■池大雅(いけのたいが)
池大雅は18世紀に活躍した文人画家です。1723(享保8)年、京都の町人の子として生まれますがその才能は早熟で、7歳のときに万福寺で書を披露し絶賛されています。37(元文2)年、亡き父の通称であった菱屋嘉左衛門を襲名し、扇屋を開きました。池大雅文人画といわれる分野で活躍しました。中国に端を発する「文人」たちは、幅広い教養と知識をもって国のあるべき姿を問うた人々です。彼らは互いに漢詩を送りあったり、共に書画を作りあげたりしながら、理想の国家、理想の生き方を論じました。大雅が生きた時代、日本でもまた地位や立場を問わず、文人たちは諸国を行き来して知見を深めていました。池大雅も中国の文人画に学びながら、同時代を生きる知識人たちと交わりました。禅僧との交流のなかで大陸の文物にふれていた大雅は、文人趣味の扇絵を描いていたといいます。この前後に柳沢淇園と出会い、絵を学びます。20代の模索の時代には、指頭画などにも挑戦しました。そして大雅は、自らの足で歩き実際に見た景色を数多く描き(真景図)20代半ばには、淇園の仲介により、13歳の木村蒹葭堂が大雅に入門した。池大雅は金銭には無頓着で、当時の文化人たちと親しく交遊し、自らの理想とする文人生活を送っていたとされています。まさに文化人にある理想の生活をしていますね。そして71(明和8)年に与謝蕪村と描いた《十便十宜図》は、日本近世の文人画の双璧による記念碑的合作です。尚、妻の玉瀾も文人画家でした。最近は中国の文人画家による作品が高価格で流通しています。池大雅のような日本の文人画家による南画風の絵画も高く買取できると思われますのでご自宅に中国風の掛軸や絵画がありましたら是非、ご一報ください。よろしくお願いいたします。
◎作品紹介
箕山瀑布図 延享元年(1744年)(22歳) 個人蔵 木村蒹葭堂旧蔵
指墨山水図 終南浄寿賛 延享2年(1745年)(23歳) 山種美術館
風雨起龍図 延享3年(1746年)(24歳) 個人蔵
柳渓渡涉図 延享3年(1746年)(24歳) 千葉市美術館
赤壁舟遊図 寛延元年(1748年)(26歳) 個人蔵
江山季秋図 寛延2年(1749年)(27歳) 個人蔵
陸奥奇勝図巻 寛延2年(1749年)(27歳) 九州国立博物館 (重要文化財)
赤壁図屏風 寛延2年(1749年)(27歳) 文化庁 (重要文化財)
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