■ 万年筆買取ました!骨董品/福岡
■先日は久しぶりの万年筆の買取でした。いつもは陶磁器や茶道具、掛軸などの古美術品が主ですが
昨日は福岡市東区でレトロな万年筆をお預かりいたしました。パーカーやモンブランなどが有名ですが
国産万年筆も負けておりませんよ。写真は「プラチナ」万年筆です。ペン先は14k、モデルは「#3776」モデルです。発売当時はとても高級品で手が出ませんでした。下は社歴です
第一次世界大戦が終了した
翌年の1919年(大正8年)に
岡山県で輸入万年筆の
販売業を営んでいた中田俊一が
東京・上野で中屋製作所を創業。
更に太平洋戦争開始直後の1942年、
金属の王様「プラチナ」を冠した
プラチナ万年筆株式会社に改名し、
第二の創業に踏み出す。
2代目社長・中田俊弘が
美しい日本文字の為の万年筆を
作ることを目的に
ミスター万年筆こと
作家の梅田晴夫に協力を依頼。
プラチナ万年筆の#3776は1978年に登場したロングセラーです。作家で万年筆コレクターでもあった故梅田晴夫氏を中心とする研究グループを作り、理想の万年筆を目指して開発されました。梅田氏は30年の間、毎月平均180枚の原稿を万年筆で書き続けていたその経験を生かし、所有していた1000本の万年筆を研究して導いた条件を製品に反映していたそうです。さらに1日平均30枚の原稿を執筆する作家50人に試用してもらいながら試行錯誤を繰り返すなど、理想の書き心地に徹底してこだわったモデルでした。尚、「3776」にはペン先(ニブ)には富士山と
3776の数字、ハートマークのデザインがあしらわれいます。
骨董品買取の福岡玄燈舎ではレトロな万年筆を買取致します。査定や見積もりだけでも構いませんのでお問い合わせください。受付年中無休 ■ 木彫りの熊買取ました!骨董品/福岡
その他の買取品…北海道民芸品の木彫りの熊を買取りました。
とても大きな一刀彫の熊です。ノミの跡がとても鋭く触ると痛いくらいの見事な彫刻です。
約40cmほどの白木の熊です。鮭を咥えているものや吠えている熊もあるようですが今回の買取品は
ふつうの木彫り熊でした。在銘もありますが解読できませんでした。たぶん「中里自寛」さんと思われますが…
木彫りの熊(きぼりのくま)は、クマを象った木製の民芸品です。主に北海道で製造され、代表的な北海道土産として日本全国的に知られています。木彫り熊、木彫熊とも呼ばれ、かつては熊彫とも呼ばれた時があります。
代表的なデザインは、四つんばいになったヒグマが鮭をくわえているものですが、現在では様々なデザインが存在しています。熊の硬くて太い剛毛を表現する為、表面は主に手斧づくり風に彫刻加工されているのも、共通の特徴ですね。
土産物としての北海道の木彫り熊のルーツはスイスにありました。それを尾張徳川家の当主が産業として北海道へ持ち込み、農民たちの冬の副業として行われるようになります。スタートは大正時代で、歴史はまだ100年に満たず、もともとは鮭を咥えていなかった(イメージしにくいかもしれないが、鮭は咥えるより、むしろ”背負う”ものだった)そうですね。毛を細かく彫らず面だけで構成されたモダンな作風の熊もあり、英国の陶芸家バーナード・リーチが所有していた可能性を示す資料も残っているそうです。
デザインもいろいろあり…
・毛を彫った熊と、面で構成された熊の2つの彫り方がある。
・形の特徴として、鮭を咥えた形はとても少なく、人間らしい姿をした=擬人化した熊が多い。
・毛を彫った熊は、足の横でハの字状に毛分けがされ、両肩の間の盛り上がったところから毛が放射線状に流れている。
・面で構成された熊は、斧やくさびで割った面を重視した柴崎彫り(ハツリ彫り)や、斧や小刀でカットした面で構成するカット彫りなど種類が豊富。
・毛でも面でも、いろいろな姿の熊が作られているが、昭和3年の時点で30種類ほどの多種多様な姿があった。などなどです。
他の特徴は、スイスの熊の目はガラスを使っているのに対し、八雲では釘で代用しているとのこと。…でした。
骨董品買取の福岡玄燈舎では木彫りの熊や工芸品を買取致します。査定や見積もりだけでも構いませんのでお問い合わせください。
◎その他の買取品…こんにちは骨董品買取の福岡玄燈舎です。今回は福岡市東区に出張買取にお邪魔いたしました。
大きな屏風や掛軸、銀杯や茶道具、硯や仏像など様々な骨董をお預かりいたしました。
写真はその中の小さな置き時計です。アンティークな時計がたくさんあります。
お父様のコレクションということでしたが古い割には状態もよくドイツやイギリス、フランスなどの
ヨーロッパの物が多かったようです。残念ながら半分は動きませんでしたのでインテリアになりました。
その一つの「アンソニア」というメーカーの物があります。
アメリカの大手時計会社・アンソニア(ANSONIA)の歴史は1854年に時計の製造を始めたことから始まりました。社名の由来はその地名(コネチカット州ニューヘイブンのアンソニア)と言われています。まもなくアンソニアの時計はその精巧と頑丈さで評判を呼び、当時の大手時計メーカー、イングラハム、セストーマス、ウォーターベリー、ウェルチなどと並ぶ企業に成長していきました。そして1879年にはニューヨークへ移転。日本には文明開化を遂げた明治時代に輸入され、明治期に最も多く入ってきた時計はアンソニアのものと言われています。世界中にファンを抱えるアンソニアでしたが1890年には工場火災に遭い、1929年にはロシアに買収され、その歴史の幕は閉じられました。それから85年を経た現在も、多くのコレクターに愛されています。
商品は主に高級なクラスの掛け時計や置き時計が数多く製造され、
木製ケースや鉄製、大理石や陶磁器製など、多彩で数多くのモデルが生産されています。
最盛期は世界中に数多く輸出されていたそうです。日本にも明治時代には多く輸入されていたそうで、当時の日本の時計メーカーが、アンソニアの”A”マークを信頼の証しとして、こぞってコピーしていたそうです。
骨董品買取の福岡玄燈舎では置き時計や腕時計を買取致します。査定や見積もりだけでも構いませんのでお問い合わせください。受付年中無休