
福岡県春日市で銅鏡を買取りました!

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◇ 春日市のご住職宅に眠っていた異国の仏様と銅鏡の話…
秋も深まり、福岡の朝晩は随分と涼しくなってきた。つい先日まで暑い暑いと文句を垂れていた人間が、今度は寒い寒いと騒ぎ始める。人間という生き物は実に勝手なものである。
もっとも、我々骨董屋も似たようなものだ。仕事がなければ暇だ暇だと嘆き、仕事が重なれば忙しい忙しいと愚痴をこぼす。お宝が出なければ肩を落とし、出たら出たで仕入れ代金の工面に頭を抱える。つまり、どちらに転んでも心穏やかではいられない因果な商売なのである。
そんな煩悩まみれの骨董屋に、一本の骨董品買取依頼の電話が鳴った。
今回の出張先は、ご近所の春日市。
お話を伺うと、先代はご住職だったという。
「住職?」
この二文字を聞いた途端、私の頭の中で除夜の鐘が鳴り響いた。ゴォ~ン、ゴォ~ン。しかも百八つどころではない。欲の数だけ鳴り続けるのである。
先代がご住職となれば、これはひょっとするかもしれない。
室町時代の古い仏像、鎌倉時代の仏画、由緒正しき曼荼羅に密教法具。さらには歴代の住職が大切に守り続けてきた秘仏や、桐箱に収まった古い経巻などが、押し入れの奥からゾロゾロと出てくるのではなかろうか。
妄想は膨らむ一方である。
まだ現物も見ていないというのに、頭の中ではすでに国宝級の仏様が金色の後光を放ち、私に向かって微笑んでおられる。
仏様も迷惑な話である。
人々を煩悩から救うために存在しているはずが、目の前の骨董屋は煩悩を増幅させるばかり。これでは仏罰が下っても文句は言えまい。
とはいえ、骨董屋にとって期待と妄想は商売の燃料である。ガソリン代は高騰しているが、妄想だけは今のところ無料だ。
早速、車を走らせ春日市へ向かった。
さて、現地へ到着。
想像していたのは、苔むした石垣に囲まれた古刹のようなお屋敷。門をくぐれば立派な松の木があり、奥には歴史を感じさせる蔵が建っている……はずだった。
ところが、目の前に現れたのは築三十年ほどの、ごく普通の昭和の住宅である。
立派な山門もなければ、苔むした石灯籠もない。もちろん、国宝を隠していそうな土蔵も見当たらない。
少々肩透かしを食らったが、建物の新旧と中身の価値は別問題である。新築マンションから江戸時代の名品が出てくることもあれば、築百年の旧家から昭和の土産物ばかり出てくることもある。
人間も家も、見た目で判断してはいけない。
そう自分に言い聞かせながら玄関をくぐった。もっとも、そう言い聞かせている時点で、すでに見た目で判断しているのである。
ご挨拶を済ませ、今回の骨董品が並べられているというリビングへ案内していただいた。
おおっ、あるではないか!
仏像が数体、仏画らしき掛物、それに古そうな仏具類がテーブルや床に整然と並べられている。
一瞬、胸が高鳴った。
しかし、よくよく拝見すると、どうも様子がおかしい。
仏様のお顔が日本的ではない。装飾もどこか異国情緒にあふれている。日本の寺院で見慣れた仏像とは、少々勝手が違うのである。
手に取り、慎重に確認してみる。
すると、これがなかなか面白い。
まず目に留まったのは、チベットの鍍金仏像であった。
細やかな装飾が施され、独特の表情を浮かべた仏様。日本の仏像とは違った迫力があり、長い年月を経た鍍金の風合いも実に味わい深い。
日本へは明治期に輸入されたものと考えられる。
さらに中国の古い木製仏像も出てきた。
こちらもなかなかの品物である。
先ほどまで鎌倉仏だの室町仏だのと勝手に夢見ていたが、蓋を開けてみればチベットと中国の仏様が揃ってお出迎えである。
春日市まで来たつもりが、気分はすっかりシルクロードの旅人となってしまった。
しかし、これが骨董品業界の面白いところ。
一般的には、日本の古い仏像の方が高価だと思われがちだが、骨董品市場はそんな単純なものではない。
中国の古い仏像には国内外に根強い需要があり、時代や出来栄え、保存状態によっては、日本の仏像を上回る高額査定になることも珍しくない。
