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福岡市南区で木製面を買取りました!

今年も暦は一枚しか残っていない。街は師走という名前にふさわしく、誰も彼もが急ぎ足で、急ぐ理由も忘れたまま急いでいる。銀行は混み、スーパーのレジは長蛇の列、テレビでは一年を三分で総括する特番が始まる。そんな世間の慌ただしさを横目に、私は今日も骨董品買取という、急いでいるようで実は一歩も前に進まない仕事に身を置いている。
骨董というのは不思議な商売で、時代を扱っているのに未来はまったく見えない。過去を測り、現在で値段をつけ、将来のことは一切保証しない。なんとも無責任だが、それが許されるのは「古いもの」だからである。新しいものならそうはいかない。古ければ古いほど曖昧が許され、説明も長くなり、最終的には「まあ、そんなもんです…」で片づく。骨董屋とは、曖昧を飯の種にしている職業とも言える。
さて、今年最後の査定は福岡市南区のお宅だった。今年最後、という言葉には不思議な魔力がある。最後の一杯、最後の一箱、最後の一仕事。どれも少しだけ特別で、少しだけ気が緩む。私も例に漏れず、「今日はのんびりやろう」と自分に言い聞かせながら車を走らせた。もっとも、のんびりできるかどうかは品物次第で、こちらの心構えなど骨董品には一切関係がない。
迎えてくれたのは、ごく普通の住宅で、特別な門構えも、由緒書きの立札もない。だが中に入ると、趣味で集めたという神楽面や能面がずらりと並んでいた。数にして二十点ほど。木製、陶器、紙製と素材はさまざまで、表情も千差万別。笑っているもの、怒っているもの、どちらともつかないもの。人の顔というのは不思議なもので、木や紙で作られているのに、こちらをじっと見返してくる。
しかし、骨董屋というのは感動してはいけない職業でもある。感動や感情は値段を狂わせる。冷静に、あくまで冷静に。時代を見れば、ほとんどが昭和期の工芸品。丁寧に作られてはいるが、世の中に数も多く、希少性も薄い。空は年末らしく高かったが、査定額は地を這うように低い。これが現実である。
持ち主の方もそれは薄々分かっているらしく、「まあ、趣味ですから」と笑う。その笑顔に救われる一方で、こちらとしては少し申し訳ない気分にもなる。趣味と値段は、たいてい反比例する。情熱を注げば注ぐほど、市場価値は下がる。世の中はいつも皮肉だ。
一通り見終え、「今回はこんなところですね」と締めに入ろうとしたその時、箱の奥から一枚の面が現れた。埃をかぶり、他の面の下敷きになり、まるで忘れられていたかのようにひっそりと。だが、その瞬間、私は思わず背筋を伸ばした。骨董屋には時々こういう瞬間がある。理由は分からないが、「何かいる」と感じる瞬間だ。
その面は木製で、長年の手脂と時間によって黒光りしていた。表情はどこかとぼけていて、威厳があるようでいて、どこか愛嬌がある。怒っているのか笑っているのか分からない。だが、なぜか憎めない。人間で言えば、近所に一人はいそうな顔だ。
高千穂系の神楽面か。そう思いながら、時代を慎重に見ていく。彫りの深さ、木の乾き、漆の残り方。経験と勘を総動員する。結果は、鎌倉時代。年末にしては出来すぎた話だが、骨董の神様は時々こういう意地悪な優しさを見せる。

こうなると、さっきまでの昭和工芸品の山が、まるで前座のように思えてくる。いや、実際前座なのだ。主役はいつも、最後に現れる。人生も骨董品も、だいたいそういうものだ。
査定額は自然と弾んだ。年末のお年玉気分、と言えば聞こえはいいが、実際は私自身が一番浮かれていたのかもしれない。持ち主の方も目を丸くし、「そんなに?」と驚く。その反応を見ると、こちらも少し救われる。
帰り道、車の中でふと思う。こういう面が、何百年もの時間を超えて、年末の福岡で私と出会ったという事実。それだけで、この一年の慌ただしさが少し報われた気がした。
世間は相変わらず忙しく、来年もきっと同じように騒がしいだろう。だが、箱の奥で静かに時を待つものは、そんなことにはお構いなしだ。急ぐのは人間だけで、物はいつも悠然としている。だからこそ、骨董は面白い。
ありがたい一日だった。
そして、また来年も私は走り回るのだろう。走っているつもりで、実は何百年も前の時間の上を、のんびりと歩いているのだが…。
このお面については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細

◇この「神楽面」は鎌倉時代の物だと思われ木製の色合いも深く味わいのある時代面でした。面の内側には刻印は無いものの豪快な彫刻や表情豊かな上質の物でした。木材も重量感のあるもので古美術品的な神楽面でした。ありがとうございました。
買取査定額

◇古い面の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に素材や作者、次に時代、ほかには刻印、共箱などあればより高価買取&できます。ご自宅に神楽面や能面が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

長澤氏春作『若女』500,000円
天下一若狭守 霊女300,000円
堀安右衛門作 『深井』250,000円
羽生光長 犬面150,000円 他多数
神楽面とは?

