福岡県春日市で浜田(濱田)庄司の陶器作品を買取りました
買取品の詳細
今回は福岡県春日市の閑静な住宅地に陶器や掛軸など骨董品の出張査定にお伺い致しました。買取品は陶器の花瓶や壺がメインでお茶道具や掛軸なども多数ありました。いろいろな陶器がありましたが今回紹介する陶器作品は「浜田(濱田)庄司」の作品です。今回の作品は箱はありませんでしたが栞があり状態は欠けや汚れもなく時代の割には良い方でした。作品は素朴な土味にトロリとした琉球焼風で茶色、青色などの釉薬が掛けられたモダンなビアジョッキーでした。この作品にビールを入れて飲むと何だかすごく文化的な生活を送っている気がします。骨董品というよりは普段使いの民藝品ですね。この方の作品はどこにも印が彫られておらず真贋がなかなかはっきりしない作品も多いようですがこの作品は真物保障品です。そのほかの古い掛軸もたくさん買取させていただきました。本当にありがとうございました。
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買取査定額
浜田(濱田)庄司作品の買取相場ですが真贋、時代や図柄、栞や元箱、識箱の有無でかなり差があります。 濱田庄司は、柳宗悦、河井寛次郎とともに民藝運動を推進した中心的存在であり、同時に民藝理論のよき実践者でありました。物心両面から民藝運動を支え、1955年には人間国宝に認定され1961年、柳宗悦の没後には日本民藝館館長に就任します。そんな浜田庄司の作品ですが当店での買取価格は真物で、5万円~70万円前後となっています。ご自宅に浜田(濱田)庄司の陶器作品や掛軸が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、でもお値段は変わりますのでご了承ください。ちなみに下記は代表的な作品です。
柿釉抜繪皿 扁壷 地掛鐡絵茶碗 角瓶 鐡絵花瓶
黒釉錆流描皿 柿釉抜繪花瓶 地釉茶碗 釉描扁壷
焼〆釉描盛皿 鐡絵湯呑 丸紋大皿 鐡絵鉢 柿釉抜絵皿
掛合釉花瓶 柿釉赤繪六角花生 柿釉赤繪皿
白釉鐡繪格子掛大鉢 鐡繪茶碗 地掛鐡繪茶盌
地掛鐡絵茶碗 柿釉抜繪皿 繪刷毛目花生 掛合釉花瓶
柿釉丸紋扁壷 その他多数
■過去の浮世絵作品買取例
琉球窯 赤繪面取茶碗 740,000円
地掛赤絵茶碗 500,000円
柿釉青十字掛鐵絵角皿 200,000円
赤絵丸紋酒器 145,000円
飴釉丸紋赤絵角瓶 106,000円
草絵角皿70,000円
白十字掛鐵絵花瓶 60,000円
濱田庄司とは?
(はまだしょうじ)
濱田 庄司(はまだ しょうじ、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家です。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家になります。15歳のときルノワールのことばに触発されて工芸を志し、1913年(大正2)東京高等工業学校窯業科に入学。板谷波山(いたやはざん)に師事し、先輩の河井寛次郎を知りますがその後、京都市立陶磁器試験場に入所し釉(うわぐすり)の研究を行っております。1920年、在日中のバーナード・リーチに同行して渡英し親交を深め、1924年帰国後、栃木県益子(ましこ)に築窯します。同地の陶土や釉薬(ゆうやく)を基本として無作為ともみえる加飾を重厚な器に施した質朴雄勁(ゆうけい)な作風を確立し、1935年(昭和10)には独自の様式を完成しました。また、大正末期より柳宗悦(むねよし)らと民芸運動を推進します、
民芸運動とは、これまでほとんど評価されなかった手仕事で作られた日用品の中に「用の美」を見出し、世に紹介することを目的とした運動で、浜田庄司は創始者の柳宗悦や河井寛次郎らとともに初期から活動していました。
少年時代には画家を目指していた浜田庄司(本名は象二)なのですが、巨匠ルノアールの手記で『 フランスの絵描きの半分が工芸作家になってくれたなら‥‥工芸家も質を向上させる事ができる‥‥ 』という一文を読んだのちに自分も工芸作家になることを志したとも云われています。
柄杓などを用いて釉薬を軽やかに掛ける流し掛け(流し描き)による大胆で躍動的な模様は、そんな少年時代から培ってきた美的感性がいかされているのでしょう。 力強く健康的な民芸調の作風が特徴的。“15秒で絵柄を描く”俊敏な筆の使い手としても知られています。 浜田庄司の作品の特徴は、手ろくろを使ったシンプルな造形と、無作為にも見える大胆な模様が特徴です。流掛や赤絵、塩釉などの技法を使った作品のほか、「黍文」と呼ばれる独自の文様を施した作品など、どっしりとした重厚感と素朴な力強さが魅力の作品が数多く残されています。土地の素材を活用することを第一としていたこともあって、一見すると地場的ではありますが、実際には、イギリスをはじめとした欧州や沖縄、唐津、朝鮮など、様々な場所の技法が作品にモチーフとして取り込まれています。古作を新作のモチーフとして表現することは「本家取り」などといって、日本の陶芸の分野ではかつてより多く見られたものですが、その時の「本家」には、中国陶磁など技術的にも美的にも高度で精巧なものが選択される場合が一般でした。
そのような状況のなか,庄司は日本を中心とした東洋の雑器(民芸)をモチーフとし、自身の作品に取り入れました。濱田庄司は、このような作陶スタイルのパイオニアの一人として評価されました。
★略歴…
明治27年(1894)神奈川県橘樹郡の母の実家で文房具屋の長男として生まれる。
大正2年(1913) 東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科入学し、上級の河井寛次郎と親交を結ぶ。
板谷波山に 師事。
大正5年(1916) 東京高等工業学校窯業科卒業。
河井寛次郎と共に京都市立陶芸試験場にて主に 釉薬 の研究を行う。
近藤悠三に 轆轤 を学ぶ。
大正8年(1919)我孫子の柳邸にバーナード・リーチを訪問した折に柳宗悦と出会う。
大正9年(1920)リーチとともに渡英し、セント・アイヴスで、3年余り本格的に作陶に挑戦する。
昭和5年(1930) 栃木県益子町の農家を購入して移築、住居のわきに登 窯 を築き、作陶を開始。
以降生涯一貫して益子で制作を続ける。
昭和6年 (1931)登り窯 を築く。
昭和30年(1955)第1回重要 無形文化財「民芸陶器」保持者(人間国宝)に認定。
昭和39年(1964)紫綬褒章受章。
昭和43年(1968)文化勲章 受章。長年にわたるひたむきな作陶活動が高い評価を受ける。
昭和52年(1977)益子参考館開館。館長に就任。
昭和53年(1978)1月5日、益子にて逝去。83歳。
◎関連、参考サイトは
■栃木ふるさと学習 コチラです。
■アーカイブデータ コチラです。
■その他の買取品目
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