福岡市南区で臥牛窯の茶器を買取りました

現川焼臥牛の茶器買取ました。骨董品
現川焼 臥牛茶器買取ました

◆皐月が過ぎ、朝夕の風に秋の匂いがちらつき始めたある日。福岡の市街地を抜け出せば、人影がじわりと動き始める季節である。町の木の葉はまだ緑を宿すが、どこか陰影を帯び、昼と夕刻の境が曖昧になる時間に、われわれ骨董屋一行は車のハンドルを切って福岡県内を彷徨っていた。まるで「宝の地図」を片手に、行き先を定めぬ探検隊のように。

その日は南区から一本の電話がかかってきた。「叔母が残した焼きものをすべて引き取ってほしい」。我らにとって、まさに呼び出しベルの音が鳴るようなもの。相方と顔を合わせ、いつものように「この世界の沈黙を割る者どもよ、かかれ」などと気取る内心を隠しつつ、颯爽と車を飛ばした。

住宅街の一角、夕陽が傾く時間帯に到着。玄関をくぐると、いきなり「陶磁器の戦場」が待ち構えていた。茶棚には一列に整列した有田焼の皿、猪口、鉢。隣にはやや大ぶりの食器棚が鎮座し、そこにもまた染付や赤絵がぎっしり詰められている。「ここから逃げる術はないな」と心の中で呟いた。

案内され押し入れに足を踏み入ると、そこは箱だらけの異界だった。木製の桐箱が幾重にも積まれ、その隙間からは「Kakiemon」「Imayoemon」の銘を記した紙箱が顔を出す。まるで骨董品の幽霊屋敷である。依頼者は淡々と説明を始めた。「叔母は昔、贈答品としてこういうものを取引先からもらってきたようです。残しておいたんですが、もう私どもでは扱いきれず…」と。喋り方は柔らかいが、眼差しには「この通り、処分してください」という鉄の決意がこもっていた。

私と相方は目配せして、「さあ始めようか」と静かに息を吸った。目の前に広がる品々をひとつひとつ見定め、値打ちを探し出す。表面的な欠け、ひび、共箱の有無、染付の濃淡、銘文の型、窯変の趣……骨董屋には目利きというより「暗号解読者」のような緊張感がある。その合間に、屋根裏のように詰まれていた現川焼の臥牛(がぎゅう)作品がちらり、ちらりと視界に入り、心臓が一度だけ跳ねた。

「ほら、こいつは…」と相方が囁く。私は手を伸ばし、唇を噛む。「これはいい」と小声で返す。だが口には決して出さない。なぜなら、所有者の心象とこちらの商売感覚のせめぎ合いを慎重に保たねばならないからだ。

時刻は既に2時間ほど経っていた。依頼者は居間でこちらを眺め、時折ため息をつき、飽きもせずお茶を運んでくる。「お茶、どうぞ」「お熱いのでお気をつけて」。われわれは礼を言って口をつけるが、その苦味は甘くなるほどかすかな緊張を孕んでいた。

査定を一区切りして、一旦茶を置く。その瞬間、依頼者がぽつりと言った。「全部、売ってしまいたいのです」。その言葉は深い海の底で反響する鐘のようだった。こちらとしても、売れない骨董品と不良在庫を抱え込むのは趣味でも何でもない。だから言葉を選びながら、「ではこちらとしても全力を尽くします。ただし、無理な値段はつけられません。ただの ‘陶器’ と ‘名品’ には差がありますから」などと慎重に返事をする。

臥牛の茶碗買取。骨董品 福岡
臥牛の茶碗もあります

最終的に、すべてを引き取ることで合意した。依頼者は涙ぐむこともなく、しかし目にわずかな陰りを残しつつ淡々と箱をまとめ始める。われわれはバンに荷を運び込み、満足げにうなずいた。「本日は良い仕事をしたな」。相方がそう言う。私は見上げて、夕闇が迫る空を仰ぐ。

道中、車が静かに揺れる。積み込んだ箱たちは互いにぶつかり合いながら「骨董品仲間の会話」を交わしているように思えた。有田、鍋島、柿右衛門、今右衛門、臥牛──それぞれが窯元と歴史を背負って、いま一瞬の共演をしている。この世にあって無用とされる運命を逃れて、新たな居場所へ運ばれていくわけだ。

