玉川堂の茶器セット買取りました・福岡

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福岡市東区で玉川堂の銅製茶器を買取りました!

令和七年も、気がつけば残り指折り数えるほどになった。福岡の街は相変わらず忙しない。師走という言葉は、仏の師が走ると書くが、実際に走っているのは仏ではなく、年末商戦に煽られた人間と、意味もなく点滅するイルミネーションと、そして我々のような零細自営業者の焦燥である。正月を迎える前から、もう正月疲れの顔をしている人間が多いのは、景気が悪い証拠なのか、日本人の性分なのか、その両方なのか。

骨董商という商売は、景気が良くても悪くても、結局のところ「何とか年を越す」ために帳尻を合わせる生き物である。景気が良ければ「今が売り時ですよ」と囁き、景気が悪ければ「今は整理の時ですね」と言う。どちらにしても口先三寸、もっともらしい理屈を用意して、今日もどこかの玄関先で靴を脱ぐ。骨董とは古い物だが、商売のやり口はいつの時代もあまり進歩しない。

そんな年の瀬のある日、福岡市東区の高台にある一軒家へ、買取の依頼で向かった。高台というのは、だいたいにおいて話が大きいか、品物が重いか、その両方である。坂を上る途中、愛車のエンジンが悲鳴を上げるのを聞きながら、「これは査定額も上り坂であってほしいものだ」と、神仏にも似た願いを抱く。信仰心は薄いが、都合のいい時だけ神頼みをするのも、商売人のたしなみである。

家の主は、専大――つまり大学教授だった方の遺族で、茶道を嗜み、学問と共に道具を愛した典型的な昭和の知識人であったらしい。応接間から座敷、納戸に至るまで、茶道具、、花瓶、掛軸、屏風がずらりと並ぶ。数十点どころではない。「整理しきれなくて」と遺族は言うが、それは物の問題ではなく、気持ちの整理がついていないのだろう。骨董品というのは、持ち主の人生の残り香を、しつこいほどにまとっている。

抹茶茶碗や茶杓には明治期のものが多く、いかにも「ちゃんとした先生についていました」という顔つきをしている。茶碗は無言だが、無言の圧がある。これは安くするなよ、と言っているようにも見える。こちらも負けじと、無言で底を覗き、高台を撫で、釉薬の景色に一応感心してみせる。感心はするが、感動はしない。感動してしまうと商売にならないからだ。

掛軸の中には、中国・明時代の書や山水画がちらほらと混じっていた。真贋の話になると、急に空気が学術的になるが、最終的に決めるのは市場と相場と、その日の気分である。大枚が飛び交う、というほど派手ではないにせよ、電卓の数字がゼロを一つ多く連れてくる瞬間には、やはり背筋が伸びる。遺族の顔色と、自分の懐具合を同時に観察する、骨董商特有の二重視力がここで発動する。

今回、特に目を引いたのが「玉川堂」のとんぼの銅製茶器だった。新潟・燕の名工の仕事で、銅の肌はしっとりと落ち着き、飛び交うとんぼは派手すぎず、地味すぎず、いかにも「分かる人だけ分かってください」という顔をしている。こういう品は、値段よりも「誰が持つか」で評価が変わる。利益を度外視した買取になったが、依頼主の表情が少し和らいだのを見て、「まあ、これで正月は迎えられるか」と自分に言い聞かせた。

共箱です/骨董品買取福岡
共箱です

世間では、不要品はすぐフリマアプリに出せ、何でも即金化せよ、という風潮だが、骨董品はそう簡単に割り切れない。値段がつく物ほど、気持ちがついてくる。逆に、値段がつかない物ほど、思い出だけが重たい。骨董商は、その間に立って、なるべく双方が傷つかないように振る舞う、いわば世相の緩衝材のような存在なのかもしれない。もっとも、本人はそんな殊勝なことを考えてはいない。ただ、年を越す算段をしているだけだ。

赤銅の受け皿です/茶道具の買取
赤銅の受け皿です

帰り道、福岡の街はすっかり正月モードで、門松とセールの幟が仲良く並んでいる。この国では、縁起物と値引きが同居する。ありがたいのか、ありがたみが薄れるのか、その判断は各自に任されている。車の中で、今日の買取品の顔ぶれを思い返しながら、「来年も、古い物に新しい理屈をつけて生きていくのだろう」と、半ば諦め、半ば期待しつつ、年の瀬の渋滞に身を任せた。

