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福岡市東区でアンティークカメラを買取りました!
二月の福岡は、時に気まぐれな都会の女のようである。冷たい顔をして北風を吹きつけたかと思えば、ふと機嫌を直したようにやわらかな春風を頬に当ててくる。ここ二、三日はまさに後者で、どこか借りてきたような上品さをまとった風が街路樹の枝を撫でていた。太宰府の梅もほころび始め、参道の石畳には、まだ観光客の群れに踏み固められる前の、ひっそりとした季節の余白があった。
そんなある日のことだ。一本の査定依頼が入った。骨董品だという。場所は福岡市内。電話口の声は妙に淡々としていて、まるで不要になった家具を引き取ってほしい、とでも言うような調子だったが、こちらは「骨董」と聞けば血が少しだけ騒ぐ。骨董屋の血は、どうやら輸血ではなく遺伝子のどこかに刻み込まれているらしい。
約束の時間に伺うと、そこは住宅というよりも、時間に置き去りにされた写真館だった。玄関を開けた瞬間、古いフィルムの匂いと、乾ききらない現像液の記憶のようなものが鼻腔をくすぐる。リビングらしき空間には三脚が林立し、棚という棚にはカメラが並び、床には無造作に積み上げられたフィルムの箱。壁には色褪せたポスターが貼られ、まるで昭和がまだ健在であるかのような顔をしていた。
よくよく話を聞けば、前オーナーがコレクションしていたものだという。そしてこの家は、明日にでも取り壊される予定だと。取り壊し。なんと軽い言葉だろう。建物だけでなく、そこに沈殿してきた時間や、持ち主の偏愛や、執着や、ちょっとした虚栄心まで、ブルドーザーの一振りで均されてしまうのだ。
「いや、それはちょっと待ってください」
思わず口をついて出た。家主は少し驚いた顔をしたが、こちらとしては笑っている場合ではない。部屋の隅に転がるカメラのひとつひとつが、小さな時代の証言者なのだ。世の中がデジタルに浮かれている間に、フィルムという名の銀塩の王国はひっそりと退位し、いまや王冠はフリマアプリの片隅に転がっている。

まずはカメラから査定することにした。棚に並ぶのは、かつて名を馳せた機種たち。重厚なボディ、革の剥げかけたグリップ、シャッターを切ればまだ鳴るであろう乾いた音の予感。ニコン、キャノン、ミノルタ、そして二眼レフのローライフレックス。極めつきはライカまである。まるで往年のスターが、今は地方の公民館でカラオケ大会を開いているかのような風情で並んでいた。
もっとも、スターも年を取る。ほとんどの個体は傷や汚れをまとい、レンズには薄曇り、ファインダーはくぐもり、シャッターは時折、気まぐれにしか応じない。インテリアとしては味わい深いが、実用品としては引退勧告を受けてもおかしくない面々である。
だが、骨董の世界では「動かない」という事実さえ、ひとつの物語になる。動かぬ時計は、最後に刻んだ時刻を永遠に主張し続ける。写らぬカメラは、最後に撮った光を、レンズの奥でひそかに抱きしめている……かどうかは定かではないが、少なくとも人はそう信じたがる。

査定を進めるうちに、私はだんだんと奇妙な気分になってきた。家の主はもういない。だが、その趣味と偏愛だけが、部屋中に満ちている。これだけの機材を集めるには、時間も金も、そして家族の冷たい視線も必要だったに違いない。趣味とは往々にして、家族会議の議題になる。カメラ一台買うたびに、「また?」と問われ、それでも「これは違う」と言い張る。その積み重ねが、いま目の前にある。

査定額を提示すると、家主は少しだけ目を見開いた。取り壊し前の家からすれば、予想外の臨時収入だったのだろう。こちらとしては、かなり大枚をはたく覚悟で臨んでいる。なにせ量が量だ。トラック一台では足りぬほどの機材と向き合いながら、私は内心でそろばんを弾いていた。
骨董屋とは、ロマンと現実の板挟みである。ロマンだけでは食えず、現実だけでは続かない。美しいものに値段をつけるという、どこか後ろめたい作業を日々繰り返しながら、それでも心のどこかで「救出」という言葉を使いたがる。今回もそうだった。
救出、いや買取。