だが、心のどこかで皮肉が舌を這う。「宝とは、誰かが ‘要らん’ と思ったものに宿る」。我々はその ‘誰か’ と ‘要らん’ の狭間を渡り歩く者。依頼者は、自らの親族が置いたものを遺物と見るか、資産と見るか、その評価の線引きを放棄した。われわれ骨董屋は、放棄されたその線引きの地を、買値と売値でまた書き換える。

福岡の町を縫って、夜闇が未だ去らぬ時刻、車窓に流れる街灯を眺めながら、私はぼんやりと思う。茶棚に飾られていたあの染付皿は、こういう運命を待っていたのか。木箱のなかの銘箱たちは、次の誰かに「ああ、これはいいですよ」と言われるために生まれてきたのか。骨董品という世界は、過去に浮かぶ記憶と現在の通貨価値とを綱渡りするようなものだ。片や文化、片や数字。それらを秤にかけて、われわれは重さを決めてゆく。

最終的に、積み込みを終え、車が走り出す。依頼者の家は後ろへ遠ざかる。闇の中で、窓明かりがひとつ、ふたつ、そしてやがて絞られていく。われわれは隣の席をちらと見る。相方は、軽く笑っていたようにも見えた。「いい一日だった」その一言を口にはしない。そんなものは野暮だ。

だが、私は知っている。あの臥牛を抱えた箱は、次に扱う店主にとって “夢” であり、他の皿たちは誰かの居間の飾り皿に化けるだろう。そしてまた次の誰かが「要らん」と言えば、われわれのような者に電話をかける。電話のベルが鳴るたび、秋風は少しだけ冷たくなる。

こうして、福岡の夜は深まり、人の動きはゆるやかに止まり始める。青白い街灯の下、われわれは骨董の闇市を背負って、また次の呼び出しを待つ。秋の始まりに、骨董屋として生きるとは、誰かの過去と未来の間を渡り歩く放浪者であること。そう私は思う。

この 臥牛の作品については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

骨董品 買取 福岡 茶器
綺麗な刷毛目の湯呑みです。

◇この「現川焼臥牛の茶器」は ありがとうございました。

買取査定額

 

湯呑みの底に落款あり。茶道具 買取 福岡

◇現川焼臥牛窯作品の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に素材や生産国、次に火屋の材質、ほかには刻印ヤ共箱などあればより高価買取&できます。

ご自宅に香炉や茶器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

十三代臥牛窯 悟龍作 銀河流星茶碗     70,000円
現川焼 臥牛窯 横山臥牛作 白鷺文花瓶   40,000円
十三代 臥牛窯 悟龍作 銀河流星 茶碗  35,000円
十三代臥牛窯 悟龍作 銀河流星 茶碗  25,000円 他多数

現川焼とは?

現川焼(うつつがわやき)は、長崎県長崎市現川町(うつつがわまち)を中心に生産されてきた磁器で、江戸時代初期に始まったとされる焼き物です。美しい染付や色絵を特徴とし、卓越した技術と品格のあるデザインから、当時の知識人や大名などに愛されました。肥前磁器の一角を担いながらも、その独自性と歴史的背景により、現在でも高く評価されています。

発祥と初期の展開

現川焼の起源は17世紀初頭、江戸時代の初期に遡ります。当時、朝鮮半島から渡来した陶工たちが、日本各地で磁器の製作を始めており、現川でもその影響を受けた磁器づくりが始まりました。

特に有名なのは、初代平戸藩主・松浦鎮信が朝鮮陶工を招聘したことが、現川焼発展の大きな契機となったという説です。彼らによって、陶土の選別、成形、焼成、絵付けといった高度な技術が伝えられ、現川においても磁器が本格的に作られるようになりました。

この時期、現川は長崎港に近く、海外貿易の拠点であったため、異文化の影響を強く受けたデザインや技術が導入されました。中国・オランダ・ポルトガルとの交流が深かった長崎では、多様な美的感覚や技術が融合され、現川焼にもそれが色濃く表れています。

江戸中期〜後期:最盛期と衰退

18世紀中頃から19世紀にかけて、現川焼は一時的に最盛期を迎えます。とくに鍋島焼伊万里焼といった有名な肥前磁器との技術交流により、現川焼の技術水準も向上しました。

