源右衛門の器買取りました/福岡市・骨董品
源右衛門の器買取りました
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福岡市東区で源右衛門作品を買取りました!

源右衛門窯の茶器/骨董品の買取は福岡玄燈舎
源右衛門窯の茶器

三月になったというのに、福岡の風は相変わらずよそよそしい。梅の花は咲いているのに、体感温度は世間の懐具合と同じくらい冷え込んでいる。ニュースをつければ、アメリカだのロシアだの、地球儀の大きい側ばかりが威勢よく喧嘩をしている。大国というのはどうしてああも「大きい」というだけで態度まで大きくなるのだろう。まるで値札の付いていない骨董品のように、自分の価値を自分で吊り上げている。

世界はどこを目指しているのか、などと殊勝なことを考えるのは、たいてい仕入れが途絶えている日の午前中と決まっている。暇というのは哲学を呼びこむ。忙しさは現実しか呼ばない。私がそんな薄ら寒い思索に浸っていると、事務所の黒電話が、時代錯誤な音を立てて鳴った。リーン、リーン。救世主というのはラッパではなく、受話器の向こうからやってくる。

「骨董品の買取をお願いしたいんですが」

その一言で、世界平和も国際情勢も、ついでにさっきまでの憂国の情も、湯呑みの底に沈んだ茶葉のようにどうでもよくなった。結局のところ、私の世界は半径五十キロ圏内で完結している。地球の裏側より、今日の買取成立のほうが重大なのだ。

場所は福岡市東区。電話口の声は控えめだが、品数は「けっこうあります」と言う。その「けっこう」が信用ならない。多いと言って茶碗三つ、ということもあれば、少しと言って蔵一棟、ということもある。骨董の世界では、形容詞はあてにならない。頼りになるのは現物だけだ。

私は相棒の軽バンに乗り込んだ。エンジンをかけると、昭和の咳払いのような音がする。この車は敵地へ向かう戦車であり、時には極楽浄土行きの渡し舟でもある。査定がうまくいけば天国、値段が折り合わなければ地獄。ハンドルを握る手に、ほんの少しだけ力が入る。

到着した家は、外観こそ普通の住宅だが、玄関をくぐった瞬間に空気が違った。埃と時間が混ざり合った匂い。床の間の前に積まれた段ボール。聞けば、亡くなったご主人の遺品整理だという。こういう場面に出くわすたび、骨董屋という商売は、時間の残骸を拾い集める掃除屋なのだと実感する。

案内された座敷には、焼き物がわんさか並んでいた。まず目に入ったのは伊万里焼。赤と金の派手な装いで、まるで宴会の主役のように座っている。その横には渋い顔の唐津焼。さらに、几帳面に並べられた有田焼。そして掛軸が何本も、巻かれたまま出番を待っている。

ただし、どれもこれも箱がない。骨董の世界において「共箱」というのは戸籍謄本のようなものだ。箱がなければ素性が曖昧になる。素性が曖昧になれば、値段もまた曖昧になる。私は心の中でそっとため息をついた。正直なところ、あまり期待はしていなかった。

焼物は数があっても、無銘の普段使いであれば、相場は驚くほど静かだ。世の中が戦争で騒がしくても、無名の茶碗の値段はびくともしない。むしろその無関心さに、骨董の世界の冷酷さを見る。

ところが、である。

何気なく裏を返した一枚の皿。その高台の内側に、見慣れた染付の銘があった。思わず目を細める。「源右衛門」。もう一枚。これも。さらに一客。これもだ。ほとんどの有田焼に、その銘が入っている。

私は心の中で小さく合掌した。ありがたい、実にありがたい。もちろん、飛び上がるほどの高値がつく類ではない。骨董市で「おおっ」と声が上がるような逸品ではない。しかし、数がある。数は力だ。数は正義だ。大国が兵力を誇るように、こちらは客数で勝負する。

「これは、有田の源右衛門の作品ですね」

できるだけ平静を装って言う。骨董屋の顔はポーカーフェイスでなければならない。内心の電卓は猛烈な勢いで弾いているが、表情は春の曇り空くらいがちょうどいい。

依頼主は少し驚いた様子で、「そんなにいいものなんですか」と聞く。ここで調子に乗ってはいけない。「とても貴重です」と言えば夢を見せすぎるし、「たいしたことありません」と言えば嘘になる。骨董屋はいつも、希望と現実の間に橋を架ける大工である。