1.神楽面の歴史と成立
神楽面の起源は、日本神話と古代祭祀にまでさかのぼります。神楽そのものは『古事記』『日本書紀』に記される天岩戸神話に由来するとされ、天照大神が岩戸に隠れた際、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を舞い、神々が笑い声を上げたことで岩戸が開いた、という物語が神楽の原型と考えられています。
当初の神楽は、面を用いない即興的な舞や儀礼でしたが、平安時代から中世にかけて、物語性をもつ「演じる神楽」へと発展する過程で、神や精霊の姿を視覚的に表現するための道具として神楽面が生まれました。
鎌倉・室町期には各地の神社を中心に神楽が定着し、地方ごとに独自の面と演目が形成されていきます。
2.神楽面の意味と象徴性
神楽面は単なる仮面ではなく、神霊が宿る依代(よりしろ)と考えられてきました。舞手は面をつけることで個人性を失い、神や鬼、精霊そのものとして舞います。そのため、神楽面は「演技のための道具」であると同時に、「信仰の対象」でもあります。
代表的な神楽面の種類には以下のようなものがあります。
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神面(男神・女神):威厳と慈悲を併せ持つ表情が多い
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翁面:長寿・五穀豊穣・国家安泰の象徴
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鬼面:災厄をもたらす存在でありながら、同時にそれを祓う力も持つ
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天狗面:山の神・修験者的存在
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女面:巫女神、姫神、あるいは人間の女性を象徴
表情は誇張されすぎず、見る角度や光によって喜怒哀楽が変化する造形が多いのが神楽面の特徴です。
3.使用される場所と場面
神楽面は主に以下のような場で用いられます。
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神社の祭礼
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例:秋祭り、新嘗祭、例大祭
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奉納神楽
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五穀豊穣、疫病退散、国家安泰を祈願
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里神楽・民俗芸能
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村落共同体の年中行事として継承
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現代の舞台芸術・保存会公演
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文化財指定を受けた神楽の公開上演
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特に中国山地(広島・島根)や九州、東北地方では、現在でも神楽面が生きた信仰用具として使われています。
4.歴史的に有名な神楽と作品
高千穂神楽
高千穂は『古事記』『日本書紀』において天孫降臨の地とされ、日本神話の中心地の一つです。そのため、高千穂神楽は「神話を演じる神楽」としての性格が非常に強く、現在も神社で一晩かけて33番前後の演目を奉納する夜神楽が続けられています。
この神楽において、面は単なる演劇小道具ではなく、**神が舞手に憑依するための依代(よりしろ)**と考えられています。舞手は面を着けた瞬間に個人性を捨て、神・鬼・精霊そのものとして振る舞います。
出雲神楽(島根県)
『八岐大蛇(やまたのおろち)』の演目で知られ、巨大な蛇の頭部や荒々しい鬼面が特徴です。勇壮で劇的な表現が多く、神楽面も力強い彫りと鮮やかな彩色が施されています。
石見神楽(島根・広島)
テンポの速い囃子と華やかな衣装、躍動感ある面が特徴。鬼や魔物の面は非常に表情豊かで、観客を圧倒します。
里神楽(関東)
江戸時代に洗練され、優美で静的な舞が多く、面も上品で写実的です。
5.有名な神楽面作家とその特徴
堀安右衛門(ほり やすえもん)
江戸後期の面打師で、神楽面・能面双方に影響を与えた人物。端正で均整の取れた表情が特徴です。
長澤氏(石見地方の面打師一族)
石見神楽の面制作を代々担い、激しい感情表現と耐久性を兼ね備えた面を制作。舞の激しさに耐える実用性を重視しています。
現代の神楽面作家
現代では伝統技法(桐材・胡粉・漆彩色)を守りつつ、表情や彩色に独自性を加える作家が増えています。観賞用としての神楽面も制作され、国内外で評価されています。
6.神楽面の文化的価値
神楽面は、信仰・芸能・彫刻美術が融合した日本独自の文化遺産です。一つ一つが手彫りで、地域の歴史や神観念を映し出しています。舞の中で初めて完成する「動く彫刻」とも言え、現在もなお人々の祈りと共に生き続けています。
■参考サイト
神楽資料館 (広島県・安芸高田市)
花巻市 神楽の館 (岩手県・花巻市)
三作神楽伝承館 (山口県・周南市)
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。












