茶筒にもとんぼが描かれています/骨董品の買取は福岡玄燈舎
茶筒にもとんぼが描かれています

骨董商の一年は、だいたいこんな具合で終わる。大事件も奇跡もないが、誰かの人生の端切れを預かり、別の誰かへ渡す。その繰り返しの中で、世相や風評だけが、毎年少しずつ色を変える。玉川堂の銅のとんぼのように、静かに、しかし確かに。正月はすぐそこまで来ている。さて、来年はどんな古い物が、新しい顔で現れるのだろうか。この茶器については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

叩き銅の素晴らしい急須ですね/茶道具の買取 福岡
叩き銅の素晴らしい急須ですね

◇この「銅製トンボ茶器」のとんぼは玉川堂の代表的な意匠で他の作品でも見かける人気のデザインでした。銅の色合いも深く打ち出しの作風もとてもきれいでした。ありがとうございました。

買取査定額

重量感のある茶筒です
重量感のある茶筒です

◇玉川堂の買取査定額もしくは評価額ですが第一に意匠とデザイン、材質、状態、ほかには刻印ヤ共箱などあればより高価買取&できます。

ご自宅に玉川堂の茶器や茶道具が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

へらにも「とんぼ」が飛んでいます/骨董品の買取は福岡玄燈舎
へらにも「とんぼ」が飛んでいます

銀瓶 口打出湯沸  700,000円
琢斎銘有 蓮花 蓮 茶托 500,000円
漸石落款 純銀金象嵌煙草入300,000円
『玉川覚平』造 銅製 口打出水注 250,000円 他多数

玉川堂とは?

1.玉川堂とは何か――鎚起銅器の伝統と意義

**玉川堂(Gyokusendo)は、新潟県燕市(旧・燕三条)で1816年(文化13年)に創業した銅器の老舗工房・企業で、200年以上にわたって伝統技法「鎚起銅器(ついきどうき)」を守り続けてきました。玉川堂の製品は、日用の茶器・湯沸し・酒器・器など多岐にわたりますが、中でも銅製の急須・茶器は職人技と美しさを併せ持つ逸品として高い評価を受けています。

「鎚起銅器」とは、一枚の銅板を金槌で叩き起こし、継ぎ目なく立体的な器を形成する技法です。叩くことで銅板は内部の組織が締まり強度が増すと同時に、細かな槌目が表情を生み出します。これは単なる製造法にとどまらず、使うほどに深まる色と風合いを生む「経年美」を持つ唯一無二の工芸でもあります。

玉川堂の鎚起銅器は新潟県無形文化財および文化庁による「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に指定され、伝統技術として保護・継承されています。


2.歴史の概要――創業から現代へ

江戸時代:創業と「使う道具」から「工芸品」へ

初代:玉川覚兵衛(1799〜1872)
玉川堂の歴史は、江戸時代末期に遡ります。1799年(寛政11年)に生まれた覚兵衛は、仙台の渡り職人から燕に伝わった鎚起銅器の技術を受け継ぎ、1816年(文化13年)に玉川堂(当時は「也寛屋覚兵衛」)を開業しました。主に薬罐・鍋・日用品などの実用銅器を製造し、この時期に燕鎚起銅器の礎が築かれました。明治初期には、覚兵衛の功績を称え農商務大臣から追賞を受けています。

二代目:玉川覚次郎(1829〜1891)
二代目の覚次郎は、鎚起銅器の美術工芸品としての可能性に目を向けました。1868年(明治元年)の明治政府による海外博覧会への参加奨励を受け、1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会で玉川堂の製品を出品し、「玉川堂」の名を初めて広く知らしめました。これが海外への門戸を開く大きな一歩となりました。


明治〜大正時代:国際舞台での活躍と技芸の深化

三代目:玉川覚平(1853〜1922)
三代目覚平は、より高度な工芸性を追求し、彫金技術との融合や意匠の深化を図りました。彼は東京美術界との交流を積極的に進め、彫金図案の採用や職人技の修得に努めました。その成果は、国内外の博覧会での多数の出品と受賞として表れています。

四代目:玉川覚平(1881〜1947)
(この覚平は三代目の長男で、同名の別人物です)
四代目は、さらに技術を磨いて「口打出(くちうちだし)」という高度な技法や色付け技術の確立を進めました。一枚の銅板から注ぎ口まで継ぎ目なく打ち出す技術は、この時期に確立され、現在の玉川堂製品の象徴的な特徴のひとつとなっています。1926年(大正15年)のフィラデルフィア万国博覧会で最高賞受賞など、国際的な評価も高まりました。


