福岡市中央区でペコちゃん人形を買取りました!

昭和レトロなペコちゃん/骨董品の買取は福岡玄燈舎
昭和レトロなペコちゃん

◇【出張骨董品査定・福岡市中央区篇】

~ウキウキワクワク、時々しんみり、そしてペコちゃん~

いよいよ今年もやってきました、ゴールデンウィーク。
世間ではリゾートだ海外旅行だと浮かれているが、こちらはというと、むしろ血がたぎる黄金週間である。
なにせ「お宝ハンター」としての本能が、かつてない勢いで覚醒する季節なのだ。
頭の中では、シュルシュルと古地図が巻き戻され、目の前の世界がすべて「宝島」に見えてくる。
犬の散歩で通りかかった古びた町家さえ、「さては裏から弥生式土器でも出るんじゃあるまいな」と、ワクワクする始末。

そんな折、飛び込んできたのが今回の骨董出張査定の依頼。
場所は、福岡市中央区某所。
中央区といえば、おしゃれなカフェとマンションのイメージが先行しがちだが、実は戦中から続く由緒正しい住宅地もひっそりと残っている。
「このあたりは戦争中、疎開地だったんですよ」と、地元の古老に聞いたことがある。
すなわち、元・お金持ちエリア。
つまり、イイモノが眠っている確率、大。

さて、指定された一軒家に到着すると、外観からして只者ではない。
門柱の上に載った獅子像が、何かを訴えかけているようだ。
(オイ、ちゃんと目利きできるんだろうな?)とでも言っているのか。
玄関に入ると、もうそこから文化の香りが鼻をくすぐる。
漂うのは、加齢臭ではない、年代物の香気。
「こりゃあ、期待できそうだ」と、査定士魂に火がつく。

案内された応接間に入った瞬間、まず目に飛び込んできたのは、どデカい油絵。
しかも三点セットで、壁からこちらを睨みつけている。
「どーだ、参ったか」と言わんばかりの風格。
床には、うっかり蹴飛ばしたら一巻の終わりなアンティーク絨毯。
さらにその向こうには、ズラリと並ぶ陳列ケースが三台も。
中には、バカラ、ウエッジウッド、マイセン、ティファニー…世界のVIPたち御用達の洋食器たちがギュウギュウ詰めで収まっている。

思わず「うひょー」と声が漏れる。
……が、浮かれてはいられない。
文化財級のブツたちを前に、ここで小躍りしたら戦う前に負け。

慎重に、慎重に、ひとつずつ査定開始。
カチャッ、コトリと音を立てないように食器を持ち上げ、指先でリムの厚みを確かめる。
バックスタンプを虫眼鏡で覗き込み、年式とシリーズを突き止める。
「これは1890年代のマイセン。これは1920年代のティファニー……」
アタマの中では、最新の骨董データベースがフル回転。
自前の「脳内クラウド」が火を噴く勢いだ。

ふと顔を上げると、床の間には、なんと日本刀が!
しかも、適当に置かれているわけではない。
白木の刀掛けに、品良く二振り。
「こいつは……江戸後期の脇差か? いや、もっと古いかも……」
またしてもアドレナリンが湧き上がる。

それだけではない。
脇の座敷には、古びた掛軸が何本も立てかけられていた。
「山水図、達磨図、花鳥図……ふむふむ」
どれも中国明末~清初期の作風。
ああ、もうダメだ、鼻血が出そうだ。

さらに、さらに。
ケースの奥には、これまた精緻な彫刻仏像や、ガンダーラ地方の古布まで!
乾いた大地の匂いが漂ってきそうな、悠久の時を感じさせる一品たち。

結局、査定はまるまる一日がかり。
昼飯もそこそこに、気力と集中力を振り絞り続ける。
夕方、ようやくすべての査定が終わったときには、足も腕もガクガクだった。
だが、苦労の甲斐あって、かなりの高額査定を提案できた。
お客様にも大変満足していただき、晴れて買取成立。

いやはや、充実感でいっぱいだ。
まるで、無人島で一攫千金の財宝を掘り当てた気分である。

さて、ここからが本題だ。
そんな豪華絢爛なお宝の中で、今回とりわけご紹介したいのが——

「不二家のペコちゃん人形」!

