福岡市中央区で北村西望さんの彫刻作品を買取りました!

◇銀の牛と雨の縁側 〜梅雨どき骨董記〜
いやはや、とうとう今年もこの季節がやってきましたな。紫陽花の青もむしろ哀愁を帯びて見える梅雨入り宣言、しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん。…昭和か?
例年なら春のそよ風が「どうぞ」と戸を開けてくれる頃なのに、今年は春が一瞬の挨拶で立ち去ってしまいまして、気がつけば雨のカーテンが日本列島をすっぽり包んでおる。こうなるとアレですね、夏が来たと思ったら、秋のふりもせず冬が背後から「どすこい」と現れる、そんな乱暴な四季の巡り方。まったく最近の季節は、角の取れた豆腐?みたいに崩れやすい。ま、そんな気候に小言を言いつつも、ワタクシども骨董屋稼業、雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、今日も傘さし出動でございます。
今回のご依頼は、福岡市中央区。町もすっかり都会の顔つきですが、一本裏通りに入ると、昔ながらの瓦屋根がちょこっと残っていたりして、いまも懐かしさがちらほら顔を出す街であります。
お伺いしたのは、いかにも「文化の香り」がするお宅。玄関を入った瞬間、靴を脱ぐのが申し訳ないほど立派な畳の香りが鼻をくすぐります。和室に通されれば、そこはまさしく骨董の百貨店。いかにも高そうな茶道具に掛軸、御人形、鍋島の花瓶、古伊万里の大皿が所狭しと並べられており、ワタクシなど「これは目の毒でございますな」と心の中で唱えました。お宝を見て目がくらむのは、骨董屋の職業病でございます。
まずは煎茶道具の一揃え。急須の釉薬の光り方、蓋の合わせ具合、銘の風情に頷きながら、あれこれと手に取り拝見。ふむふむ、これはなかなかの逸品。次いで掛軸を拝見。近代の文人画あり、南画風の山水あり、中には「これ、中国の漫画家が描かれたのでは?」と首をかしげる珍品も混じっておりましたが、これもまた味わい。
そしていよいよ鍋島焼の花瓶と古伊万里の大皿に取りかかる。鍋島は青磁の発色が見事で、しかも高台の処理が丁寧。古伊万里の皿は、染付の余白が美しい江戸後期のもの。これはもう、お家にあるより博物館の方が幸せかもしれませんよ、と奥様に申し上げると、「うちはもう物が多くて困ってるのよ」と苦笑い。
そんなこんなで査定も無事終わり、価格をご提示したところ、「まあまあ、そんなになるの」とご主人も驚いた様子。やはり目利きの道は一日にして成らず、こちらもにこやかに「ご納得いただけて何よりです」と頭を下げ、骨董の山をひとつひとつ丁寧に車へと運び込みました。
ところがその時でございます。縁側の方から「ちょっと待って、もう一つ、大事なものがあるの」と奥様の声が飛んできた。なにやら急に声のトーンが変わったような気がして、こちらも「おや?」と足を止めました。

「ちょっと重たいのよ」とおっしゃるので、これはまた壺か仏像か、と心の中で推理しつつ居間へ戻りますと、なんとそこに鎮座ましましておりましたのは——銀の牛でございます。
ただの置物じゃございません。見事な造形、筋骨隆々、しっぽもピンと上を向き、今にも「モー」と言いそうなリアルさ。これはただ者ではないと、そっと裏面を見ましたら、そこにはあの名匠、「北村西望」の刻印が!
思わず「おぉっ」と声が漏れたのはワタクシだけではありません。奥様も「やっぱりいいものなのね」と、どこかホッとしたご様子。聞けば、戦後間もない頃にご親族が贈答用として受け取ったもので、ずっと飾ったままになっていたとか。埃もかぶらず大事にされていたことに、こちらも思わず背筋が伸びます。
重さを量ってみますと、ずっしり4キロ。これは間違いなく純銀。加えて北村西望ということで、美術的価値も重量級でございます。

