■ 掛軸を買取ました!
■おはようございます。骨董品買取の福岡玄燈舎です。
一日中、雨の中掛軸と屏風のお見積りがありました。福岡市早良区の大きなお宅です。
伊万里の大壷や屋久杉の衝立もあるような大きな日本家屋でした。
今回は掛軸を中心に買取り致しました。山水画や書、美人画など30本ばかりの査定でした。
本日はその中の中国画、南画の掛軸についてお話しいたします。
中国絵画のひとつ、南宗画(なんしゅうが)に由来し、その略語とされています。
南宗画とは明時代に生まれた言葉で中国・江南地方の平坦な地形と温暖な気候風土のもとに生まれた山水画をいいます。これに対し、北宗画(ほくしゅうが)というものがあり、これは中国・華北地方の険しい山岳や岩山を硬い輪郭線で描いた峻厳な山水画を指しています。日本の画家たちが主にならったのが南宗画であったため、その略として南画という言葉が生まれたといわれていますが、実際にその言葉が使われ出したのは江戸末期ごろからのようです。中国を起源とする理想の山間風景、
憧れの隠遁生活、自由な仙境世界といった山水画。引用や自作の漢詩を添えて描かれるものが多く、詩書画が一体として味わえるのも見どころの画です。日本には江戸時代中期に伝わったとされ、池大雅(いけのたいが)と与謝蕪村(よさのぶそん)によって日本の風土に根ざした独自の画風が確立されたました。化政時代には浦上玉堂(うらがみぎょくどう)、田能村竹田(たのむらちくでん)、谷文晁(たにぶんちょう)など個性的な画家が輩出し、江戸時代末期に全国に広まりましたが明治時代になって、日本画界の理論的指導者となったフェノロサや岡倉天心(おかくらてんしん)らによる南画排撃運動が起こり、明治10年代末頃には衰微したとされています。
この掛軸は大分県出身の南画家で「帆足杏雨」という画家の掛軸です。帆足杏雨(ほあし きょうう、文化7年4月15日(1810年5月17日) – 明治17年(1884年)6月9日)は、幕末から明治時代に活躍した文人画家です。田能村竹田の高弟でもあり日本最後期の文人画家のひとりです。杏雨のほか鶴城・聴秋・半農などと号しました。
骨董品買取の福岡玄燈舎では書や美人画、山水画の掛軸を買取致します。査定や見積もりだけでも構いませんのでお問い合わせください。受付年中無休 電話050-3569-2100
★査定のポイント
●状態…汚れやしみの少ない掛軸に高価買取で期待できます。
●作家銘や作品銘の有無…在銘や落款や入手経路などが判る中国の掛軸、屏風には高価買取が期待できます。
●その他… 古い中国掛軸は人気です