しかし、19世紀後半になると、佐賀藩の財政難や明治維新に伴う社会の急激な変化、さらに大量生産可能な磁器の登場により、現川焼は衰退の道をたどります。

明治以降の再興と現代

明治時代以降、現川焼は一時生産が途絶えるものの、20世紀に入り、地域の陶芸家たちの手によって再び息を吹き返しました。伝統的な技術を継承しつつ、現代的な感覚を取り入れた作品が作られるようになり、現川焼は再評価されるようになります。

現在では、数軒の窯元が現川町およびその周辺で活動しており、地元の伝統工芸として保存・振興されています。

現川焼は、以下のような技術的・美術的特徴を持っています。

1. 磁器の透明感と白さ

現川焼は高温焼成による磁器であり、白磁の美しさが際立っています。特に素地が純白で滑らかであり、上絵付けや染付の発色を美しく引き立てます。

2. 染付と色絵の調和

初期の現川焼では、藍色の染付が主流でしたが、やがて赤絵や金彩などの色絵磁器も生産されるようになりました。これにより、中国やオランダの影響を受けた華やかな絵付けが施された作品も多数存在します。

3. 異文化の融合

長崎という国際都市で育まれた現川焼は、西洋や中国のデザイン要素を多く取り入れています。例えば、洋花模様や、人物画、宗教的モチーフなどが登場し、日本の他の磁器にはないユニークな雰囲気を醸し出しています。

★現川焼 窯元「十三代 渡辺陶房」

最もよく知られる現川焼の継承者のひとつが、十三代 渡辺陶房です。現代において、現川焼の伝統を守りつつ、新しい感覚を取り入れた作品を制作しており、地元や全国の陶芸ファンから注目されています。

この窯では、伝統的な染付、白磁、青磁、さらには現代的なフォルムを融合させた器などが制作され、日常使いと美術的鑑賞の両立を目指しています。


代表的な作家

現川焼は小規模な産地であるため、個人作家の活動が大きく、作家の個性が作品に色濃く反映されています。

渡辺重之(十三代)

現川焼を代表する現代作家。江戸時代から続く窯元に生まれ、現川焼の再興に尽力しました。伝統的な染付技法に加えて、モダンな器作りにも挑戦し、全国の陶芸展にも出品しています。

その作風は、クラシックな様式美と現代的な感性が融合したもので、茶器や食器、花器など多岐にわたります。

横石臥牛…

鉄分の多い磁器を焼成し、さらに多彩な刷毛目様式と花鳥などの絵付加飾を加えた
現川焼本窯元として、伝統の研鑽と追及に励むと同時に現代感覚を交えて作陶する。

代表的な作品

現川焼の代表的な作品には以下のようなものがあります。

染付山水文皿(江戸時代)

青藍の染付で山水画を描いた大皿。中国・明代の景徳鎮磁器の影響を受けた構図と筆致が特徴で、現川焼が国際文化の影響を強く受けていたことが伺えます。

色絵花鳥文鉢

赤、緑、黄などの色絵を用いて花鳥を描いた装飾的な鉢。華やかな色使いとともに、柔らかな筆遣いが調和しており、当時の高級磁器として珍重されました。

現代作品:白磁面取湯呑

現代の現川焼作家による作品。シンプルな白磁に、面取りの技法を用いてシャープなフォルムに仕上げた湯呑は、伝統を守りながらも現代のライフスタイルに合った美を追求しています。

臥牛窯とは…

臥牛窯の始まりは江戸時代中期、18世紀頃に遡ります。窯の名である「臥牛」は、現川町近くにある山「臥牛山(がぎゅうざん)」に由来しており、その山の姿が牛が臥しているように見えることから名付けられたとされています。

当時、現川では数多くの陶工たちが活動しており、臥牛窯はその中でも特に技術力と芸術性の高い窯元として名を馳せました。

中国磁器の影響と発展

臥牛窯の発展には、中国の景徳鎮窯や、長崎港を通じて伝来したオランダ東インド会社の交易品など、国際的な美術文化の影響が大きく関わっています。特に青磁や染付技法は中国磁器の流れを汲んでおり、繊細で格調高い意匠が特徴となっています。

