福岡県北九州市で琺瑯看板を買取りました!

昭和の琺瑯看板買取りました/骨董品の買取は福岡玄燈舎
昭和の琺瑯看板買取りました

 

うだる夏と琺瑯(ホーロー)と、レトロな酒屋の夢

いやはや、今年の福岡の夏ときたら、まるで太陽が本気を出したような勢いである。去年の暑さが“クレームの来ない程度”の茹で加減だったとすれば、今年は鍋底にこびりつくレベルの焦げ付き方である。蝉も鳴くのを諦めてパートタイムになったかと思えば、こちらも毎日が冷房と冷やし中華と麦茶の三本柱。そんな生活にも飽き飽きしていたある日、一本の電話が鳴った。

「北九州で古いモンがいろいろあってさ〜、ちょっと見に来てくれんね?」

声の主は、少々気さくすぎる小倉弁のおじさん。こちらも湿気で丸くなった背筋をピンと伸ばして「喜んで」と答える。体はだるいが、骨董魂は燃えている。

クーラーのほどなくが止まったような一角に佇む、渋い木造の酒屋。瓦のひさしと色褪せた「正宗」の看板が、まるで迎え酒でも差し出してきそうな雰囲気である。

中に通されると、店主は二代目。先代が骨董好きだったとのことで、なにやら古いものがゴロゴロしているらしい。床の間ならぬ「床の棚」には、中国の掛軸やら煎茶道具、軍隊関係の資料や古銭、それにブリキの戦車やらスーパージェッター的な何かまで揃っている。ザッと50点ほどを、ひとつひとつ拝見して査定。

中国掛軸は半分が“アジア風模写”、煎茶道具は残念ながら湯冷ましが欠けているもの多し。しかし軍隊資料の中には、終戦直後の従軍記録や特攻隊員の手紙など、歴史的にも涙腺にも訴える品があり、こちらは高めでお引き取り。ブリキのロボットにはサビがあったが、どことなく哀愁があり、これはこれで味がある。すべてを丁寧に査定・買取させていただいた。

さてこれで一件落着…と思いきや、二代目が「うちの倉庫も見とく?」と呟いた。油断していた胃袋がキュルルと鳴ったが、そこはプロの勘が騒ぐ。「ぜひ」と即答し、裏手に案内されると、そこには昭和という時代が、まるごとパッキングされたような世界が広がっていた。

「まるで『昭和レトロのパラダイス』やんか!」

ポスター、看板、企業モノのノベルティ…いわゆる「販促品」という名の、時代の手紙たちが雑然と積み上げられている。サントリーの角瓶を掲げる笑顔の中年男性、牛乳石鹸の泡だらけの赤子、そして、どこかキザな笑みを浮かべるホーロー看板の美少女たち…。

とくに目を引いたのが、ズラリと並ぶ琺瑯看板の群れ。中にはあの「オロナミンC」の飛び出す元気印から、「金鳥の夏、日本の夏」な蚊取り線香、果ては「フマキラー」の挑発的キャッチコピーまで、昭和40年代の風景がそのまま塗料と鉄板に貼りついたような逸品ばかり。極めつけは「キリンビール」「アサヒビール」だ。この暑さには冷たいビールが一番…。

「うおおお…!これはいい!」

もう心のなかでは祭り太鼓が鳴っている。査定師としての顔を保つのに必死だが、気分は夏の縁日、射的でレア景品を当てたような高揚感。こういう品は現在、広告史・昭和文化研究・インテリア界隈などで再評価されており、思いがけぬ高値がつくことも少なくない。

「こんなボロいの、売れるん?」

と首をかしげる二代目に、「いやいや、これがいまは宝ですばい」と説明すると、目が点から丸へ、そして最後には喜びの笑顔に変わった。

古いアサヒビールの看板/アンティークの買取も福岡玄燈舎
古いアサヒビールの看板

数十枚ある看板やポスター、企業景品などをすべて丁寧に査定し、なかには希少な企業ロゴ初期版の琺瑯看板などもあり、先代の目利き力に頭が下がる。こちらとしても“超”のつく良品だったので、相場よりやや高めの価格でお引き取りさせていただいた。

「倉庫なんて、ずっと物置きにしか思っとらんかったけど、こんなモンでも価値があるっちゃねぇ」

二代目がぽつりと呟いたその一言に、骨董業者としての喜びを感じる。先代の遺志と趣味が、形を変えて次代へと受け継がれていく。金額ではない、価値がそこにあった。

帰り際、一本の冷えたラムネを手渡された。昭和の酒屋がくれた、平成と令和をつなぐ清涼剤。ぷしゅっと開けて、ビー玉越しに見る空は、ちょっとだけ涼しくなった気がした。

めでたし、めでたし。

この看板については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

◇この「尺八」は竹でできておりますが煤竹風の外観になっており状態もとてもよく、古い尺八によくみられるひび割れや口元の割れなどは見受けられません

 

買取査定額

マイナーな看板もあります/骨董品の買取は福岡玄燈舎
マイナーな看板もあります

◇の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に作者の知名度、次に継ぎ手の材質、ほかには刻印が複数あればより高価買取&できます。

 

ご自宅に が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

錆や傷などもアンティークの証です/看板の買取は福岡玄燈舎・骨董
錆や傷などもアンティークの証です

カルピス 丸型ホーロー看板  200,000円
明治の菓子 カルミン/リボンキャラメル 100,000円
懐中良薬仁丹 仁丹ハミガキ 両面琺瑯看板 80,000円
牛乳たらたら ホーロー看板 50,000円 他多数

琺瑯看板とは?

