福岡市城南区で書道具(中国硯)を買取りました!

◇骨董品買取の福岡玄燈舎です。
五月の終わりというのは、まことに悩ましい時期である。半袖を着れば寒く、長袖を着れば汗がにじむ。昼は蒸し風呂、夜は布団の中で鼻が冷える。年寄りには体感温度のジェットコースター、いっそ人生のサウナとでも呼びたくなる日々が続く。
そんな中、わたしはというと、骨董屋稼業の花も嵐も踏み越えて、今日も福岡の空の下、じとじとと滲む背中の汗を拭きつつ、ジムで痛めた筋肉を引きずっていた。「起死回生の買取り案件が欲しいのう…」などとブツブツ呟いていたそのとき、天の助けか、いや地縛霊のいたずらか、一本の電話が鳴った。
「書道家の先生が道具を整理したいそうでして…ぜひ一度見に来ていただけませんか?」
紹介者の声が、天使のラッパのように耳に響く。おお、久々に骨董の神様がこちらに顔を向けた。書道具と聞いて心が踊る。硯、筆、墨、紙、掛軸に至るまで、文字を書くというシンプルな行為の裏には、奥深き職人と時代のドラマが潜んでいる。これはひと山あるかもしれんぞ、と、背筋を正し、己の腰に鞭を打って、書道家のお宅へと出張査定に向かった。
場所は福岡市内の住宅街の一角。年季の入った木造家屋、玄関先には「書」と彫られた小さな石碑。これは只者ではない気配…。呼び鈴を押すと、出てこられたのは白髪のご婦人。かつての書道家先生の奥様であろう。にこやかに迎え入れられた瞬間、私は目を疑った。
部屋中が、書の洪水だったのだ。
畳の間には筆が束でごろり、床の間には掛軸がずらり、隅には硯屏(けんびょう)やら端渓硯やら、中国製の墨の木箱が天を突くほど積まれている。まるで「書道具のエルドラド」…いや「書のラピュタ」とでも申しましょうか。あまりの物量に目が回る。「これは…ひと仕事になりますね」と申し上げた瞬間、ご婦人がにこり。
「夫が亡くなってもう十年になりますが、生前はとにかく道具に凝ってまして…中国にもしょっちゅう行っておりましたの」ほう、中国直輸入…。それを聞いた瞬間、私の鼻孔に古墨の芳しい香りがふわりと届いた気がした。
さて、まずは筆から。細筆から大筆まで、未使用のまま桐箱に収められた逸品が並ぶ。箱書きには「湖筆」「羊毫」「狼毫」の文字。中には清朝末期の名工の筆とおぼしきものも。
次に墨の山を前に、私は正座をして一つひとつ箱を開けていく。中国の安徽省で作られた油煙墨、金粉の押し模様が煌めく乾隆年間の古墨、なんと端渓硯専用の墨まであるではないか。墨の香りに包まれて、鼻の奥から脳天にかけて、なんともいえぬ高揚感が走る。ああ、脳内のアドレナリンと同じく書道具は薬膳である。精神に効く滋養強壮剤だ。
そして、ついに本丸、硯の間に突入。端渓、歙州(きゅうじゅう)、澄泥、洮河緑石(とうがりょくせき)…。中でも端渓硯の良品がざくざく出てくる。目を皿のようにして見つめると、ありましたぞ、清代中期の“老坑”と刻まれた逸品が。これはもう、書家垂涎の的である。

時折、ご婦人がそっとお茶を差し入れてくださる。煎茶をすすりながら、心はもはや査定というよりまさに修行僧。端渓硯を掌に乗せ、「いにしえの書人よ、あなたはこの硯で何を書きたもうたのか」と問いかけたくなる。
時計を見れば、もう六時間が経過していた。査定表はびっしり三枚、筆記用具は本日2本目の新しいボールペン、メモは書き殴った走り書きで手帳がパンク寸前である。
すべての道具を査定し終え、私はおもむろに家主であるご婦人に見積もり金額を提示した。しばしの沈黙、そして—「ええっ…! こんなになるんですか?」
はい、それがなるんです。古墨一本に価値がある。硯ひとつで歴史が動く。今や書道具も国際市場では評価が高く、しっかりしたものであれば良い価格がつくのです。
最終的にご婦人は「主人が集めたものが、また次の方の手に渡って使われるのは嬉しいことですわ」と笑顔でご快諾。その一言が、何より嬉しい。
帰りの道すがら、背中の筋肉痛は最高潮。しかし、心は満ちていた。ああ、やっぱり骨董屋というのは、浪漫と現実の間を歩く商売である。汗と埃と墨にまみれてこそ、見えてくる価値がある。
ジムで鍛えた肉体も、今日は硯で磨かれた心の前に平伏する。人生、無駄なことなどひとつもない。すべてが墨痕淋漓の如し、である。
そして次の日、目が覚めたら全身筋肉痛で起き上がれず、病院で鍼を打たれる羽目になったが、それはまた別の話でもある。今回、買取した中国の古硯については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細

