しく交わっていました。その後は上海昌明芸術専科学校校長にも任命されています。
1929年(民国18年)6月、王一亭は太虚大師と上海で中国仏教会を設立し、王も同会の執行委員兼常務委員に任ぜられました。以後も仏教学出版社の理事長、世界仏教居士林の副林長、林長を歴任していますが売画によって得られた所得の大部分は慈善事業に寄付したそうです。梓園を建てそこに広く名画を蒐集しました。著書に『白龍山人詩稿』・『王一亭書画集』があります。復刻版ですが私も王一亭書画集を持っていますが作品は仏像や人物画などは独特の輪郭線やタッチが独特で個人的に好きな作品も多いです。
余談ですが銀行のボーイから身をおこし、上海実業界の有力者となり多くの要職を兼任した方です。 度々来日して日本に知友も多く、殊に関東大震災に際してはいち早く上海での救援活動を起こしたことは有名です。
1867年 生まれる
1906年 上海予備立憲公会会董となる
1907年 日清汽船上海支店でコンプラドールとなる
1909年 滬南商務総会総理に選出される
1910年 中国同盟会に加入し、中国同盟会上海分会機関財務科科長となる
1912年 上海商務総会議董、上海自治公所に任ぜられる
1915年 中国商業儲蓄銀行董事として復帰する
1917年 中国商業儲蓄銀行董事長となる
1925年 中山陵の図案選定顧問をつとめる
1927年 国民政府中央救災準備金保管委員会委員長となる
1929年 中国仏教会を設立する
1932年 国難会議に招聘される
1937年 第二次上海事変が勃発すると香港へ逃れる
00000年黄興らと南京で拓殖学校を創設する
1938年 72歳で逝去
◎作品紹介
『锺馗图』『牡丹猫石图』『东篱赏菊图』
『墨荷生香图』『虬松腾龙图』『山水人物』
『锺馗图』『牡丹猫石图』『东篱赏菊图』
『墨荷生香图』『虬松腾龙图』『山水人物』ほか
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