戦後〜現代:伝統技術の継承とブランド確立

五代目:玉川覚平(1901〜1992)
五代目は戦後の復興期に鎚起銅器の伝統と技術を受け継ぎ、戦中戦後の混乱からの立て直しを進めます。この時期に燕鎚起銅器は新潟県無形文化財、続いて文化庁の無形文化財に認定され、技術そのものの保存が国家的に認められました。また五代目の次男・玉川宣夫は、木目金技法の発展などで注目され、人間国宝(重要無形文化財保持者)にも認定されています。

六代目:玉川政男(1938〜)
六代目政男は、製品開発や産地交流に尽力し、地域の銅器産業全体の技術底上げにも貢献しました。1981年に設立された燕分水銅器協同組合の理事長として、技術交流と産地発展の礎を築いたほか、工芸品としての玉川堂製品の評価を高めました。

七代目:玉川基行(1970〜)
1995年に七代目が入社した当時、玉川堂は経営危機に直面していました。そこで基行は流通改革を断行し、卸売に頼らず直接販売やブランド戦略の刷新を行いました。銀座・西麻布などに直営店舗を構え、外国人観光客や海外市場への展開を強化することで、玉川堂を世界的ブランドとして再構築しました。


3.代表的な作品と技術的特徴

鎚起銅器の基本と茶器

玉川堂の製品はどれも一枚の銅板を打って形成されるため継ぎ目がなく、強度と美しさを両立しています。銅は熱伝導性に優れ、茶器として用いる場合には湯の温度が均一に伝わるため、茶葉の味わいを引き出します。

特に代表的な製品は以下の通りです:

  • 急須(きゅうす)・茶器揃い
    鎚起銅器の技法を活かした急須は、銅の熱伝導性と職人のリズム感ある叩き出しによる流線的なフォルムが特徴です。製品は**紫金色(しきんしょく)**などの深い色合いで仕上げられ、使うほどに色が深まる経年美を楽しめます。

  • 湯沸(やかん)・茶筒・茶托
    鎚起銅器ならではの槌目の表情や色付け技法が用いられ、実用性と美術性が共存しています。日常使いの道具としてだけでなく、工芸品としても評価が高いです。

  • 酒器・コーヒー器具
    近年では茶器だけでなく、酒器やコーヒー用アイテムにも鎚起銅器が用いられるようになり、伝統と現代生活をつなぐ製品が増えています。

色彩と仕上げ

玉川堂では、銅表面の色付けにも独自技術を持っています。銅の表面に独特の色を付けることで、単なる金属器にとどまらない美的魅力を生み出します。この色彩は使い込むほどに変化し、所有者とともに作品が育つという点で非常に価値が高く評価されています


4.玉川堂の文化的・国際的評価

玉川堂は、万国博覧会での受賞歴をはじめ、明治〜昭和期にかけて日本の工芸技術を世界に示してきた歴史があります。欧米やアジアの展示会でも評価され、今日では世界中の工芸愛好家やブランド関係者からも注目を集めています。

さらに、玉川堂の工房そのものが見学可能であり、職人の手仕事を間近に見ることができる「オープンファクトリー」も行われています。これは、伝統工芸の価値を理解し、文化として継承するための取り組みとして評価されています


5.まとめ:伝統と新しさをつなぐ玉川堂

玉川堂は、1816年の創業以来、鎚起銅器という伝統技術を守りながら、時代に応じた工芸表現と経営改革を進めてきた工房です。初代から七代目に至るまで、技術革新や美的深化、海外展開などを通じて、日本の工芸文化の一翼を担う存在として評価されています。

裏には「玉川堂」刻印/茶器の買取も福岡玄燈舎
裏には「玉川堂」刻印

中でも茶器は玉川堂の代表的な製品であり、日常生活の中で使い込むことでその価値と美しさを深く感じられるものとして、多くの愛好者に支持されています。その背景には、技術と思想の継承、そして革新を恐れない姿勢があり、これが玉川堂の魅力の核心を成しています。

 

参考サイト

玉川堂 燕本店・工場(新潟県 燕市)

GINZA SIX 玉川堂ショールーム(東京・銀座)

Gyokusendo Kogai(東京・西麻布)

■その他の買取品目

 

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