■金重陶陽
金重 陶陽(かねしげ とうよう)は、岡山県出身の陶芸家です。備前焼の陶工として初めて人間国宝となった方です。本名は金重 勇(かねしげ いさむ)といいます。
彼は江戸時代中期以降伊万里焼や九谷焼などに押されて人気を失っていた備前焼を再興させることに成功し「備前焼中興の祖」と称されます。自らが優れた陶工であっただけでなく、多くの弟子を育て、その中から次々と人間国宝を輩出するなど備前焼の歴史上果たした功績は計り知れないですね。陶陽の弟の金重素山、長男の金重道明、三男の金重晃介もそれぞれ陶芸家です。また北大路魯山人やイサム・ノグチらとも親交があり、彼らの芸術性に影響を受けた一方、彼らが備前焼を世に知らしめる役割を果たしています。備前焼で初めて重要無形文化財 保持者(人間国宝)に認定された金重陶陽は、明治二十九(1896)年、和気郡伊部村(現備前市伊部)で生まれた。父親の楳陽に陶技を学び、はじめは細工物を制作していたが、 のち桃山備前の研究に取り組み、陶土・窯の構造・窯詰め・焼成法の創意工夫に努めた。こうした幾多の工夫の末、窯変(ヨウヘン)を人為的に作ることに成功し、桃山風備前を現代に甦らせました。代表的な作品は 栄螺蓋置 · 備前三閑人蓋置 · 備前茶入 · 備前筒花入 · 備前種壷水指 · 備前三角花入 · 備前三角茶入 · 備前擂座花入.などが挙げられます。
この作品は陶印が比較的短めの「ト」になっていることから、昭和30年前後に制作された金重陶陽の晩年期の作品であると思われます。作品中央部には珍しく「玉」の文字が彫り込まれており、たっぷりと掛かった胡麻などを見るに特別な湯呑であると思われます。作品の片面を覆い尽くした胡麻は黄胡麻とカセ胡麻の中間のようになっており、緑色と黄色の織り混じった複雑な色合いが大変味わい深いです。ベースとなる土も金重陶陽先生らしいこだわり抜いた土を使用しており、外周部では胡麻の色味を引き立てるビターチョコの色合い、内側では外周部よりも一段と明るくなった紫蘇色や緋色など実に多彩な色合いが楽しめます。高台はいつもの金重陶陽先生らしく自然体ながらも、三日月高台として中央部をずらしており、流れるような削り口が実に鮮やかです。
1896年 岡山県備前市伊部に窯元・金重楳陽(槇三郎)の長男として生まれる。本名は勇
1910年 伊部尋常高等小学校卒業後、父について備前焼の道に入る
作風は細工物から茶陶へと向かう
1932年 ロクロ成形にも工夫をこらし、1941年にはほぼ完成
1942年 川喜田半泥子、荒川豊蔵、三輪休和と「からひね会」を結成する
1949年 備前窯芸会を結成
1952年 備前焼の技術で国から無形文化財に選択される
1955年 日本工芸会の設立に参加
1956年 重要無形文化財保持者に指定される
1960年 山陽新聞文化賞、岡山県文化賞を受賞
1962年 日本伝統工芸展審査委員
1964年 二度に渡りハワイ大学の夏期講座に講師として招かれる
1967年 天皇、皇后両陛下備前町行幸啓の際には御前制作
勲四等旭日小綬章授章。72歳で死去
◎作品紹介
(備前耳付花入)
(備前筒茶碗)
(備前酒呑)
(黒織部茶碗)
(備前酒呑)
(酒呑)
(備前福寿花入)
(備前酒呑)
(備前緋襷酒盃)
(備前三猿蓋置) 他多数
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