えっ? と思ったあなた。
気持ちは分かる。
だが、骨董の世界では「ギャップこそ正義」なのだ。

このペコちゃん人形、実は昭和30年代初期の逸品。
いわゆる店頭用ディスプレイに使われていたもので、プラスチック製の小ぶりなタイプではない。
当時の流行り、ソフトビニール素材。
顔のペイントも、現代のつるっとした量産品とは違い、なんとも素朴で、愛嬌がある。

じつはこのジャンル、私の大好物でして。
アンティーク食器や古美術品に囲まれていながら、心はこのペコちゃんに一直線。
利益度外視で、つい「エイヤッ」と高めの買取価格を提示してしまったのである。

(まあ、いいじゃないか。好きなものには、財布の紐も甘くなるってもんだ)

ペコちゃんは、まるでニヤリと笑ったようだった。

この時代の人形、いまや市場でもめったに見かけない。
経年でゴムが硬化し、割れたり変色したりしてしまうため、状態の良い個体は極めて希少。
しかもこの子、右頬に小さな擦れ傷はあるものの、割れもなく、立派に「昭和の生き証人」としての風格をたたえていた。

これだから、骨董はやめられない。

バカラやマイセンも素晴らしい。
だが、昭和の町角を彩ったペコちゃんもまた、かけがえのない文化財なのである。
(個人的には文化庁に一席設けてほしいくらいだ)

さて、今回の査定旅、締めくくりにふさわしい一句を。

「油絵も マイセン越えで ペコ笑う」

——おあとがよろしいようで。

日焼けしたペコちゃん/骨董品の買取は福岡玄燈舎
日焼けしたペコちゃん

 

買取品の詳細

◇この「不二家のペコちゃん」は昭和30年代のものでスフとビニール製。そして特筆は台座が木製ということです。しかも顔の表情が現代の可愛い物とは違い少し怖い?ビクター犬やキューピー人形も同じですが古ければ古いほど顔が怖いですね。状態はやはり70年ほどの前の物なので全体に変色していて色落ちもかなりあります。台座の木も塗装は剥げています。

買取査定額

 

書体もエンボスです/骨董の買取は福岡玄燈舎
書体もエンボスです

◆ペコちゃんの買取査定額もしくは評価額ですがまず。時代で古ければ古いほど高価です。次に大きさや状態。さらには材質がセルロイドや台座が木製の物は高価買取が可能です。ご自宅や倉庫にペコちゃんや企業物、ブリキのおもちゃがありましたら是非、骨董品買取の福岡玄燈舎にお声掛け下さい。宜しくお願い致します。

 

 

 

■過去の作品買取例

不二家ペコちゃんソフビ木台店頭用 700,000円
店頭用 大 エンゼルペコちゃん     500,000円
ランドセル ペコちゃん 不二家 増田屋 全長38cm箱付き350,000円
不二家 ハイカップ ペコちゃん 150,000円 他多数

不二家ペコちゃんとは?

■誕生秘話──戦後の希望をくわえた少女

ペコちゃんの誕生は、1950年(昭和25年)。
まだ日本中が戦後の混乱から立ち直ろうともがいていた時代、不二家の創業者・藤井林右衛門の孫にあたる藤井深造氏が、「子どもたちに夢を与えるシンボル」を作ろうと考えたのが発端でした。
当時、不二家はクリスマスケーキの普及活動に力を入れており、欧米文化への憧れを背景に、「西洋風のかわいい女の子」をマスコットにすることで、ブランドイメージを浸透させようとしたのです。

ちなみに、ペコちゃんの「ペコ」という名前は、「お腹がペコペコ」の「ペコ」から来ています。食欲とかわいさを結びつける、非常にシンプルかつ巧妙なネーミングでした。

■モチーフ──実はアメリカのあの子?

