共箱、栞ともに付属している赤間硯です/書道具 買取 福岡
共箱、栞ともに付属している赤間硯です
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師走前夜の福岡は、寒いくせにどこか浮かれた顔つきをしている。道ゆく車も人もいささか急ぎ足で、それでいて、どこかソワソワと落ち着きがない。まるで街そのものが「今年こそは無事に終わってくれ給え」と願をかけながらも、つい落ち着かずに鼻歌をもらしてしまう――そんな風だ。

私ら骨董商はといえば、その浮かれた空気にきっちり乗っかるほど図太くはなく、かといって冬眠の前に脂肪を溜め込む熊ほど悠長にもしていられない。寒さに震える財布を片手に、あっちの蔵、こっちの離れ、またまた別の物置小屋と、福岡中を小走りして脂肪ならず骨董品を貯める毎日だ。

「冬眠前の骨董品買取強化週間」などと自分で勝手に標語を掲げながら、実際は冬眠どころか年中働き通しなので、こういう嘘は自分にだけは許される。商売人の自分を慰めるための、ささやかな口実である。

さて、この日の目的地は福岡市城南区。

昭和40年代に建てられたという文化住宅に、骨董の買取依頼が舞い込んだ。文化住宅という響きは、私にとっては「庶民的」と「お宝」がほどよく混ざった、妙に懐かしい呼び声のようなものだ。建物自体が既に骨董の仲間入りをしていて、手すりのサビや、階段の微妙な軋みさえ、こちらに微笑みかけてくる。

家主は書や絵画を長年楽しんでいたという方で、玄関をくぐる前から紙と墨の匂いが鼻をくすぐる。期待と不安が同時に胸に浮かぶ。書画好きの家には、宝物が眠っている場合もあれば、「熱量だけは世界一級」の作品が山のように積まれている場合もある。

果たして今回は――。

部屋に案内されると、案の定というべきか、壁という壁に掛軸や仮名文字の書がこれでもかと並んでいた。辞世の句なのか、はたまた昨日の思いつきなのか、判別がつかない勢いで筆文字が攻めてくる。部屋全体が書のジャングルと化していて、うっかり触れば墨の精がひょっこり出てきそうだ。

一枚一枚を丁寧に眺めていく。すると、残念ながら、そのほとんどが家主の作品だとわかってくる。情熱も技量も決して低くはない。むしろよくここまで精進なさったと感嘆する。しかし、骨董の世界は非情だ。

どんなに胸のこもった書でも、どこの誰それとわからなければ値は付かない。「あなたの心意気には値段がつくが、作品にはつかない」という、あまりにも言いにくい本音が喉までこみ上げる。冷酷なまでの「需要」という怪物が、今日もまた真面目な努力を軽々と踏み潰していく。

正直なところ、こういう場面は毎度つらい。

骨董商は芸術の死神でも、夢を切り捨てる検察官でもないつもりだが、結果として似たような役回りをしてしまうことがある。「これ、お値段つきません」と言うたびに、胸の奥に冷たい雨が降る。それでも商売は商売で、泣いて暮らすわけにはいかない。

気を取り直して部屋を移動する。

書斎へ入ると、空気がガラリと変わる。ここには、あった。あるある、とはまさにこのこと。中国の印材、筆、墨、そして硯。棚という棚に、まるで「拾って帰りなさい」と言わんばかりに並んでいる。書の道具というのは、作者が無名であってもきちんと価値が出る。特に硯となれば話は別だ。

表面の仕上げもとても滑らかな手触りの硯でした/硯の買取は福岡玄燈舎
表面の仕上げもとても滑らかな手触りの硯でした

陳列された硯の山を見ていると、まるで山里の温泉宿に来たような安心感が湧いてくる。中でも目を引いたのは赤間硯。歴史のある名品で、手に取るとズシリとした重みと、黒曜石を思わせる光沢が手のひらに馴染む。工芸品とは、人間が時間を閉じ込めようとして作り上げた“時間の容器”のようなものだ。

この赤間硯にも、かつての書家の息遣いが確かに残っている。

作品そのものは買えなくとも、書道具一式はすべて買取できた。これは本当にありがたい。骨董商としては、何よりも依頼主が少しでも満足してくれることが救いだ。お互いが納得して手放し、受け取り、必要とする人へ橋渡しする。それが商売の本旨でもある。

しかし――である。

この一件が象徴するように、「価値」とはつくづく残酷で、儚くて、そして人間の思い入れとはしばしば完全に無関係である。情熱を注いだ作品が無価値とされ、本人が何気なく買った道具に高値がつくこともある。逆もまた然りだ。世の中とは、なんと不公平で、なんとおかしなバランスの上に成り立っているのだろう。