私は一つ一つ手に取り、状態を確認した。欠け、ニュウ、甘手。完璧なものなど、ほとんどない。それでも、日常使いとしては上等だ。丁寧に査定額を算出し、合計金額を提示する。

金額を告げる瞬間は、いつも少しだけ息が詰まる。世界情勢よりも緊張する。依頼主の表情が、春の天気のように変わるからだ。曇るか、晴れるか。

しばしの沈黙のあと、「それでお願いします」と言われたとき、私はようやく肩の力を抜いた。世界は依然としてどこかで揉めているだろうが、この座敷の中だけは、静かに取引が成立した。戦争も革命もない。あるのは、骨董と現金の受け渡しだけだ。

品物をバンに積み込みながら、ふと考える。大国は領土を広げようと躍起になるが、私が広げたいのは倉庫の空きスペースだけだ。ミサイルの代わりに積むのは皿と茶碗。撃ち合うのではなく、磨き合う。なんとも平和的ではないか。

帰り道、夕暮れの我が福岡の空は、朝より少しだけ柔らかい色をしていた。冷たい風も、商談成立後には心地よい。人間とは現金なもので、財布が温まると気持ちまで温まる。

事務所に戻り、仕入れた品を改めて並べる。源右衛門の皿がずらりと並ぶ光景は、小さな艦隊のようだ。世界の大艦隊が睨み合っている間に、こちらは静かに市場へ出航する準備をする。行き先は骨董市か、常連客の棚か、それとも新しい持ち主の食卓か。

考えてみれば、骨董というのは不思議な存在だ。作られた当初は日用品だったものが、時間という化粧をまとい、やがて商品になる。価値とは、人が後から勝手に貼るラベルのようなものだ。国も、貨幣も、骨董も、案外似たような仕組みで動いている。

世界がどこを目指しているのか、相変わらず私には分からない。だが少なくとも、今日の私は福岡の東区を往復し、いくつかの器を救出し、いくらかの現金を動かした。それだけは確かだ。

モヤモヤは、完全には消えない。ニュースを見ればまた湧いてくるだろう。だが、一本の電話が鳴るたびに、私は現実へ引き戻される。世界平和を論じるよりも、目の前の皿を拭くほうが性に合っている。

明日もまた、電話は鳴るだろうか。鳴らなくても、風は吹くだろう。冷たい風の中を、私は軽バンで走る。敵地へ、あるいは極楽浄土へ。

骨董屋の一日は、かくして静かに幕を下ろす。

ではまた。

この源右衛門については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

源右衛門の急須 桜紋/有田焼の買取は福岡玄燈舎
源右衛門の急須 桜紋

◇この「源右衛門の食器」は昭和時代の物だと思われ呉須や染付の色合いも明るいものが多く特に梅紋やさくら紋、南蛮文様のものなど人気のあるものが多かったようです。

買取査定額

◇源右衛門の買取査定額もしくは評価額ですがまず人気の文様、そして食器の形、ほかには栞や共箱などあればより高価買取&できます。

ご自宅に源右衛門の食器、花瓶や壺が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

ユニークな見込みの器ですね/骨董品の買取は福岡玄燈舎
ユニークな見込みの器ですね

古伊万里風楼閣桜図大皿(共箱)  200,000円
染付粟に鶉絵大皿 共箱  150,000円
錦鶴絵獅子蓋付唐草文壷 共箱 100,000円
染付獅子唐草花瓶 共箱  50,000円 他多数

源右衛門とは?

源右衛門ノ陶印です/染付の買取は福岡玄燈舎
源右衛門ノ陶印です

館林源右衛門(1927〜1989) は、佐賀県西松浦郡(有田町)に生まれた日本の陶芸家で、有田焼を代表する窯元 源右衛門窯(げんえもんがま) の六代当主として活躍した人物です。

📌 生い立ちと修業

  • 1927年(昭和2年)4月2日、佐賀県西松浦郡に生まれる。本名は「金子源」。

  • 1945年(昭和20年)、佐賀県立有田工業学校 窯業科 を卒業し、卒業と同時に家業である源右衛門窯で作陶に従事し始めます。

  • 1960年(昭和35年)に窯元の当主として 六代目・館林源右衛門 を襲名。

📌 国際活動と古伊万里調査

  • 1970年(昭和45年)、旧東ドイツ(当時)のドレスデン美術館における古伊万里陶磁の調査員として参加。これは、日本陶磁器が海外に渡った歴史的経緯や様式を研究するプロジェクトであり、彼の古伊万里への理解を深める重要な機会となりました。

