福岡市中央区で玉井楽山の菓子器を買取りました!

10月に入り、福岡の空気はようやく「エアコン要らず」の季節へとシフトした。窓を開けると、少し湿った風が、冷房も暖房もない部屋をそっと撫で回してゆく。こういう日を待っていた。が、この秋風が、私を導いたのは、紅葉でも書斎でもなく――蟹(かに)であった。
某日、一本の骨董品買取の電話が舞い込む。「都心の高層マンション、一室の中で古いものを見てほしい」と。福岡市内、ビル群の谷間を縫って、私は査定道具を肩に抱えてエレベーターを昇った。押し寄せる街のざわめきが徐々に遠ざかり、ガラス張りの高層のエントランスを抜けると、案内された部屋のドアノブに手をかけた瞬間、私は「蟹ワールド」へと降り立った。
ドアを開けると、まず視界を占拠していたのは――蟹、蟹、蟹、蟹……。
陶磁器の蟹、油絵の蟹、ブロンズの蟹、木彫りの蟹。棚には陶器の蟹の茶碗や壺、飾り皿。ケースの中にはブロンズの蟹がぴたりと列をなして。額縁の中では、夕暮れの浜辺に佇む一対の蟹がほくそえむように描かれている。もう、まるで蟹の博物館を任された瞬間だった。
見れば、どの作品も丁寧に収納され、埃ひとつ見当たらない。前の持ち主が、まるで蟹殿たちを「神々」か何かのように崇めていたかのような配慮である。棚やアクリルケースにはクッションが敷かれ、作品同士の隙間すら無駄にしない――蟹たちには住処が用意され、静かに呼吸しているかのようであった。
だが、私はすぐに「では、この蟹の主は誰だ?」と問いを立てた。漁師、と告げられたときには、思わず微笑んだ。なるほど、蟹を追って毎日海に出る男が、海の小さな獲物に宿る神秘を手のひらに閉じ込めたかったのだ。獲って、食べて、心に蟹を残す――情熱を少しも無駄にしない人生である。
私は目の前に並ぶ蟹たちを、ひとつひとつ眼光を鋭く走らせながら査定を始めた。
「この陶磁器の蟹、釉薬のひび割れ具合、作者印章の痕跡から見て、明治末期か大正初期のものか」
「このブロンズの蟹、脚先の磨耗、銅の緑青具合から、少なくとも半世紀は回ってるな」
「木彫りの蟹、この木目と彫りあと、地方系な彫刻系の味がする――もしかして地方の名もない職人か」そして今回の目玉である「玉井楽山」の菓子器もあった。

査定メモを走らせ、価格を弾き出しながら、心の中ではこんな思いが渦巻いた:
“この男、漁師としては蟹を獲り、骨董収集家としては蟹を集め、まるで彼自身が蟹であるかのように――いや、蟹と一体であるかのように生きていたんだな。”
そう捉えると、この部屋はただのコレクション部屋ではない。蟹さまの聖域、あるいは漁師兼蟹修行僧の密室だ。
査定を進めるうちに、ふと妙なことを思い出した。昔、見た漁村の漁師が、「海に出ると、蟹の死骸を海面に疎ましく捨てる輩が多い。だが俺は、彼らがそれを残した砂の柄行を、陸で立ち止まり、家で尊ぶんだ」と言っていた。海の贈り物を自宅に持ち帰り、それを「骨董品」に変える。まさしく――海と陸を巡る転生の道だ。
さて、査定は終盤、部屋の角にひときわ大きな飾壺が鎮座していた。壺の胴に大きな蟹が三匹彫られており、脚や爪が立体的に浮き上がっている。背後には、漁網のような意匠を釉薬で模した文様も見える。これを見たとき、私は心臓が少し浮いた。「こいつ、骨董品査定屋冥利に尽きる一品だ」と思った。だが、商売としては冷静でなければならない。
「こちらの壺、保存状態極めて良好。脚先の欠けなし。彫りの線もくっきり残ってる。海外収集家も興味を持つだろう。提示額、こちらになります――」
私は見積もりを口に出した。漁師は、一瞬だけ目に光を宿したが、すぐにぐっと抑えた。
「いいでしょう。その金額でやりましょう。」
取引成立。僕は、蟹たちをひとつずつ梱包しながら、彼を見た。漁師は静かに、日焼けした手を撫で、俯きながら、小さな笑みを漏らすようだった。
だが、帰り道。荷車を押す私の頭には、蟹たちの声が残った。殻同士がかすかに触れ合う音。脚がわずかに震える残響。漁師が海から持ち帰った生きた時間が、私の車の荷台でひそやかに蠢いているように感じた。
(そうして私は帰宅し、夜中まで梱包を続け、明日の搬出に備える。だがその夜、ふと夢に出たのは――無数の蟹が砂浜をのたうつ風景であった。目覚めても、その視覚が脳裏から離れない。)
…いや、考えてみれば、私には海の香りを売る工程がある。骨董品査定師という職業は、「時間」と「物語」と「欲望」を売る仕事だ。しかしこの日、「蟹」を売ることは、海と時間と人間の情念を梱包して箱に詰める作業であったと言えるだろう。
福岡の街へ出ると、夜のネオンが波のようにきらめいていた。私はその中を歩きながら思った。「次に開けるドアが、もしや“蛸だらけ”の蔵か、“金魚だらけ”の住居であっても、私の心臓は、適応できるだろうか」。
だが、おそらくその次も、私は開けてしまうだろう。そしてまた、時代を宿した物に息を吹き返させ、彼らと会話を交わすだろう。たとえその主題が「蟹」であろうとも。そうして、十一月が来るまでの数日。私は、あの日の蟹たちの気配を感じながら、筆を走らせるのだ。
この玉井楽山の菓子器については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細
◇この「菓子器」は四国の窯で「玉井楽山」作品でおなじみの蟹のモチーフが施されている作品です。茶器や湯飲み酒器の作品が多い中、珍しく菓子器の作品です。ありがとうございました。
買取査定額