琺瑯看板とは、鉄板にガラス質の釉薬(ゆうやく)を高温で焼き付けて製作された看板のことで、「ホーロー看板」とも呼ばれます。日本では明治時代後期から登場し、大正・昭和期にかけてその人気を確立しました。特に昭和初期から中期(1930〜1960年代)にかけて、広告媒体として全国各地の商店街や農村に広まりました。

その特長は、色鮮やかで耐候性に優れ、長期間にわたり文字や絵柄が劣化しにくい点にあります。現代のプラスチック看板と違い、琺瑯は高温で焼き付けるため、風雨や日差しに強く、屋外でも長持ちしました。


歴史と時代背景

明治・大正期:輸入文化としての導入

琺瑯技術は元々、ヨーロッパから輸入されたもので、日本では明治時代に医療用器具や装飾品として紹介されました。これを看板に応用したのが大正時代末期で、最初は都市部の薬局や洋品店、医院などで使われ始めました。

昭和初期:企業広告の定番に

昭和に入ると、生活必需品の普及とともに企業の広告戦略が重要視されるようになりました。特に、製薬会社、飲料メーカー、タバコ会社、味噌・醤油などの調味料メーカーが、地方の小売店に琺瑯看板を無償で配布し、自社製品の認知拡大を図りました。

有名な例としては、「オロナイン軟膏(大塚製薬)」「ボンカレー」「仁丹」「グリコ」「アース渦巻香」などがあります。これらの看板は、商店の軒先や農村の物置小屋、バス停、田畑のあぜ道沿いにまで設置され、まさに「日本の原風景」の一部となりました。まさに今回の買取品の琺瑯看板はビールメーカーや酒造メーカーのものが多いようで懐かしさも一杯でした。

戦後の高度成長期:情報メディアとしての役割

戦後の復興と高度経済成長期には、テレビや新聞などマスメディアが広告の主役となっていきましたが、地方では依然として琺瑯看板の視覚的訴求力が有効でした。カラーテレビの普及以前、人々の暮らしの中で最も身近に「色彩のある広告」として目にしたのが、こうした琺瑯看板だったのです。

また、電力インフラが十分でない地域では、光らずとも視認性が高く、メンテナンス不要な琺瑯看板は極めて有効な宣伝手段でした。


作り方(製造工程)

琺瑯看板の製作には、高度な技術と複数の工程が必要です。以下に一般的な手順を紹介します。

  1. 下地の準備
     鉄板を希望のサイズにカットし、油分や汚れを洗浄して表面処理を施します。

  2. 釉薬(ガラス質)の塗布
     鉄板の表面に釉薬を吹き付けるか、筆やローラーで塗布します。この段階では無色や白色のベース釉薬が使われます。

  3. 素焼き
     釉薬を塗布した鉄板を800℃前後の高温で焼きます。これにより、釉薬がガラス状に焼き付き、表面が滑らかに仕上がります。

  4. 絵付け(デザインの印刷)
     企業ロゴやキャッチコピー、イラストなどを、ステンシルやシルクスクリーン技法で上から描きます。多色刷りの場合は色ごとに重ね焼きする必要があります。

  5. 本焼き(仕上げ焼成)
     再び高温で焼成することで、デザインがしっかりと定着します。この焼き付けによって、色落ちしにくく、艶やかな仕上がりになります。

  6. 冷却・検品・仕上げ
     焼成後はゆっくり冷却され、検品・修正を経て出荷されます。

このように、製造には時間と手間がかかるため、現在では職人技術として貴重なものとなっています。


宣伝効果と社会的役割

琺瑯看板は、単なる広告にとどまらず、以下のような多面的な役割を果たしていました。

1. ブランドの認知向上

カラフルで目を引くデザインは、当時の人々の記憶に強く残り、商品のブランドイメージ形成に寄与しました。田舎の商店でも全国ブランドの商品が売られていることを示す証となり、消費者に安心感と信頼感を与えました。

2. 無電源型の広告メディア

現在のような電飾看板が使えなかった時代、琺瑯看板は昼夜を問わず視認性が高く、コストをかけずに長期間宣伝できる利点がありました。

3. 地域との共生

企業は看板を小売店に無償提供することで、販売促進だけでなく、地元との関係性を築く手段ともしていました。看板の掲出は一種のパートナー契約のような意味合いもありました。


現代における琺瑯看板の再評価

2000年代以降、ノスタルジーや昭和レトロブームの影響で、琺瑯看板は再評価され、コレクターズアイテムとしての価値も高まっています。骨董市やネットオークションでは、保存状態の良いものに高値がつくことも珍しくありません。

また、観光地やテーマパーク、町おこしの一環として、昔ながらの琺瑯看板を模した装飾を使うケースも増えています。これらは「昭和の記憶」を呼び起こすツールとして活用されています。例としては大分県豊後高田の街がいい例だと思います。

このような錆や傷なども昭和の味付けの一つとして尊重されています。

参考サイト

北名古屋市歴史民俗資料館(昭和日常博物館)【愛知県北名古屋市】

  • 令和4年度に「琺瑯×デザイン展」として開催された特別展では、明治中期〜昭和30〜40年代の琺瑯看板4,000枚超のコレクションを展示

  • 佐溝力氏の寄贈による大規模な資料公開で、昭和の広告文化を俯瞰的に見られる貴重な機会です。

下町風俗資料館 付設展示場(旧吉田屋酒店)【東京都台東区上野桜木】

  • 明治~昭和期の古建築とともに、軒先や壁面に琺瑯看板を常設展示

  • 昔ながらの店舗を再現した空間に、数枚の実物看板が並び、下町風情とともに楽しめます。

たばこと塩の博物館【東京都墨田区】

  • 架空の「業平たばこ店」展示の一環として、琺瑯看板も展示されています

  • 昭和初期のたばこ販売店をテーマにした展示にて、実物看板が見学できます。

 

■その他の買取品目

 

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