◆今回の「中国硯」は端渓の硯ですが彫刻の細やかさ、石の文様や硯の裏に彫られている漢詩など見てもかなりの作品だと思われます。時代は清時代。割れや欠けもなく池も傷らしい傷もなくとても良い状態の硯です。当時の箱はありませんが時代を超えたオーラが醸し出ています。ありがとうございました。
買取査定額
◆中国の硯の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に石紋と製作年代、彫刻の細かさや漢詩の在るなし、次に状態と箱の有無などで高価買取の可能性があります。ありがとうございました。尚、ご自宅や倉庫に書道具や骨董品がありましたら是非、骨董品買取の福岡玄燈舎にお声掛け下さい。宜しくお願い致します。
■過去の硯買取例
老坑端渓 乙未秦琴生題 箱付 750,000円
永受嘉福瓦 唐木箱 銅井文房製 500,000円
王世貞銘 石眼 端渓硯箱付き 250,000円
歙州硯 共箱 150,000円 他多数
端渓の硯とは?

◇「硯(けん)」という言葉に触れると、墨をすり、筆を運ぶ静謐な空気が漂ってくる。中国の書道文化の中で、硯は単なる道具ではなく、芸術と精神の表現装置であった。なかでも「端渓硯」は、唐代から清代、そして現代に至るまで筆墨文化の中核を担ってきた、中国を代表する名硯でもある。
1.端渓硯とは何か