私はこの矛盾に、もう長年つき合ってきた。

だが最近になって、少しだけ思うことがある。

骨董というのは、実は価値を測っているようで、その実、価値の“偏り”を測っているだけなのではないかと。

人がどうしても欲しがるものには値がつく。

誰も見向きもしないものには値がつかない。

ただそれだけだ。

けれど、誰もが見向きしなかった作品を、未来の誰かが拾い上げて光を当てることもある。今日の無名が明日の巨匠になることだって、歴史は何度も証明している。だからこそ骨董の世界は面白いし、同時に恐ろしい。

家主の方は、書道具が売れたことを素直に喜んでくれた。

そして最後に、壁いっぱいの書を見つめながら小さくつぶやいた。

「この子たちは、まだ旅に出る準備ができてないみたいだね」

その言葉には濁りも恨みもなかった。ただ、そこに並ぶ作品たちを自分の子どものように思っていることだけが感じられた。私は深く頭を下げた。

作品が売れなかったことは申し訳ない。しかし、その作品の価値がゼロだとは思わない。ただ、“いまの市場では”値段がつかないだけだ。市場は冷淡だが、作品は決して嘘をつかない。

帰り道、車の窓には冬の気配がべったりと貼りついていた。

街の灯りがぼやけ、やけに温かく見える。

そのぼんやりした光を眺めながら、私は思った。

――人の創作とは、なんといじらしく、そして美しいのだろう。

師走が始まればまた忙しくなる。

骨董商として、また価値と無価値の狭間をたゆたう日々が続く。

だが、それも悪くない。そこには人の営みがあり、思い入れがあり、時代があり、そしてほんの少しの風刺や皮肉を味わう余裕もある。

価値というのは不思議だ。

高いから偉いわけでも、安いから愚かでもない。

ただそこに、人の思いがどう関わったか――それだけが、骨董商にとって唯一の見どころなのだ。

今日もまた、書の精たちに囲まれた部屋を思い出しながら、ハンドルを握る。

街は忙しなく、しかし美しく冬支度をしている。

私もまた、骨董商としての小さな冬眠に向けて、もうひと頑張りするつもりだ。

この硯については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

◇この「赤間硯」は今でも作られている伝統的な硯です。石の色合いも深く明るいものでした。硯の名前は「昭竜山」とあります。ほとんど使用されていない美品で重量感のあるもの。共箱付きの美術品的硯でした。ありがとうございました。

買取査定額

◇硯の買取査定額もしくは評価額ですがまず石の産地、次に表面の石文様、ほかには刻印、共箱などあればより高価買取できます。現在では掘りつくされた古い中国の硯、例えば端渓硯などに人気があります。ご自宅に硯や書道具が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

とても分厚い良質な硯石です/福岡の骨董品買取は玄燈舎へ
とても分厚い良質な硯石です

赤間関住大森土佐守頼澂   100,000円
大森頼澄 赤間 関硯      90,000円
丸硯 赤間関住 大森土佐守   75,000円
赤間硯 かく泉堂作  50,000円 他多数

赤間硯とは?

赤間硯、昭竜山とあります/書道具の買取も福岡玄燈舎
赤間硯、昭竜山とあります

■ 赤間硯の歴史

赤間硯は、山口県宇部市(旧称・厚狭郡船木町)を中心に産する国指定伝統的工芸品の硯で、日本の硯史の中でも優れた名品として知られる。起源は奈良時代まで遡るとされ、現存する資料では平安時代にはすでに赤間石を用いた硯が作られていたと考えられている。特に室町〜戦国期にかけて、赤間石が書家や寺院関係者の間で評価され、山口を本拠とした大内氏の文化政策とも相まって、書道文化との関係が深まった。

赤間石(あかまいし)は、宇部市の周辺に分布する頁岩(けつがん)由来の軟質な粘板岩で、古くから良質な硯材として知られていた。石肌がきめ細かく、加工しやすく、かつ墨をおろすときに適度な摩耗で墨を細かく砕く性質を持つ。そのため、古来より「赤間の硯は墨の発色が良い」「書き味が滑らかで疲れない」と高く評価されてきた。

江戸時代には、藩政の整備とともに硯職人が増加し、赤間硯の生産と流通は本格化する。この頃、加工技法も洗練され、彫刻を施した装飾性の高い硯が増えた。特に江戸中期には名工と呼ばれる職人が現れ、それぞれが独自の意匠や彫技を確立していった。赤間硯は熊野筆土佐和紙などと並び、書道に関わる伝統工芸の重要な一翼を担い、江戸の書家たちからも多くの支持を得た。