ペコちゃんのデザインに明確なモデルが存在するかどうかは公には語られていませんが、一部マニア筋では、「シャーリー・テンプル」にインスパイアされた説が有力です。
シャーリー・テンプルは1930年代〜40年代にかけてハリウッドで大人気だった子役女優で、くるくるカールの金髪、ふっくらほっぺ、愛らしい笑顔が特徴。
戦後の日本ではアメリカ文化が一大ブームになっていたため、彼女のイメージを下敷きに、「より日本人受けするデフォルメ」を加えたのではないか、と考えられています。

■ 特徴まとめ

  • 年齢設定:永遠の6歳

  • 出身地設定:不明(いくつかの設定では「ミルキー星」とも)

  • 性格:明るくてちょっと天然

  • 好きな食べ物:もちろんミルキー!

■素材の変遷──「あの質感」はこうして生まれた

当初のペコちゃん人形は、なんと紙製でした。
硬い紙を貼り合わせ、石膏を使ってコーティングし、手作業で彩色していました。いわばハンドメイドのアート作品だったのです。

その後、徐々に素材は進化していきます。

 

年代 素材 特徴
1950年代 石膏+紙 手作業、非常に壊れやすい
1960年代 FRP(繊維強化プラスチック) 耐久性大幅アップ、重さはそのまま(ソフトビニール)
1970年代〜 軽量樹脂 運搬・設置が容易に。経年劣化もしにくくなる
現在 ポリストーン+FRP 精密な塗装が可能、耐候性も向上

特に、FRP化(ファイバー強化プラスチック)は、全国展開にとって革命的でした。
軽い、壊れにくい、そして量産できる──ペコちゃんは”看板少女”から”日本全国のアイドル”へと飛躍を遂げたのです。

■大きさバリエーション──「普通じゃないペコちゃん」たち

いわゆる店舗用ペコちゃん人形の一般サイズは身長約90cm〜120cm
これは「子どもが自然に親近感を持てるサイズ感」を狙ったためだと言われています。
が、実はそれ以外にも「裏メニュー」として以下のバリエーションが存在しています。

  • ミニペコちゃん(30cm〜50cm):イベント用、景品用…今回の買取品はコチラです。

  • 巨大ペコちゃん(2mオーバー):デパート催事用、撮影イベント用

  • 座りペコちゃん(膝を曲げて座ったポーズ):ショーウィンドウ用

  • ハロウィン・サンタコスプレ版:季節限定ディスプレイ用

ちなみに、超巨大ペコちゃんは、一体設置するだけでクレーン車が必要になることも。
大掛かりな「ペコちゃん引っ越し作戦」が行われると、地域のニュースになることもありました。

■販促場所の工夫──ただ立ってるだけじゃない

ペコちゃんが立っている場所といえば、もちろん不二家のお店の前。
しかし!
マニアックなところでは、以下の場所でも活躍していたのです。

  • 百貨店催事場:バレンタイン、クリスマスなど季節イベントの特設コーナー

  • 駅ナカ売店:特に地方駅では、不二家提携の小規模ブースにミニペコが配置

  • 遊園地:かつて存在した「不二家ファミリーランド」では、アトラクションのキャスト役も

  • 映画館ロビー:タイアップ映画上映時にロビーでキャンディ配布ペコ

  • 結婚式場:ペコちゃんドールを「ウェルカムドール」に使うプランも一部存在

ペコちゃんは、いわば「動かない営業マン」。
無言で、しかも圧倒的なかわいさで、お客さんを店内へと誘導してきたのです。

ちなみに一番多いのは「首ふりペコちゃん」というバージョンで、今回の買取品もこのタイプ。

これがまた無限に可愛い。
バネ仕掛けで頭をふわふわ揺らしながら微笑みかけるその姿──
思わず予定になかったケーキまで買ってしまう罪な小悪魔だったのです。

■さらにマニアックに!

