福岡市東区で山頭火の俳句作品や絵葉書を買取りました!
◇福岡市東区の海の見える丘の上に建つ、どことなく文豪気取りな住宅に骨董品買取の依頼で伺ったのは、師走の気配がちらつき始めたある日のこと。風情のある立地と重厚な門構えに「これは大物の予感」と心躍らせつつインターホンを押すと、中から現れたのは、白いシャツに書斎の匂いが染みついたような男性。聞けば、現役の小説家さんとのこと。あら、これはまた面白い展開になりそうです。
中に通されると、リビングの一角はまるで文化祭の展示コーナーのよう。古本や絵画、版画にブロンズのオブジェがところ狭しと並び、その隣には掛軸や書画が静かに存在感を放っている。「これ、全部おじいさまの遺品ですか?」と尋ねると、「うん、掛軸と書画は祖父が日本中を旅して集めたものですが、あとは私が好きで集めたものです」とのこと。どうやらこの家、文豪と旅人の二つの趣味が交錯したクロスロードといったところか。
さて、骨董品としての価値がありそうな掛軸と書画を一つ一つ拝見。品の良い墨の香りとともに、歴史の重みが感じられる逸品がいくつか出てきました。しかし、この物語の本当のクライマックスはここではなさそうです。引き出しを開けた瞬間、風向きが変わった。
そこには、戦前の絵葉書や手紙がぎっしり詰まっていました。紙の劣化具合がまた絶妙で、これぞ古き良き昭和の香り。何気なく手に取った葉書の一枚に目を通すと、なんと「種田山頭火」の名前が!しかも歌付きの直筆ではないか。私の心臓は、これまで見てきたどの骨董品よりも激しく鼓動を打ったのです。
さらに驚くべきことに、同じ引き出しからもう一通、山頭火直筆の葉書が出てきたではないか。これはただの偶然か、それとも運命の悪戯か。2通の葉書を前に、小説家の家主さんにこの貴重な発見を報告すると、「そういえば祖父は山頭火さんと懇意にしていたようです」と、さらりと言うではないか。「もっと早く教えてくださいよ!」と心の中でツッコミを入れつつも、冷静を装って葉書の内容を確認。
しかし、達筆すぎて解読不能。とはいえ、確かに種田山頭火が描いたものであることは間違いない。おそらく、これらは貴重な文学資料として研究者たちが喉から手が出るほど欲しがる代物だろう。
最終的に、この2通の山頭火直筆葉書を含むいくつかの骨董品を高価買取させていただくことになりました。家主さんも「こんな価値があるなんて」と驚きつつも、どこか誇らしげで喜んだ表情を浮かべています。
骨董品の世界は、いつだって予測不可能なドラマの連続だ。そんな日々を過ごせる自分の仕事に、今日も感謝の気持ちを抱きつつ、福岡の冬空を見上げたのでありました。この葉書については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細
◇この「種田山頭火のはがき」は俳句が入っている物なのでとても貴重です。古い為、シミや汚れがございますが資料として価値がある品物でした。ありがとうございました。
買取査定額
◇種田山頭火の作品の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に俳句が入っているかどうか、次に書体だけか絵があるか、ほかには証明するもの例えば一緒に写った写真などがあればより高価買取できます。
有名作家の作品は上記のように作家の認知度、人気度、作品等などでかなり差があります。ご自宅に著名な作家の作品が御座いましたら拝見させてください。
■過去の作品買取例
俳句 大山澄太極箱 200,000円
直筆句書入 昭和8年 草木塔 100,000円
二句 大山澄太鑑定外題 衝立 50,000円
六曲一隻俳句俳画押絵貼屏風 30,000円 他多数
種田山頭火とは?
◆種田山頭火(たねだ さんとうか)は、日本の自由律俳句を代表する俳人であり、禅僧としても知られています。
種田山頭火は、1882年(明治15年)に山口県阿武郡に生まれました。本名は種田正一。家庭環境は複雑で、母親は彼が9歳のときに自殺しています。この経験は彼の人生に深い影響を与えました。早稲田大学で学ぶも中退し、その後は家業の酒造業を継ぎましたが、経営の失敗や精神的な苦悩から放浪の生活に入ります。彼の放浪生活は、一時的な逃避ではなく、生き方そのものとなり、後の作風にも大きな影響を与えました。
山頭火は、伝統的な五七五の俳句形式を脱し、自由律俳句という型にとらわれない形式を追求しました。その作品は、簡素で自然な言葉遣いでありながら、深い哲学的洞察や感情を含んでいます。代表的な句には次のようなものがあります:
- 「分け入っても分け入っても青い山」
- 「まっすぐな道でさみしい」
- 「一滴一滴みなうれし」
彼の句は、旅や自然の中で得た孤独感や無常観を反映し、禅的な思想が随所に見られます。
山頭火は自由律俳句の創始者である尾崎放哉(おざき ほうさい)の影響を受けました。放哉と同じく、句を通して内面の孤独や苦悩を表現することに重点を置きました。また、山頭火は石碑を建てるなど、尾崎放哉を深く尊敬していました。その一方で、山頭火自身には特定の弟子は存在しません。しかし、その作品や生き方は後世の俳人や詩人に多大な影響を与えています。さらには彼の人生には禅の要素が深く関わっています。1924年(大正13年)に禅僧となり、托鉢しながら日本中を旅しました。この修行の中で得た気づきが、彼の俳句に大きな影響を与えています。俳句そのものが禅の教えを体現する形となり、「無駄を排した純粋な表現」が特徴的です。
山頭火は生前には特に大きな受賞歴がありません。彼の作品や生き方は、晩年にようやく少しずつ評価され始めました。没後、俳句や詩の分野で再評価が進み、現代では自由律俳句の重要な俳人として位置付けられています。しかしながら山頭火の放浪的な生き方とその俳句は、現代文学や美術、音楽にも影響を与えています。また、彼の句は今も多くのファンを持ち、現在でも作品集や句碑が日本各地に存在します。山頭火は形式に縛られず、自然や自分自身をそのまま表現する自由な姿勢を貫きました。その結果、多くの人々にとって、彼の作品は時代を超えて共感を呼び続けています。詩人や文化人、ミュージシャンにもその生き方は愛され続けられています。
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