そして明治以降、西洋文化の流入や教育制度の変化により筆文化が衰退し、硯産業自体が縮小するものの、赤間硯は地元の職人や工房によって守り継がれ、昭和59年(1984年)には国の伝統的工芸品に指定される。これにより全国的に認知が高まり、現在では書家から愛好家まで幅広い層に支持される代表的硯の一つとなっている。


■ 代表的な作者・工房

赤間硯には、歴史上の名工から現代の工房まで多くの作り手が存在する。以下は代表的な工人や系統である。

● 村本家(村本硯師)

村本家は赤間硯の中心的存在として知られ、江戸時代から続く名門である。特に村本松泉などの名工は、伝統を重んじつつ細密な彫刻や繊細な仕上げで高く評価された。村本家は世代を通じて技術の継承を行い、現在でも赤間硯の代表的工房のひとつとして活動している。

● 菊地工房(菊地硯石店)

赤間石の採石から加工まで一貫して行う工房として知られ、素材の目利きに優れた職人が揃う。赤間石は採石によって品質差があるため、良質な原石を見分ける技術は極めて重要である。菊地工房は伝統技法を踏まえつつも、現代的なデザインや実用性を意識した硯作りにも取り組んでいる。

● 田中硯師

彫刻技術が高く、特に龍や波文などの立体彫刻を得意とする工人として知られる。硯は本来実用品であるが、田中硯師の作品は工芸品としての価値も非常に高い。赤間硯の芸術性を近代において再評価させた立役者のひとりとされる。

● その他の現代作家

近年では若手職人も台頭しており、伝統的な硯形式だけでなく、インテリア性を高めた意匠、アート作品としての硯など、多彩な作品が登場している。地域の硯組合などでも技術講習や展示会が行われており、赤間硯の文化を継承しつつ広める活動も盛んである。


■ 赤間硯の特徴

赤間硯が古来より高く評価されてきた理由は、その素材である「赤間石」の特質と、それを最大限に生かす職人技の両面にある。

① 原石の特徴:きめ細やかで墨おりが良い

赤間石は粘板岩の一種で、粒子が非常に細かく均質性が高い。このため、墨を磨ると細かな粒子が均一にすり潰され、濃淡の調整がしやすい。墨色は深みのある黒を呈し、書家からは「発色が柔らかくしっとりしている」と評価される。摩擦が程よく、墨をする際に手が疲れにくいのも特徴である。

② 石質の柔らかさ

赤間石は硬すぎず柔らかすぎず、加工に適した石質で、細部の彫刻を施しやすい。そのため装飾性の高い硯を作りやすく、龍、牡丹、亀など吉祥文様を彫り込んだ作品も多い。職人の技量によって個性的な作品が生まれやすい素材だと言える。

③ 水持ちの良さ

硯は墨堂(すみどう)に水を含ませながら墨を磨って使用するが、赤間硯は水が適度に石に馴染むため、墨が長時間にわたり一定の粘度を保つ。これによって書き始めから終わりまで、書の筆致が安定する。

④ 経年変化の美しさ

使い続けると墨が硯面に馴染み、表面の艶が増し、より滑らかに磨れるようになる。これは赤間石の粒子構造が細かいために生じる現象で、「育つ硯」として愛用者から評価される理由である。

⑤ 多様な意匠

実用的な無地の硯から彫刻を施した観賞硯まで幅広く、用途や趣味に応じた選択ができる。特に赤間硯は彫刻の美しさで知られ、鑑賞価値の高い芸術硯としても人気が高い。

■ 昭竜山とは … 下井百合昭とその工房

  • 「昭竜山」は、赤間硯の作硯家(硯を作る職人)である下井百合昭の号(雅号/工房名あるいは作家名)です。

  • 下井百合昭氏は、山口県宇部市にある「くすのき製硯(赤間硯組合の一員)」を代表する硯師。くすのき製硯は、採石から磨き、仕上げまでを一貫して担う工房です。

  • 下井氏は「伝統工芸士」に認定されており、長年にわたって赤間硯の制作に従事、伝統技術の継承者かつ現代の第一線の作家のひとりとされています。

  • また、彼は「採石から硯製作まで十数工程すべてを自ら行う」とされ、非常に手間と技術がかかる赤間硯づくりを、素材選びから最終仕上げまで通しで担うことで知られています。

 

参考サイト

 

下関市立美術館(山口県下関市)

山口県立萩美術館・浦上記念館
玉弘堂(赤間関硯本家)

■その他の買取品目

 

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