◇玉井楽山作品の買取査定額もしくは評価額ですがまず作風や大きさ、次に蟹の数や大きさ、ほかには栞やなどあればより高価買取できます。ご自宅に玉井楽山の作品や茶器が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

楽山焼き 天神蟹彫 茶器 400,000円
楽山焼 天神蟹彫煎茶器揃 200,000円
楽山焼 玉井楽山作 天神蟹彫刻珈琲カップ5客 150,000円
玉井楽山 大花瓶 80,000円 他多数
玉井楽山とは?

◆「楽山焼(らくざんやき)」という名称は、愛媛県松山・伊予地方で制作された陶器・陶彫刻品を指す呼称として使われることがあります。なかでも「玉井楽山(たまい らくざん)」という作家名/工房名が知られ、特に「天神蟹(てんじんがに・蟹細工)」をモチーフとした彫刻的な作品がその代表格です。楽山焼・玉井楽山を語るうえで、「道後焼/水月焼/二六焼」との関係がしばしば持ち出されます。
松山/道後地域では、江戸後期から「道後焼」と称される陶芸品が観光や土産物産として制作されていたとされます(権兵衛や羅漢、菩薩像、土産陶器など) その後、「水月焼(すいげつやき)」という名称が登場し、陶彫刻性をより強めた方向に発展したとされ、その流れのなかで、道後焼 → 水月焼 → 楽山焼/二六焼へ派生したという説明が、地方資料・伝承で見られます。
伝承上、道後焼の時代には浅川主水、二名拜山らが試作を重ね、好川馬骨が加わって「天神蟹」モチーフを使った彫刻陶器を制作したという説も伝わりますが定かではありません。
このあたりが「陶彫刻」という性格を持つ地域的な工芸の萌芽期とみなされ、その後地方の作家たちが独自の作風を出した――そのひとつが玉井楽山であろう、という枠組みです。
玉井楽山と工房
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初代・二代目の玉井楽山は生没年不詳
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三代目玉井楽山は 1924年(または1917年)生まれ、東京美術工芸学校卒業、戦後に伊藤翠壺(陶芸家?)に師事し、1950年代頃に三代目を継承とする説あり
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1990年没とする説があります
楽山焼は、明治維新以降に民窯化が進んだという説明が流通業者サイトで見られ、玉井楽山没後は後継者がおらず、現在は新作は存在しない(閉窯)という解説があります。このように、現代においては新作がほぼ見られない希少性をもつ陶工芸のひとつとされています。
作品例 | 特徴・注目点 | 出典・備考 |
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蟹彫刻(天神蟹)を用いた飾壺・花器 | 黒楽/黒風釉を使った大型角形花器に蟹彫が施されたもの。装飾性が高い。 | 「愛媛県伊予 楽山焼 玉井楽山作 天神蟹彫り黒楽風大型角花器」 |
小皿 5枚 天神蟹図 | 小型の皿5枚組。蟹文様をあしらったもの。 | 「B138b 玉井楽山作「小皿 5枚」楽山焼 伊予松山 天神蟹」 |
蓋付き湯呑(蟹彫刻) | クリーム系磁器釉調、蟹の立体装飾を施すタイプ | 「玉井楽山 楽山焼 蟹彫刻 蓋付湯呑 伊予松山」 |
精密彫り 夫婦湯呑 茶碗セット | 精緻な蟹の浮かし彫り、蓋付き仕様、共箱付き | 「楽山焼 玉井楽山作 天神蟹精密彫り 蓋付き夫婦湯呑茶碗」 |
菓子器(蓮形・蟹彫) | リムや蓮弁形状を取り入れつつ、蟹装飾をあしらった菓子器 | 「愛媛県伊予 楽山焼 玉井楽山作 天神蟹彫り蓮形菓子器」 |
飾壺・壷花器(蟹細工混用) | 装飾性を重視した造形、蟹細工を前面に出した意匠 | 「玉井楽山作 蟹彫刻 花瓶 在銘」などの落札例 |
これらの事例から、玉井楽山作品は以下の傾向を持つことが見てとれます。
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特に「蟹(天神蟹)」をモチーフとする彫刻的な装飾を重視
