■荒井寛方(あらいかんぼう)
日本画家の荒井寛方は1878年(明治11年)に栃木県の氏家町に生まれた仏画家です。生家は紋所や提灯の上絵を描くのを生業としていましたが、父が南画を学んでいた影響で21歳の頃に上京し、浮世絵の大家である水野年方の弟子となります。 その後、仏画模写の仕事を通じて画家として修練を積みます。この頃、木版口絵も描いています。第一回文展に「菩提樹下」が入選し、第二回から第四回展まで連続受賞します。この頃巽画会や紅児会にも参加し、原三渓の庇護を受けています。作品は物画家でもありますが日本の昔話を彷彿させるタッチと色遣いもありとても親しみやすい作品が多いですね。厳かかつなつかしさに溢れた作品が多いと思います。
[略歴]
1878年(明治11年) 栃木県に生まれる
1899年(明治32年) 水野年方に入門 同門に鏑木清方、池田輝方、大野静片等がいた
1900年(明治33年) 師年方より「方」の文字を受け「寛方」とする
1901年(明治34年) 第10回日本絵画協会展に初出品 2等褒状、続く秋の11回展でも2等褒状
1902年(明治35年) 美術雑誌社「国華社」に入社、これより44年まで勤める
1907年(明治40年) 第1回文展で初入選 この頃より原三渓の保護を受ける
1914年(大正3年) 第1回再興院展に入選
1915年(大正4年) 第2回再興院展に出品した≪乳糜供養≫が高く評価され、同人に推される
1916年(大正5年) インドの詩聖タゴールが来日する。タゴールが創設した学園の絵画教授としてインドに招かれる
1917年(大正6年) 10月8日~11月27日 仏跡巡り(カルカッタからマドラス、バンガロールなど)
1918年(大正7年) 3月2日、アジャンタ壁画模写を完了 5月31日帰国
1919年(大正8年) 第6回再興院展へ出品、その独特な色彩が話題となった
1925年(大正14年) 両陛下銀婚式奉賀のため台湾風俗を描くように委嘱され台湾へ赴く
1930年(昭和5年) 4月、ローマでの日本美術展覧会に出品
1931年(昭和6年) 大観帝室技芸員となる
1940年(昭和15年) 9月、法隆寺金堂壁画修復模写
1945年(昭和20年) 66才にて逝去
◎作品紹介
『 竹林の聴法 』
『 阿弥陀 』
『 暮れゆく秋 』
『 乳糜供養 』
『 一遍上人 』
『 稚児文殊 』
『 景雲餘彩 』
『 瑞彩 』
『 玄奘と太宗 』
『 羅浮仙 』
『 横山大観還暦祝画帖 』
『 どんど焼 』
『 龍虎 』
『 富岡製糸場行啓 』
『 筑波山図 』
『 観世音菩薩 』
『 観世音菩薩 』
『 観音摩利耶 』
『 竜頭観音 』
『 横山大観喜寿祝色紙 』
『 観音図 』
『 小野道風 』
『 春秋山水 』
『 天地和平 』
口絵
- 「袴垂保輔」 桃川実作 三芳屋版 明治35年
- 「鬼童丸」 桃川実作 三芳屋版 明治36年
- 「笊屋名主青砥政談」 三芳屋版 明治36年
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