  • 1970年代後半には、ヨーロッパでの古伊万里展に関わるとともに、作品そのものの現代的な魅力を示すための活動も行いました。

📌 国際的な評価

  • 1981年には米国(ミネアポリス、シカゴ、サンフランシスコ)で個展を開催。これらは、日本の伝統陶磁器を海外の美術・デザイン界に紹介する貴重な機会となりました。

  • 1988年(昭和63年)、国際芸術文化賞 を受賞し、国際的評価も得ています。

  • 1989年11月27日、急性腎不全のため福岡市で逝去(享年62)。


■ 作風や作品の特色

館林源右衛門 の作陶には、伝統技法の尊重と現代的な表現の両立を図った特徴があり、国内外で高い評価を受けています。

📌 古伊万里(こいまり)を現代に甦らせる

古伊万里とは、江戸時代に有田から輸出された色絵磁器を指す名称で、海外でも人気が高いスタイルです。源右衛門は、特にこの古伊万里の絵付け技法・色彩構成・文様のバランスに注目し、それを現代に活かそうとしました。

  • 伝統的な有田焼デザインを基礎としながら、大胆で洗練された配色やモチーフ を用いた作品が多い。

  • 古典的な文様の復刻だけでなく、独自の解釈で現代の生活に合う器へと展開。

技法面では、染付(そめつけ)、色絵(いろえ)、金襴手などの伝統的な技法を駆使しながら、モダンさと古雅さが共存する造形美を追求しました。

📌 国際的なデザインとの融合

1970年代以降は、日本伝統の陶磁器と海外のデザイン・生活文化との融合にも積極的で、洋食器やインテリア・布製品への展開も試みています。これは単なる伝統陶磁器の延長ではなく、より幅広いデザイン表現への挑戦でした。


■ 代表作・主な作品

館林源右衛門 の作品には、絵付け・文様表現に秀でた磁器作品が多数あります。ここでは代表的なジャンルを紹介します。

📌 染付文様の器

  • 染付(藍色の絵具で描く伝統的な手法)で描かれた茶碗・皿・カップ等。伝統的な古伊万里の雰囲気を残しつつ、モダンな絵柄構成が特徴です。

📌 色絵磁器

  • 鮮やかな色釉を使い、花鳥風月や人物文などを描いた色絵の器や陶板。静謐な場面描写と豊かな色彩表現が印象的です。

📌 コレクション作品

  • 布製品・インテリア雑貨に、古伊万里調の文様を配した 源コレクション は、陶磁器の枠を越えたデザイン表現として人気を得ました。

📌 展示・刊行物

  • 自身の作品を紹介する著書 『古伊万里のこころ 館林源右衛門作品抄』(学研刊)は、古伊万里と現代陶磁の関係をよく示す資料として評価されています。

います。

◆ 源右衛門窯の創業と初期(江戸時代)

● 初代

創業は江戸中期(18世紀頃)と伝えられます。有田焼が国内外に広く流通し、古伊万里様式(染付・色絵・金襴手)が確立した時代です。

作風の特徴

  • 染付を基調とする端正な磁器

  • 中国・明清陶磁の影響を受けた構図

  • 花鳥・唐草・幾何文様などの伝統意匠

この時代は「窯印」としての“源右衛門”銘が徐々に確立し、質の高い日常食器と上質な贈答器の両面で評価を得ました。


◆ 近代以前(2〜4代頃)

江戸後期から明治期にかけ、有田焼は輸出需要の変化や国内市場の変動に直面します。

作風の特徴

  • 古伊万里様式の継承

  • 実用食器への比重増加

  • 明治期には海外市場を意識した装飾性の強い色絵磁器も制作

この時代は、華麗な金襴手よりも比較的落ち着いた文様構成へと移行し、実用性と装飾性の均衡を探る時期でした。


◆ 近代的再編期(5代)

大正〜昭和初期にあたる時代。窯業の近代化が進み、分業制や技術革新が導入されます。

作風の変化

  • 古伊万里意匠の再評価

  • 繊細な染付技法の洗練

  • 余白を活かした品格ある構図

この頃から「復古」への意識が芽生え、単なる大量生産ではなく、美術的価値を重視する方向へ進みます。

参考サイト

さくらの紋です/骨董品の買取は福岡玄燈舎
さくらの紋です

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