■池上秀畝(いけがみしゅうほ)
池上 秀畝は、明治時代から昭和にかけての日本画家。特に山水・花鳥画を得意としました。明治21年(1888年)頃には、自ら「國山」の号を用い、自作に「圀山」印を押すようになります。
明治22年(1889年)15歳で小学校を卒業後、本格的に絵師になるために父と共に上京。瀧和亭、川辺御楯を訪ねるが父は気に入らず、結局親戚から紹介され当時無名だった荒木寛畝の最初の門人・内弟子となり文人画を学びます。一時は洋画も研究するが、これは寛畝がやめさせているそうです。明治39年(1906年)同じ門下生の大岡豊子(緑畝)と結婚し同年、詩画堂塾と称していた寛畝塾は、大正7年同志と共に新結社を発表し、文展審査に対抗の気勢を示し、これが文展改革の原因となつた。帝国美術院が創設されるや、日本画部の推薦となり、大正13年には帝展委員に任命された。その後引続き帝・文展に出品、「沼の雨」「渚の月」「秋雨」「老秋」などを出した。伝神洞画塾を主催して多数の門下を育てたが、太平洋戦争で自然解散する昭和17年まで続けられます。秀畝はその中心人物となりました。下の猪の作品は個人的にはとても大好きで水墨画のような柔らかな色彩と細やかさ、体毛の一本一本を立体的に描いているところなど生命感や躍動感も感じる作品です。こちらは元は掛軸でしたが額装に入れて飾っております。もちろん模写ですがとても存在感のある絵です。ありがとうございました。
◎作品紹介
秋色
初冬
晴潭
秋晴
夕月
峻嶺雨後
四季花鳥 ほか
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