仏様の世界には国境がないというが、骨董品の市場にも国境はない。
ただし、相場という名の厳格な入国審査は存在する。
いくら由緒正しい品物でも、需要がなければ値段は伸びない。反対に、少々見慣れない異国の仏様が、思いもよらぬ金額になることもある。
ありがたさと買取価格は、必ずしも比例しないのである。
さて、仏像の次は仏画である。
こちらも日本の掛軸かと思いきや、チベット仏教の「タンカ」であった。
タンカとは、仏や菩薩、曼荼羅などを布地に描いたチベット仏教独特の宗教画である。
色鮮やかな画面には、複雑な図像や神秘的な世界観が表現されており、単なる装飾画とは一線を画す。
今回の品物も、およそ百年ほどの年月を経たものと見受けられた。
これがまた実に良い。
細密な筆致、独特の色彩、長い年月を経て落ち着いた風合い。眺めていると、何やら遠いヒマラヤの山々から読経の声が聞こえてきそうである。
もっとも、実際に聞こえてくるのは、私の腹の虫くらいのものだが……。
タンカは信仰のための仏画であると同時に、美術工芸品としても高い評価を受けている。古い時代の優品ともなれば、海外の収集家からの需要も期待できる。
こちらも慎重に状態を確認し、相応の買取金額を提示させていただいた。
ご依頼主も、まさか異国の仏様や仏画にこれほどの価値があるとは思っておられなかったようで、少々驚かれたご様子である。
そもそも先代のご住職は、どのような経緯でこれらの品々を収集されたのだろうか。
日本の仏教美術だけでなく、中国やチベットの仏教文化にも深い関心を持たれていたのかもしれない。
品物を拝見していると、今は亡き持ち主の趣味や人柄が、ぼんやりと浮かび上がってくることがある。
骨董品とは不思議なもので、持ち主がいなくなっても、その人の好奇心や情熱だけは品物の中にしっかり残っているのである。
そして、さらに仏具類を確認していると、数枚の古い銅鏡が出てきた。
おやおや、今度は鏡である。
銅鏡といえば、古代中国から日本へと伝わった歴史ある金属工芸品。単に顔を映す道具というだけでなく、祭祀や信仰、権威の象徴として大切に扱われてきた品物である。
裏面にはさまざまな文様が鋳出され、その意匠や製作技法によって時代や文化的背景を読み解くことができる。
それにしても、仏像にタンカ、さらには銅鏡まで。
先代のご住職は、よほど古い宗教美術がお好きだったのだろう。
一方、私が好きなのは宗教美術そのものもさることながら、その市場価値である。
同じ品物を眺めていても、ご住職は仏の教えを思い、骨董屋は次の骨董市を思う。
この精神性の違いこそ、悟りを開いた人間と、いつまでたっても煩悩から抜け出せない人間との差なのであろう。
なお、この銅鏡については歴史も古く、なかなか興味深い品物なので、後ほど改めて説明することにしたい。
さて、ひと通りの査定を終え、買取金額を計算する。
今回はチベットの鍍金仏像、中国の木製仏像、百年ほど前のタンカ、そして銅鏡など、いずれも興味深い品物が揃っていた。
結果として、全体ではかなりの高額査定となった。
金額をお伝えすると、ご依頼主にも大変喜んでいただき、無事に買取成立である。
こちらも嬉しい。
骨董屋にとって、良い品物を仕入れられることはもちろんだが、ご依頼主に納得していただけることが何よりありがたい。
とはいえ、帰りの車中では、すでに次の商売の算段を始めているのだから、我ながら救いようがない。
行きは室町時代の仏像を夢見て、帰りはチベットの仏様を積んで帰る。
まさに予定は未定、仏の導きか骨董屋の執念か。
今回もまた、思いがけないお宝に出会うことができた。
しかし考えてみれば、先代のご住職が長年大切にされてきた仏様を、私のような煩悩だらけの骨董屋が引き継いでよいものだろうか。
少々心配にもなる。
まあ、仏様も長い旅路の途中である。
次の持ち主のもとで、また大切にしていただければ、それが何よりの供養になるのではなかろうか。
私もせめて今夜くらいは欲を捨て、静かに仏の教えに思いを馳せながら一献傾けることにしよう。
ただし、晩酌の酒だけは欲を捨てられそうにない。
南無阿弥陀仏、もう一杯。
ではまた……。