「これは……お宝です」と申し上げ、しばし沈黙の後、お値段を口にしました。すると奥様、目をぱちくり、「えっ、そんなになるの?」と声を上ずらせておられましたが、即決で商談成立。やはり名品というものは、持ち主さえも驚かせる魔力を持っているのですな。
最後にもう一度縁側でお茶をいただき、「こういうものって、誰かが大事にしてくれるなら、手放しても気持ちが軽くなるのね」と奥様。こちらも「次の持ち主がまた、大切にしてくださると思います」と頭を下げつつ、雨の中を車で帰路についたのでした。
車内では銀の牛が助手席で大人しくしており、まるで「いい旅を頼んだよ」と言っているような面持ち。ワタクシも思わず、「あんたも名残惜しいだろうけど、次の牧場でも可愛がってもらいなさいよ」と話しかけた次第。かくして、梅雨空の下、またひとつ名品が旅立っていったという、骨董屋あるあるの一日でございました。
この純銀製の牛については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細
◇この純銀製の牛は作品名として「彫刻 牛に題す 草原陽福」とあり当時してもとても高価で新築祝いや記念品として贈答されていたようです。しかも今回の買取品は重さが実に4㎏超えなので地金の価格でも高価です。傷もなく共箱入りで大変、大事に保管されていたようでそのような大切なものを御預かりさせて頂いて大変、光栄です。ありがとうございました。
買取査定額
◆北村西望さんの作品の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に人気作品と素材。製作年代、次に状態、付属品の有無などでより高価買取&できます。なお、今回買取した「牛に題す」は純銀製で状態もよく、しかも付属品や元箱なども揃っているということで高価買取させていただきました。ありがとうございました。尚、ご自宅や倉庫に彫刻やブロンズなどがありましたら是非、骨董品買取の福岡玄燈舎にお声掛け下さい。宜しくお願い致します。
■過去の作品買取例…

北村西望作 聖観世音像 銀製 48cm 箱付 400,000円
北村西望『将軍の孫』ブロンズ像 300,000円
北村西望・作、純金箔仕上げ聖観音像 箱付き 250,000円
北村西望 銀製「戦陣薫風」150,000円 他多数
◇北村西望とは…