端渓硯は、中国広東省肇慶市(旧・端州)にある端渓(たんけい)という渓谷から産出される硯石を用いて作られた硯である。その歴史は唐代にまで遡り、宋、元、明、清と王朝が移り変わる中でも常に「名硯」として愛され続けてきた。
その評価の高さは、「四大名硯」に数えられていることからも明らかである。四大名硯とは「端渓硯(広東)」「歙州硯(安徽)」「洮河緑石硯(甘粛)」「澄泥硯(山西)」の四つを指すが、その中でも端渓硯は別格の扱いを受けてきた。
なぜそこまで端渓硯が重宝されたのか? 理由は「石の質」にある。端渓の硯石は緻密で柔らかく、墨をよくする(墨がよく磨れ、滑らかに溶け出す)という特徴を持つ。また石目の美しさ――例えば「蕉葉白(しょうようはく)」「金線」「魚脳凍」などと称される独特の模様や色合いは、芸術的観賞価値をも高めている。
2.端渓硯の歴史的な変遷
唐代(618~907)
端渓硯が初めて歴史に登場するのは唐代である。唐の文人たちにとって硯は日常の必需品であり、彼らが好んで用いたのが端渓硯であった。唐代の詩人・白居易(はくきょい)が端渓硯を称賛した詩を残していることからも、その名声が窺える。
宋代(960~1279)
宋代に入ると、文人文化がより一層洗練されるなかで、端渓硯の製作も技術的に飛躍する。名工たちが現れ、より装飾性の高い硯が生み出された。端渓石の種類によって格付けされ、希少な石は高値で取引されるようになる。
明・清代(1368~1912)
明・清時代には、端渓硯の人気は頂点に達する。特に清の乾隆帝は端渓硯の熱烈な収集家であり、自ら詩文を刻んだ硯を多数製作させた。宮廷の御用職人による高度な彫刻が施されるようになり、書道具を超えた芸術品としての価値を確立した。
3.端渓の採掘と現在の状況
端渓硯の原料となる端渓石は、広東省肇慶市の北に位置する端渓谷から採れるが、その中でも最も有名なのが「老坑(ラオカン)」と呼ばれる古くからの採掘場である。この老坑石は、きめ細かく滑らかで、墨の発色が非常に良いため、もっとも高価で珍重される。
しかし、この老坑は現在ではほとんど採掘不可能となっている。環境保護や資源枯渇のため、中国政府は採掘制限をかけており、「本物の老坑石」は既に市場から姿を消しつつある。現在出回っている老坑硯の多くは過去に採掘されたもの、あるいは模倣品が混在しているのが実情である。
その一方で、新たに開発された「坑仔巷」「麻子坑」「緑端」「宋坑」などの採掘場からは、比較的質の良い石が今も産出されており、現代の作家たちがこれらを素材に新たな作品を生み出している。
なお、近年は観光地化と合わせて「端渓硯文化村」のような展示施設も整備され、端渓硯の伝統技術を保存・継承する取り組みが進んでいる。
4.博物館に収蔵されている代表的な端渓硯
世界の博物館や美術館には、数多くの端渓硯が収蔵されている。以下は、その中でも特に知られた名品のいくつかである。
① 紫禁城博物院(北京故宮博物院)蔵:「乾隆御製端渓硯」
乾隆帝が愛用し、自らの詩を刻ませた端渓硯。表面には龍の浮彫が施され、王者の威厳と文人趣味が融合した逸品。保存状態も良好で、端渓石特有の光沢と色彩が今なお健在である。
② 上海博物館蔵:「蕉葉白端渓硯」
明代後期の作品で、「蕉葉白」と呼ばれる白い葉のような紋様が石の中に浮かぶ希少な硯。墨をすると紋様がうっすらと透けて見えるため、書きながらも鑑賞できるという贅沢な仕上がり。
③ 日本・東京国立博物館蔵:「端渓双龍硯」
中国からの伝来品として日本に渡り、江戸時代の大名家で愛蔵されたもの。双龍が左右から墨池を囲むように彫られており、豪奢な意匠が印象的。日本でも端渓硯が高く評価されていた証左である。
中国の「四大名硯」
中国の伝統的な「四大名硯」は、いずれも歴史が古く、書文化を支えてきた重要な工芸品です。
① 歙州硯(きゅうしゅうけん/安徽省黄山市)
-
産地:安徽省歙県
-
特徴:
-
端渓硯と並ぶ名硯。とくに「龍尾山」で採れる石が名高い。
-
石質は黒く、滑らかで墨付きが良い。
-
時に「金星」「銀星」と呼ばれる結晶が浮かぶものもあり、美観に優れる。
-
-
歴史:
-
唐代にはすでに存在し、宋代に最盛期を迎える。
-
明清時代には端渓と双璧とされた。
-
-
希少価値:
-
現在、龍尾山の採掘はほぼ終了しており、「老坑歙硯」は高級品市場で高額取引されている。
-
② 洮河緑石硯(とうがりょくせきけん/甘粛省)
-
産地:甘粛省の洮河流域
-
特徴:
-
淡い緑色の美しい石肌が魅力。
-
石がやや硬めで、耐久性があり彫刻に適している。
-
墨付きも良好。
-
-
歴史:
-
唐代より知られており、西北地方を中心に高く評価された。
-
-
現在の状況:
-
採掘量が少なく、質の良いものは希少。価格も上昇傾向にある。
-
③ 澄泥硯(ちょうでいけん/山西省ほか)
-
産地:主に山西省、河南省など
-
特徴:
-
石ではなく、黄河の泥を焼き固めて作る「焼成硯」。
-
色は紫紅色や黒褐色。独特の気品があり、手触りが滑らか。
-
墨が早くすれ、発墨性が高い。
-
-
歴史:
-
唐代に技術が確立。宋代には皇帝も使用した記録がある。
-
-
注意点:
-
焼き物ゆえに割れやすく、保存には注意が必要。
-
製作技法が一度失われ、近代になって復元された。
-
■ その他の高価・著名な硯
④ 松花江緑石硯(しょうかこうりょくせきけん)
-
産地:黒竜江省、吉林省
-
特徴:
-
緑色がかった石で、表面に白い斑点や金線が走ることがある。
-
北方の清朝貴族たちに好まれた。
-
-
希少性:
-
採掘量が限られており、特に古い時代のものは骨董市場で高騰。
-
⑤ 桃花石硯(とうかせきけん)
-
産地:湖南省・江西省など
-
特徴:
-
石に桃の花びらのような模様(紅色の斑点)がある。
-
石質はやや硬めだが、発墨性も良い。
-
-
観賞価値:
-
模様の美しさから、芸術品・収蔵品としての人気が高い。
-
■ 高価な硯の評価基準とは?
どの硯が高価かは、以下の要素に強く依存します:
-
石質の良さ(緻密さ、発墨性、色合い)
-
坑(鉱山)の希少性(老坑であるか)
-
彫刻や意匠の芸術性
-
歴史的価値(誰が作ったか、誰が使ったか)
-
保存状態
特に端渓の老坑、歙州の龍尾山など、もはや採れない「伝説級の石」は、数百万円から数千万円に達することもあります。
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。