買取品の詳細

◇今回買取した「銅鏡」は古い物では江戸期幕末から大正時代の物まで様々でした。そのほとんどが状態が良く「天下一」や「藤原」といったよく出てくる銘の物でした。実際には仏様用の物や手鏡として使用されていたようですが現在ではインテリアや資料として保管されている方が多いと思います。尚、海外では日本の骨董品として重宝されております。

買取査定額

◇銅鏡の買取査定額もしくは評価額ですが銘や時代、変わり図柄や刻印があればより高価買取できます。特に骨董品コレクターには平安時代や室町時代の物に人気があります。ご自宅に銅鏡が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

銅鏡とは?
1.銅鏡とは何か
銅鏡(どうきょう)は、銅を主成分とする合金を鋳造し、その表面を磨き上げて姿を映すようにした金属製の鏡です。日本では古くから「古鏡(こきょう)」とも呼ばれ、骨董品や考古資料として珍重されてきました。
現代のガラス鏡とは異なり、銅鏡は銅に錫(すず)や鉛などを配合して製作します。特に錫の含有量が多いものは白銀色に近い光沢を持ち、磨き上げることで鮮明な反射面が生まれます。
一般的な銅鏡は、表側が鏡面、裏側には神仙、霊獣、花鳥、幾何学文様などが鋳出されています。中央には紐を通すための鈕(ちゅう)と呼ばれる突起が設けられています。
興味深いのは、古代の銅鏡が単なる化粧道具ではなかったことです。
太陽の光を反射する神秘的な道具として、魔除け、祭祀、権威の象徴、さらには死者を守る副葬品としても使用されてきました。
銅鏡の歴史をたどることは、古代人の信仰や美意識、そして中国と日本の文化交流を知ることにもつながるのです。
2.銅鏡の起源と中国での発展
銅鏡の起源は非常に古く、中国では紀元前2400~1900年頃の斉家文化(せいかぶんか)の遺跡から初期の銅鏡が発見されています。
当初は比較的簡素な形状でしたが、商・周時代を経て、春秋戦国時代になると高度な鋳造技術によって精巧な文様を持つ銅鏡が製作されるようになります。
特に戦国時代の銅鏡には、龍や鳳凰、渦巻き、幾何学文様などが表現され、中国青銅器文化の発展を示す重要な工芸品となりました。
漢時代(紀元前206年~紀元220年)には銅鏡製作が大きく発展します。
代表的なのが「方格規矩四神鏡」です。
方格規矩四神鏡
鏡背に方形の区画とT・L・V字状の文様を配置し、青龍、白虎、朱雀、玄武などの四神を表現した鏡です。
古代中国の宇宙観や陰陽五行思想を反映した代表的な作品です。
また、漢代には銘文を鋳込んだ鏡も数多く製作されました。長寿や子孫繁栄、富貴などを願う言葉が刻まれ、鏡が吉祥の道具として扱われていたことが分かります。
唐時代(618~907年)になると、銅鏡はさらに華麗な美術工芸品へと発展します。
シルクロードを通じて伝来した西方文化の影響を受け、葡萄唐草文、獅子、鳥獣などを組み合わせた装飾性の高い作品が生まれました。
なかでも「海獣葡萄鏡」は唐代銅鏡の最高傑作の一つとされています。
3.日本への伝来と弥生・古墳時代の銅鏡
日本に銅鏡が本格的に伝わったのは弥生時代です。
中国大陸から朝鮮半島などを経由してもたらされ、当初は非常に貴重な舶来品でした。
特に北部九州では、中国鏡の出土例が多く確認されています。
福岡県の須玖岡本遺跡や平原遺跡などは、古代の銅鏡文化を考えるうえで重要な遺跡です。
この時代の鏡は、単なる生活用品というよりも、地域の有力者が権威を示すための宝物であったと考えられています。
卑弥呼と三角縁神獣鏡
日本の銅鏡のなかで、最も有名なものが「三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」でしょう。
鏡の縁の断面が三角形をしており、裏面には神仙や霊獣などが立体的に表現されています。
『魏志倭人伝』には、邪馬台国の女王卑弥呼が中国の魏から銅鏡百枚を授かったという記録があります。
この百枚の鏡が三角縁神獣鏡だったのではないかという説は有名ですが、現在も研究者の間で議論が続いています。
三角縁神獣鏡には、中国製とする説、日本列島内で製作されたとする説などがあり、その製作地や流通経路は完全には解明されていません。
京都国立博物館の研究解説でも、古代史に残された大きな謎の一つとして紹介されています。
古墳時代になると、日本国内でも中国鏡を模倣した「仿製鏡(ぼうせいきょう)」が盛んに製作されるようになります。
やがて文様は日本独自の形へと変化し、倭鏡と呼ばれる作品群が誕生しました。
4.奈良・平安時代から江戸時代へ
奈良時代には遣唐使によって、中国の優れた銅鏡が日本へもたらされました。
正倉院には唐代の銅鏡が伝わり、当時の国際的な美術文化を現在に伝えています。