〇北村西望は、1884年(明治17年)に長崎県南高来郡口之津町(現在の南島原市)に生まれました。幼少期から絵画や彫刻に強い関心を持ち、地元の自然や人々の姿をスケッチする日々を送ります。父は郡役所の書記を務める実直な人物で、西望の几帳面さや誠実さはこの家庭環境に育まれたとも言われています。
若き日の西望は、東京美術学校(現在の東京藝術大学美術学部)彫刻科に進学し、高村光雲や平櫛田中といった明治の巨匠たちから薫陶を受けました。在学中から頭角を現し、優れた写実力と人間表現への強い意欲を評価されます。彼の彫刻は、単なる写実を超えた精神性と、内面の深さを表現しようとする試みが特徴です。
■ 彫刻家としての歩みと受賞歴
北村西望の作風は、初期こそ日本的写実に立脚していたものの、次第に西洋彫刻の技法や量感を取り入れ、力強く生命感のある作風へと発展していきました。彼の作品はしばしば「重厚」「荘厳」「祈り」といった語で語られます。
1921年(大正10年)には「怒濤」で第3回帝展にて特選を受賞。これは彼の名を世に広めるきっかけとなりました。その後も「将軍乃山」(1932年)などで注目を集め、1934年には帝国美術院会員、1937年には帝室技芸員に任命されます。太平洋戦争を経ても、戦後は芸術による平和の希求を胸に制作を続けました。
特に、1955年に完成した長崎・平和公園の「平和祈念像」は、戦後日本を代表する記念碑的作品として世界中に知られています。この像の制作に際しては、戦災を受けた長崎市の復興と平和への願いが込められ、多くの国民の共感を呼びました。
その功績により、1958年に文化勲章を受章、文化功労者にも選ばれました。また、1981年には国民栄誉賞の候補にも挙げられました(実際の受賞はならず)。
■ 代表作品
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平和祈念像(1955年、長崎)
右手を天に向けて核兵器の脅威を、左手を水平に伸ばして平和を象徴するポーズは、多くの人々の心に平和のメッセージを残します。完成まで10年以上を要したこの作品は、北村芸術の集大成とされています。 -
怒濤(1921年)
帝展特選を受けた作品で、波にもまれる男の姿を通して自然の脅威と人間の気迫を表現した作品。力強い造形とドラマチックな構成が高く評価されました。 -
将軍乃山(1932年)
相撲を題材にした彫刻。相撲力士の堂々たる体躯と静かな威厳が表現されており、昭和初期の彫刻界に大きな影響を与えました。 -
東洋の母(1970年頃)
仏教的慈愛に満ちた女性像で、母性と人類愛の理想を象徴する作品。彼の晩年の精神的成熟が反映されています。
■ 弟子と後進の育成
北村西望は、東京美術学校や日展を通じて多くの弟子を育てました。特に代表的な弟子には以下のような人物がいます。
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佐藤忠良(さとう ちゅうりょう)
戦後日本を代表する写実彫刻家のひとり。西望の教えを受けながらも、独自の柔らかく温かな人物表現を発展させました。 -
圓鍔勝三(えんつば かつぞう)
力強い造形感覚と精緻な仕上がりで知られる彫刻家。北村の量感表現を学び、自身の作風へと昇華させました。
■ ライバルや同時代の彫刻家たち
北村西望と同時代に活躍した彫刻家の中には、彼とは一線を画しながらも互いに影響を与え合ったライバル的存在が多く存在します。
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朝倉文夫(あさくら ふみお)
写実彫刻の先駆者であり、朝倉塾を設立して多くの弟子を育てた名匠。静的な美を重んじる朝倉と、力動的な造形を志向する西望とは対照的でありながら、彫刻界を二分する存在でした。 -
平櫛田中(ひらくし でんちゅう)
木彫を主とする仏教的な作風で知られた巨匠。西望とは精神的な近さもあり、互いに尊敬し合っていましたが、アプローチの違いがそれぞれの個性を際立たせました。 -
高村光太郎(たかむら こうたろう)
彫刻家であり詩人。西望とは違い、ロダンに影響を受けたモダンな作風で一線を画しました。芸術に対する姿勢や思想の点で対比的な存在です。
■ 晩年と遺産
北村西望は、100歳を超える長寿を全うし、1987年に102歳で逝去しました。その間も創作を続け、「百歳現役」を地で行く人生は、まさに「祈りと力」の象徴であったと言えるでしょう。
彼の作品は全国の公共施設や美術館に多く所蔵されており、長崎市の「西望記念館」では多くの資料や原型作品を見ることができます。彼の生涯を貫いた精神性と造形力は、現在でも多くの芸術家や市民に感銘を与え続けています。
◎関連、参考サイト
1西望記念館(長崎県南島原市)
北村西望の生誕地にある記念館で、約60点の彫刻や書、絵画が展示されています。屋外には13点の彫刻が配置され、彼の芸術の足跡をたどることができます。静かな農村にたたずむこの記念館は、有明海や天草の島々を望む美しい景観の中にあります。
2東京国立近代美術館(東京都千代田区)
北村西望の代表作「怒涛」(1915年)や「晩鐘」(1916年)、「藤山雷太氏像」(1932年)などが所蔵されています。これらの作品は、彼の初期から中期にかけての作風を知るうえで貴重な資料となっています。
3長崎県美術館(長崎県長崎市)
「母子像」(1925年)という作品が所蔵されています。この作品は、北村西望の人間愛や家族への思いが込められた作品として知られています。
■その他の買取品目
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