最後に、ペコちゃんにまつわる「知る人ぞ知る」小ネタをお届けします。

  • ペコちゃんにはがいた(設定だけ)。名前はポコちゃん。(たまに入荷いたします)

  • 一時期「ペコちゃん誘拐事件」が社会問題になった(盗難多発!)。

  • ごく短期間、「着せ替え可能なペコちゃん」が店舗に置かれていたことがある。

  • 地域によって、微妙に制服(ワンピースの色や模様)が違う時期があった。

  • ペコちゃんには「裏顔」として、おすましペコちゃん(舌出し無しバージョン)も存在する。(私はであったことはありませんが…)

特に「ペコちゃん誘拐事件」は、熱狂的なファンが深夜に人形を盗み出してしまうというもの。
これに対応して、不二家本部は「ペコちゃん防犯マニュアル」を作成し、ワイヤー固定などの措置を取ることになりました。いかにペコちゃんが「ただの看板娘」ではなく、「守るべきアイドル」だったかがわかるエピソードです。

頭のねじはお約束の2本です/アンティークの買取は福岡玄燈
頭のねじはお約束の2本です

不二家について

■創業の地は横浜──「文明開化」と共に生まれた

不二家の始まりは、1910年(明治43年)。
創業者・藤井林右衛門(ふじい りんえもん)によって、横浜元町に小さな洋菓子店が開かれたのがすべての始まりです。
当時、横浜は「文明開化の窓口」。西洋文化がいち早く流入していたこの街で、藤井林右衛門は「日本人のための洋菓子」を作ろうと夢を抱きました。

店名の「不二家」は、「不二=富士山のように日本一を目指す」という願いから命名されました。

■日本初!クリスマスケーキを広めた男たち<

1922年(大正11年)、不二家は日本で初めてクリスマスケーキを本格的に売り出します。
それまでは、クリスマスと言っても庶民にはなじみのないもの。
しかし不二家は「一家に一つ、クリスマスケーキを」というスローガンを掲げ、広告展開しながら洋菓子文化を根付かせていきました。

いま私たちが「12月にはケーキを食べる」と思う習慣、あれ、不二家のおかげなんです!

■ミルキー爆誕とペコちゃんの誕生(1950年代)<

戦後、日本は焼け野原からの復興期。
不二家も例外ではなく、工場は空襲で焼失。しかしすぐに立ち上がります。

1950年、名作キャンディ**「ミルキー」が発売。
このミルキーのイメージキャラクターとして誕生したのが、みんな大好き
ペコちゃん**!

「ミルキーはママの味♪」のコピーと、ぺろっと舌を出した愛らしいペコちゃんは、たちまち子どもたちの心をつかみ、ブランドの象徴となりました。

ちなみに「ミルキー」は、日本初のコンデンスミルク入りキャンディだったんですよ。

■全国展開、そしてレストランへ

高度経済成長期に入り、1950〜60年代、不二家は本格的な全国展開をスタート。
洋菓子店だけでなく、ファミリーレストラン業態にも進出します。

「不二家レストラン」は、ケーキだけでなく洋食も楽しめる店として人気に。
中でも「不二家のプリンアラモード」は当時の子どもたちの憧れでした。

この時期、不二家は「お菓子とごはん、両方の夢」を同時に売る、ちょっと特別な存在になったんです。

■時代の波──バブルとその後

1980年代、バブル経済の絶頂期。
不二家も高級志向の商品を次々に打ち出し、百貨店や高級スーパーにも進出。
ペコちゃんグッズもこの時期に「コレクターズアイテム」として確立していきました。

しかし、バブル崩壊後の90年代、不二家は経営面で苦戦します。
さらに2007年、期限切れ原材料問題が発覚。不二家は一時、信頼を大きく失い、店舗閉鎖やブランド縮小を余儀なくされました。

この時期、ペコちゃんの笑顔が涙ぐんで見えたファンも多かったはずです。

■復活と再生──そして今

2008年、不二家は山崎製パンの傘下に入り、経営再建へ。

◎関連、参考サイト

台座は木製です/骨董品の買取は玄燈舎
台座は木製です
  • 銀座ペコちゃんミュージアム

    東京・銀座の不二家銀座ビルでは、創業100周年を記念して「ペコちゃんミュージアム」が期間限定でオープンしました。このミュージアムでは、歴代のペコちゃん人形や関連グッズが展示され、来場者との対話が可能な「ペコちゃんロボット」も登場しました

  • 不二家

 

■その他の買取品目

 

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