唐鏡には円形のほか、八角形に近い八稜鏡などもあり、金銀平脱、螺鈿、宝石などを用いた豪華な装飾鏡も製作されました。
平安時代になると、日本独自の美意識を反映した「和鏡(わきょう)」が発展します。
中国的な神仙や霊獣の図柄から、松、鶴、菊、秋草、流水、蝶など、日本の四季や自然を表す文様へと変化していきました。
鎌倉・室町時代には、神社仏閣への奉納鏡や懸仏(かけぼとけ)など、信仰に関わる金属工芸としても発展します。
そして江戸時代になると、柄の付いた「柄鏡(えかがみ)」が広く普及しました。
江戸時代の柄鏡
鶴亀、松竹梅、家紋、吉祥文様などが鋳出され、武家や商家の嫁入り道具としても使用されました。
鏡を収める鏡箱や鏡台とともに、当時の生活文化を知る貴重な資料となっています。
明治時代以降、西洋式のガラス鏡が普及すると、実用品としての銅鏡は次第に姿を消していきました。
しかし、神社の御神鏡や伝統工芸品として、その製作技術は現在まで受け継がれています。
今回の買取品も江戸時代のものが2枚ありました。
5.歴史的に重要な代表作品
銅鏡には数多くの名品がありますが、美術史・考古学の両面から特に重要な作品を紹介します。
① 国宝・海獣葡萄鏡
中国・唐時代の作品。千葉県の香取神宮に伝わる直径29.5cmの大型銅鏡です。葡萄唐草の間に獣や鳥、昆虫などを精緻に鋳出した傑作です。
② 重要文化財・三角縁盤龍鏡
大分県宇佐市の赤塚古墳から出土した古墳時代の鏡です。龍の文様が表現されており、古代九州と畿内の文化交流を考えるうえでも重要です。
③ 重要文化財・禽獣葡萄鏡
唐時代の作品で、後醍醐天皇が1331年に春日大社へ寄進したと伝えられる銅鏡です。
鳳凰や獅子、馬、葡萄などが華麗に表現され、優れた保存状態でも知られています。
6.銅鏡を製作した工房と代表的な職人
古代中国や日本の銅鏡は、ほとんどが無銘であり、現代の陶芸家や彫刻家のように製作者個人の名前が明確に残っている例は多くありません。
中国では官営・民営の工房による製作が行われ、日本でも古墳時代には専門的な鋳造技術を持つ工人集団が活動していました。
日本で銅鏡を製作する職人は「鏡師(かがみし)」と呼ばれました。
鏡師は鋳型の製作から鋳造、切削、研磨までを担い、特に鏡面を平滑に磨き上げる工程には高度な技術が必要でした。
現代に伝統を受け継ぐ山本合金製作所
特に興味深いのが「魔鏡(まきょう)」と呼ばれる特殊な鏡です。
魔鏡は、通常の状態では普通の鏡に見えますが、光を反射させて壁などに投影すると、鏡の裏側に施された文様や仏像などが浮かび上がる不思議な性質を持っています。
これは鏡面の微細な凹凸によって反射光に濃淡が生じる現象を利用したものです。
江戸時代には隠れキリシタンに関係する魔鏡も知られています。
山本合金製作所は、こうした日本独自の金属工芸技術を現代に伝える貴重な存在です。
7.骨董品・美術品としての銅鏡の見どころ
古い銅鏡を鑑賞・査定する際には、単に古そうに見えるというだけでなく、いくつかの重要な観察点があります。
| 観察箇所 | 確認したい特徴 |
|---|---|
| 鏡背の文様 | 神獣、四神、葡萄唐草、花鳥など |
| 鈕の形状 | 半球形、獣形、亀形など |
| 鏡の縁 | 平縁、斜縁、三角縁など |
| 銘文 | 吉祥句、紀年銘、製作者銘 |
| 金属の状態 | 鋳造痕、摩耗、腐食、研磨の状態 |
| 伝来 | 出土地、旧蔵者、箱書、古い記録 |
特に注意したいのは、銅鏡には古くから模倣品や後世の再鋳品が存在することです。
江戸時代にも古代中国の鏡を模した作品が製作され、近現代には鑑賞用の複製品も数多く作られています。
そのため、緑青が付着しているからといって古代の作品とは限りません。真贋や製作年代の判断には、文様の様式、鋳造技術、金属組成、来歴などを総合的に検討する必要があります。
また、古い銅鏡の表面を不用意に磨くことは避けるべきです。長い年月を経た金属表面の状態そのものが、歴史的資料として重要な意味を持つ場合があるためです。
8.銅鏡の魅力と歴史的価値
銅鏡は、数千年にわたって人間の暮らしと信仰を映し続けてきた工芸品です。
中国では宇宙観や神仙思想を表す神秘的な道具として、日本では権力の象徴や神聖な祭器として発展し、やがて日常生活を彩る美しい和鏡へと姿を変えていきました。
その歴史は、古代中国の青銅器文化から邪馬台国、正倉院の宝物、平安貴族の化粧道具、江戸時代の嫁入り道具へと続いています。
小さな円形の金属板の裏側には、各時代の人々が願った長寿、繁栄、信仰、そして美意識が凝縮されています。


■参考サイト
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