18世紀後半には、色絵(赤絵)技法も取り入れられ、藍色の染付と鮮やかな色彩を融合させた独自の美意識を形成。こうした作品は、当時の知識層や武士階級、さらに長崎を訪れた外国人商人たちの間で人気を博しました。

臥牛窯の作品は、他の肥前磁器とは一線を画す独自性を持ち、特に以下のような特徴があります。

1. 上質な白磁の素地

臥牛窯の磁器は、白磁の素地の美しさが際立っています。地肌は滑らかで、わずかに青みを帯びた白が清廉な印象を与えます。この素地の美しさが、染付や色絵の発色を一層引き立てています。

2. 緻密な染付技法

臥牛窯を代表する技法のひとつが、藍灰色の染付です。職人の手による筆致は非常に緻密で、山水画や草花文様、幾何学文様などが繊細に描かれます。藍の濃淡を巧みに使い分けることで、奥行きと立体感のある絵付けが実現されています。

特に、「染付山水図皿」や「染付唐花文皿」などが有名で、中国明代の磁器に近い構図を持ちながらも、日本的な余白や構成美を取り入れており、洗練された印象を与えます。

3. 華やかな色絵磁器

後期になると、臥牛窯では赤絵(色絵)の作品も多く作られるようになりました。赤・緑・黄・金などの色を重ねた絵付けは、磁器表面に華やかさと立体感をもたらし、装飾性が強まります。

色絵花鳥文鉢や色絵花文皿などはその代表作で、絵柄には季節の花、鳥、蝶、風景などが登場し、日本独自の四季感と詩情を感じさせます。

4. 用の美と実用性

臥牛窯の作品は、美術品としての価値だけでなく、日常の器としての「用の美」も追求されています。茶碗、湯呑、皿、鉢など、日常生活の中で使用する器に、優れたデザインと高い技術を融合させており、今なお使いやすいと評価されています。

明治維新以降、国内陶磁器産業は機械化や産業化が進む中、手仕事による臥牛窯の生産は一時衰退します。しかし、地元の陶芸家や研究者たちの尽力により、20世紀後半から再評価の動きが高まり、復興が進められました。

現在、臥牛窯は数名の陶芸家によってその技術が継承されており、伝統的な染付技法を守りつつ、現代の感性を取り入れた作品も生み出されています。

現代の作家と取り組み

臥牛窯では、代々続く陶工の家系によって技術が受け継がれてきました。現代の作家たちは、古作の研究を重ねながらも、生活様式の変化に合わせた器作りを模索し、展示会や工芸展にも積極的に参加しています。

シンプルながら品格のある器や、現代建築に調和するモダンな茶器など、新たなニーズに応える作品が注目されています。

代表的な作品(古作と現代作)

染付山水文皿(江戸中期)

臥牛窯の代表的な古作。藍色の濃淡で山・川・人物を描いた作品で、細密な筆遣いと余白の美しさが調和している。中国景徳鎮の影響を色濃く受けつつ、日本的な簡素さも感じられる。

色絵牡丹唐草文鉢

赤・緑・金などの色彩で牡丹と唐草を描いた大鉢。装飾的な意匠で、宴席などでの使用を想定した豪奢な器。幕末から明治初期にかけて人気を博したスタイル。

現代作:染付面取湯呑

現代の臥牛窯作家による作品で、伝統的な染付を用いながら、フォルムに面取りを加えることでモダンな印象を与えている。日常使いに適した実用性と芸術性を兼ね備える。今回の買取品もその一つでシンプルですが渦を巻いた染付など美的センスが鵜赤が得る作品です。

刷毛目様式…

繊細な刷毛目や立体的な盛り上げ技法には、生の濡れた状態の素地への加飾が不可欠で、一般的な磁器の五倍はかかるこの秘術が空間表現や立体表現を可能にする現川焼。その現川焼再興の技法をもって、長崎県無形文化財の銘にあずかっています。

参考サイト

臥牛窯ギャラリー

■その他の買取品目

 

★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。

★無料出張エリアはコチラです

■骨董品買取の福岡玄燈舎

〒818-0068 福岡県筑紫野市石崎2-6-25A

☎050-3569-2100

【電話受付】9:00~19:00

【店舗営業】不定休の為、お問い合わせください。

★古物商許可証 第909990038581