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器形としては皿、湯呑、茶碗、菓子器、花器、飾壺など多様
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釉調としては白系・クリーム系・黒楽調などが見られる
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彫り手法: 浮かし彫り・浮出彫り等、立体感や深みを出す彫刻技術
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印章:作品によっては「樂山」印が刻まれるものもある
作品には共箱付きのもの、共箱なしのもの、また蓋付き仕様・対(夫婦組)仕様など、バリエーションがあります。
作風・特徴
玉井楽山の作品に共通して見られる作風・技法的特徴を以下にまとめます
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彫刻性・立体感の強調
「蟹(天神蟹)」というモチーフを立体的に浮き上がらせたり、深く彫り込んだりする技法が特徴。器体表面に彫刻を施すことで、陶器という枠を超えた「陶彫刻」の風格を帯びる。
浮き彫りのように蟹が器面から浮かび上がるように見せる手法も多く、公募資料・販売写真の説明文でも「浮き彫り」「細密彫り」「生き生きとした躍動感」などの表現が使われています。 -
釉調と色調バリエーション
クリーム色~白系(クラックル調、乳白釉)を基調とするもの、黒楽調・黒風釉を用いたものなど、色彩の対比を用いたものも見られます(例:黒楽風の大型花器)
器体の釉調と彫刻部とのコントラストを意図する作品も多く、彫刻部が釉の下地色と異なる見え方をするよう構成されている例があります。 -
意匠構成・モチーフ
蟹を中心に、蓮弁文様やリム曲線、器形変化(角形・円形・蓮形・飾壺形)などを組み合わせる例が見られます。菓子器では蓮形リムを採りながら蟹装飾を施すものなど。
また、茶器・湯呑セット・夫婦湯呑など用途別の器形にも対応しており、機能性と装飾性のバランスが図られている点も特徴。 -
署名印章・刻印
流通業者情報では、楽山焼作品には「樂山」と刻印されているものがあるとされており、作品鑑定・識別時の手がかりとされることがあります。
ただしすべての作品に印章があるわけではなく、無印作品も流通しています。 -
希少性・閉窯性
玉井楽山没後、後継者がなく新作が制作されないという説があります。そのため、流通している作品はすでに世に出たもの、在庫・蔵品扱いものが中心であるとされます。 -
地方性・ローカル志向
地域的な陶芸伝統との接点(道後焼・水月焼など)を背景としながら、個性ある作品群を生み出したという意味で、地方工芸家らしい“系譜の継承+個性化”の方向性をもつところが、玉井楽山作品の魅力でもあります。
主な関連作家
玉井楽山を理解するには、松山・伊予地方の陶芸/陶彫刻系統、すなわち道後焼・水月焼・二六焼などとの関係を押さえる必要があります。
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好川恒方(初代水月焼)
道後焼が水月焼と名を変え、陶細工を重視する流れを率いたと伝えられる作家。道後焼 → 水月焼 → 後続作家(玉井楽山・佐々木二六など)につながる系統としてしばしば言及されます。 -
佐々木二六(二六焼)
愛媛県出身の著名な陶彫刻家で、「彫り込み」手法を得意とし、山水・花鳥・人物文様など多彩な意匠を刻む作風で知られます。初代 佐々木二六は 1857年生まれ、瓦製造家に育ち、その後陶彫刻を志して二六焼を創始。
玉井楽山作品には「二六焼」・「水月焼」・「楽山焼」といった複合呼称が付されることもあり、作風・流通上の近縁性を示す例があります。
総じて、佐々木二六は地方陶彫刻界を代表する巨匠であり、地域の陶彫刻風土を形成した存在と評価されます。そのなかで、玉井楽山は後期の一派として、蟹モチーフと造形感覚を強めた作風を示したローカル作家と見ることができます。
■参考サイト

■その他の買取品目
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