言葉を正しく選べば、ただの商売である。しかし、明日には瓦礫と化す家から、機材を運び出すとき、私は確かに何かを救い出している気持ちになった。ブルドーザーの爪が迫る前に、レンズを、ボディを、金属の塊を、トラックに積み込む。その様子は、どこか避難訓練のようでもあり、密輸のようでもあった。
ほとんどが修理前提、あるいは部品取り。インテリア向きと割り切るしかない個体も多い。だが、その中に一台、ひっそりと輝くものがあった。ローライコードの二眼レフ。外観は年季が入っているが、シャッターは素直に切れ、巻き上げも滑らか。ファインダーを覗けば、天地が逆さに、しかし鮮明に、こちらを見返してくる。
ありがたい。
思わず小さく呟いた。かなりの額を投じた今回の買取。すべてが眠り姫では、こちらの財布が先に永眠してしまう。その中で、きちんと息をしている一台があるという事実は、商売人としての私にとって救いだった。
二眼レフというのは不思議な存在だ。上から覗き込む姿勢は、どこか謙虚で、撮影者に「見下ろすな、覗き込め」と諭しているようでもある。デジタル一眼のように連写もできず、すぐに結果も見られない。フィルムを装填し、巻き上げ、慎重にシャッターを切る。その一連の動作は、もはや儀式に近い。
効率至上主義の時代にあって、儀式はたいてい無駄とされる。しかし人は、無駄の中にこそ物語を見出す。写真一枚に数秒かけることを惜しまぬ心。そのゆとりが、かつての写真にはあった。いまやスマートフォンで一日に何十枚も撮り、翌日には忘れる時代だ。便利さは記憶を軽くする。
家の片隅で、私はもう一度、部屋を見渡した。空になった棚、壁から外されたポスターの跡、床に残る四角い日焼けの痕。取り壊し前の家というのは、どこか舞台の終演後に似ている。観客は帰り、役者も去り、照明だけがまだ残っている。
骨董屋の仕事は、終演後の舞台から小道具を引き取ることかもしれない。次の舞台で再び使われるかもしれぬし、倉庫で眠るかもしれぬ。それでも、完全に消えてしまうよりは、どこかで息をつないでいる方がいい。
太宰府の梅は、きっと来年も咲くだろう。だが、この家はもうない。写真館のようだった空間も、明日には更地だ。時代はいつも前へ進む。だが、ときどき振り返り、足元に転がる古いカメラを拾い上げる者がいなければ、進む先に奥行きは生まれない。
ローライコードを抱え、トラックの荷台に腰を下ろしたとき、春風がまた頬を撫でた。気まぐれな二月の風である。取り壊しの音が遠くで始まる前に、私はエンジンをかけた。
さて、この二眼レフの話は、またいずれ。骨董とは、急いで語るものではない。少し寝かせ、少し磨き、少し自慢し、そして少しだけ皮肉を混ぜてこそ、味が出るのだから。ではまた。
買取品の詳細

◇このアンティークカメラ「ローライコード」は1950年代の物だと思われます。シャッターも動作しレンズも汚れが少ない上質の物でした。皮ケースも破れが少なく状態の良い物でした。ありがとうございました。
買取査定額

◇古い二眼レフカメラの買取査定額もしくは評価額ですがまず第一にメーカや製造年代、次に状態や付属品、ほかには説明書や共箱などあればより高価買取&できます。
ご自宅に古いカメラが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、メーカー、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

ROLLEIFLEX 2.8F AURUM ゴールド 700,000円
Rollei Rolleiflex 2,8GX 400,000円
Mamiya C330 Special Selection 300,000円
マミヤ 二眼レフカメラ C330 Special Selection 150,000円 他多数
ローライコードとは?

