■川喜田半泥子
川喜田 半泥子(かわきた はんでいし)は、日本の陶芸家・実業家・政治家でもあります。「東の魯山人、西の半泥子」、「昭和の光悦」などと称されております。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は「善太郎」といい号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等があります。実業家としては、河芸銀行、一志銀行、三重共同貯蓄銀行、百五銀行各頭取等を務めた辣腕の事業家でもあります。陶芸は趣味で、50歳を過ぎてから本格的に自ら作陶するようになったそうです。1933年には千歳山の自宅に窯を開き、本格的に作陶を開始しました。主に抹茶茶碗を製作しましたがその作風は自由奔放で破格と評されまた陶芸のほかに、書や画もよくしたが、あくまでも趣味としての立場を貫き、生涯にほとんど売ることはなく、出来上がった作品はすべて友人知人に分け与えたといわれております。余談ですが半泥子という名は号であり(本名は川喜田久太夫政令)、禅の導師から授けられたものです。「半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず」何にでも没頭し、泥んこになりながら、それでも冷静に己を見つめることができなければならない、という意味です。この方の作品はとても味わいのある土味が大好きで私も悔いの実を使用しています。とても持ちやすく手になじむぐい吞みです。作品のすべてがその場のアドリブのように感じたままの作りが手の取って判るほどです。ありがとうございました。
◎作品紹介
1 粉引茶碗 銘「たつた川」
2 伊賀水指 銘「慾袋」 1940(昭和15)年
3 黒織部茶碗 銘「富貴」 1940(昭和15)年頃
4 瀬戸唐津茶碗 1940(昭和15)年頃
5 四方香合 銘「早春」
6 茶杓 銘「乾山」 1941(昭和16)年
7 波和遊 1960(昭和35)年頃
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