福岡県北九州市でレトロなパチンコ台を買取りました
手打ち式のアンティーク
機械の裏側
買取品の詳細
今回は福岡県北九州市の店舗兼住宅に出張査定にお伺い致しました。買取品は茶道具、陶磁器や油絵、掛軸や書道具や中国家具などありました。その他ちろいろな骨董がありましたが今回紹介するものは「パチンコ台」です。昭和30年代のレトロな手打ち式のパチンコ台です。こちらのお宅は以前、喫茶店を営んでおられたためお客の要望で設置していたとの事でした。私も時代的にはリアルタイムではありませんがとても興味深いアンティークです。入荷時に少し弾いて遊んでみましたがやはり60年たっている機械なので修理が必要でした。その後、自分なりに資料を集めて何とか遊べるまでに仕上げました。現代の精密機械ではなくシンプルなので復元できたと思います。どちらかというと「ピタゴラスイッチ」のような動きの機械でした。そのほかは古い茶道具、絵画や掛軸もたくさん買取させていただきました。本当にありがとうございました。
レトロなハンドル
ポップな役物
買取査定額
アンティークなパチンコ台の買取相場ですが製造年代、型式や状態などでかなり差があります。戦前より製造されている機械などで年代によって仕様も異なりますね。やはり人気なのは戦前のもので買取価格は良い状態で3~5万円、昭和20年代のもので3万円~4万円、昭和40年代以降のもので1万円~2万円となっています。ご自宅にパチンコ台やスロットマシン、ジュークボックス、ピンボールマシンなどアンティークな遊技機が御座いましたら一度拝見させてください。なお状態や型式、年代でお値段は変わりますのでご了承ください。
役物その2
一応、電気式ですね
下記は昭和時代のの代表的なです。
■「小物」
■「宝くじ」
■「コリントゲーム」
■「オール15正村ゲージ」
■「はったり付きオール10」
■「連発式オール20」
■「ジンミット」「レコンジスター」
などなど…
■過去の作品買取例
手打ち・二式7分ゲージ 80,000円
豊国基準二式 60,000円
正村商会 手打ち 40,000円
初期手打ち台 オール2 30,000円
■パチンコとは…
「ミリオン」…機種の名前でしょうか?
パチンコのルーツは、19世紀後半にヨーロッパからの駐在員が日本に持ち込んだ「コリントゲーム」と呼ばれるゲームです。コリントゲームは、玉を転がして盤上の穴に入れる卓上ゲームで、初期のパチンコの原型となったものです。最初のパチンコ台は20世紀初頭に開発されました。
日本では昭和5年ごろ、最初のパチンコ店が出来たと言われ、太平洋戦争開戦時に全面禁止となりましたが、終戦後に復活して店舗数が増えていきます。昭和40年にはスロットマシンも登場し、昭和52年、現在のパチスロの原型が形作られていきます。
昭和24年には、後にパチンコの神様といわれた正村竹一氏が考案した「正村ゲージ」が登場し、さらに昭和27年連発式の出現により、全国の店舗は4万店を超えました。このころから、パチンコ店で獲得した景品を買取ろうとする者が現れ始め、「暴力団の資金源になっている」との新聞報道等の指摘を受け、暴力団排除活動を始めます。ところが昭和29年、連発式が禁止され、転廃業者が続出。店舗数は1万店を大きく割込み、4分の1以下となってしまいます。その後、昭和32年ごろから役モノ(入賞口の工夫)が出始め、昭和35年にはチューリップが登場。昭和44年には連発式が復活し、再びパチンコが流行し、大衆娯楽の王様と呼ばれたのもこのころです。
このパチンコ台は昭和30年くらいの「ジンミット」といわれるパチンコ台だそうです。20年代後半にはパチンコ店で獲得した景品を買取ろうとする者が現れ始め、「暴力団の資金源になっている」との新聞報道等の指摘を受け、暴力団排除活動を始めます。
ところが昭和29年、連発式が禁止され、転廃業者が続出。店舗数は1万店を大きく割込み、4分の1以下となってしまいます。その為、メーカー側は試行錯誤しながら新機種を出します。それがこのタイプで真ん中に役物を設置して入賞しやすくしたもので射幸心を煽り人気が再発しました。この台はそんな時代の機械です。
■パチンコの歴史
1925年頃に大阪で横型コリントゲームを改良したものがパチンコの発祥との説がありますが、実際にはヨーロッパから輸入されたウォールマシンが日本で広まったものがパチンコの起源であるとされております
1930年、風俗営業第1号店が名古屋で許可されパチンコ店が開店。
1935年、秋田市内で13、14店舗が開設されます。
1936年、高知でパチンコが大流行します。半年で35店が開店しました。
1937年、日中戦争勃発。
戦時特例法によりパチンコ店の新規開店が禁止されました。
そして現在のパチンコと同じ鋼球式のパチンコが登場します。
1941年、太平洋戦争勃発。
1942年、戦時体制により、パチンコは不要不急産業として全面禁止されパチンコ店は閉店され、ほとんどの台は処分されました。
1946年、戦後になると禁止されていたパチンコが復活します。
1948年、風俗営業取締法(改正前の風営法)制定により、パチンコは許可営業となりました。
この年には「正村ゲージ」が登場します。
1949年、貸玉料金が1円から2円に値上げされました。
この年には丸新物産(現:ニューギン)が名古屋市で設立されます。
1950年、竹屋商会(現:竹屋)が春日井市で設立されます。
1951年、法改正により18歳未満の入場が禁止されました。
この年にソフィア(西陣)が桐生市で設立され
そしてパチンコ自体は名古屋から全国に大流行します。
1952年、菊山徳治考案のオール20連発式(機関銃式)が開発されます。
この年、京楽が名古屋市で設立ました。
続いて大一商会が愛知県(現在の北名古屋市付近)で設立されます。
1953年、
第1期黄金時代到来でパチンコ店387,664軒にのぼります。製造メーカーは約600社。
循環器第1号機(高速度連射可能機:160〜180発/分の玉が自動的に発射)開発。これによりパチンコブームが加熱し、射幸心をそそるとして後の連発禁止令の要因となります。
1954年、
東京都公安委員会が「連発式パチンコの禁止」を決定、全国に広がります。
1955年、モナミ商会(現:三洋物産)が名古屋で設立されます。
1957年、初めて役物を搭載したコミック機・「ジンミット」(西陣)発売。
「竹屋式無人機」の登場で、従業員がシマの中に入らなくてもよくなったそうです。
1958年、藤商事が大阪市で創業(法人としての藤商事設立は1966年)。
1960年、画期的な「チューリップ」が登場。
◎関連、参考サイト
■その他の買取品目
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