◆
ローライ(Rollei)は、1920年にドイツ・ブラウンシュヴァイクで創業した高級カメラメーカーで、正式社名はフランケ&ハイデッケ(Franke & Heidecke)でした。創業者はパウル・フランケとラインホルト・ハイデッケ。精密機械技術に優れ、特に二眼レフ(TLR:Twin Lens Reflex)カメラの分野で世界的な名声を確立しました。その代表シリーズが「ローライフレックス」と、より普及機として展開された「ローライコード」です。
二眼レフ時代の到来とローライの躍進
1929年に登場した「ローライフレックス」は、6×6cm判ブローニーフィルムを使用する二眼レフとして画期的な存在でした。上部のスクリーンを覗いて撮影するウエストレベルファインダー方式は、静粛性と高い描写性能を両立し、報道・芸術写真の分野で急速に普及します。
この成功を受け、1933年に誕生したのがローライコード(Rolleicord)です。ローライフレックスの基本設計を踏襲しつつ、操作機構を簡素化し、価格を抑えたモデルでした。これにより、プロだけでなくハイアマチュア層にもローライの品質が広がっていきます。
ローライコードの特徴
ローライコードは基本的に以下の特徴を持ちます。
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6×6cm判120フィルム使用
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上下2つのレンズを備える二眼レフ構造
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上部スクリーンでのピント合わせ
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シャッターと絞りをレンズ部に搭載
上側のレンズはファインダー用、下側が撮影用という構造です。ミラーによる振動がないため、シャープな描写が得られる点が大きな利点でした。
レンズは主にトリオター(Triotar)やクセナー(Xenar)が搭載され、後期型ではより高性能なレンズが採用されます。描写は非常にコントラストが高く、階調豊かで、現在でもクラシックカメラ愛好家から高く評価されています。
主な代表機種
Rolleicord I(1933年)
初代モデル。距離計は目測式で、シンプルな構造が特徴です。まだ試行錯誤の段階ながら、完成度の高さが光ります。
Rolleicord III(1930年代後半)
操作性が向上し、シャッター周りが改良されました。戦前型として人気があります。
Rolleicord IV
戦後の再建期を象徴するモデル。コーティングレンズが採用され、描写性能が向上しました。
Rolleicord V / Va / Vb
1950年代を代表する完成形。特にVbはセレン式露出計を内蔵し、利便性が大幅に向上しています。ローライコードシリーズの最終完成型といわれます。
ローライフレックスとの違い
上位機種であるローライフレックスは、フィルム巻き上げとシャッターチャージが連動し、自動フィルムカウンターや高級レンズ(テッサーやプラナー)を搭載していました。
一方、ローライコードは巻き上げノブ式で、シャッターも手動チャージ。距離計も非連動で目測式が基本です。その分、軽量で価格が抑えられ、堅牢性も高いという魅力がありました。
写真史における位置づけ
ローライの二眼レフは世界中の写真家に愛用されました。特にロベール・ドアノーやリチャード・アヴェドンなど、多くの著名写真家がローライフレックスを使用し、中判写真の芸術性を高めました。
ローライコード自体は主にアマチュア向けでしたが、その描写力はプロユースにも耐えうるもので、ドキュメンタリーやポートレート、風景写真など幅広い分野で活躍しました。
1960年代に入ると、一眼レフ(SLR)の急速な普及が始まります。35mm判カメラの機動力と交換レンズの利便性が市場を席巻し、二眼レフの需要は次第に減少しました。
ローライはその後もSLRやコンパクトカメラへ展開しますが、経営は次第に不安定となり、幾度かの買収・再編を経験します。それでも「ローライ」のブランドは現在も存続し、デジタル機器や限定生産モデルにその名を残しています。
ローライコードは現在、クラシックカメラ市場で安定した人気を誇ります。特にVb型は完成度が高く、初心者にも扱いやすい二眼レフとして評価されています。
6×6判ならではの正方形フォーマット、ウエストレベルファインダーによる独特の撮影体験、そして機械式カメラ特有の操作感は、デジタル時代には得難い魅力です。
ローライコードは「高級機の簡易版」ではなく、「実用性と品質を兼ね備えた完成度の高い二眼レフ」として写真史に名を刻んでいます。その存在は、ドイツ精密工業の黄金期を象徴する製品群のひとつであり、今なお多くの愛好家を魅了し続けています。
■参考サイト
日本カメラ博物館(東京)
Camera Heritage Museum(米国・バージニア州 ストーントン)
■その他の買取品目
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