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福岡県太宰府市で蓄音機を買取りました!
◇福岡の夏は実に律儀である。
春先には「今年は冷夏かもしれませんね」などと気象予報士がもっともらしい顔で語るが、そんな予報は毎年見事に裏切られる。気が付けば太陽は容赦なく照りつけ、アスファルトは鉄板焼きのようになり、人間は歩く干物へと変貌していく。そして夏の訪れを知らせるもう一つの風物詩が台風である。テレビでは朝から晩まで巨大な渦巻きの映像を流し、「厳重な警戒を」と繰り返す。だが我々骨董屋にとって本当に恐ろしいのは台風ではない。むしろその後にやって来る湿気と、冷房の効いていない蔵の中での査定作業である。さらに厄介なのは売却依頼主との心理戦だ。
依頼主は自宅の古道具を「文化財」と考え、骨董屋はそれを「商品」と考える。この認識の差は太平洋ほど広い。
「これは戦前からあるんですよ」と誇らしげに語られても、こちらとしては戦前だろうが戦後だろうが売れるかどうかが問題である。だがそれを正直に言うと話が終わってしまうので、「なるほど、これはなかなか興味深いですねえ」などと曖昧な微笑みを浮かべながら話を合わせる。骨董屋とは、半分商人で半分役者なのである。そんな蒸し暑いある日の昼下がり、一本の電話が鳴った。
場所は太宰府。聞いただけで少し背筋が伸びる地名である。福岡県民にとって太宰府とは学問の神様と梅ヶ枝餅の町であり、歴史好きにとっては古代日本の西の都である。観光客は年間を通じて押し寄せ、受験生は神頼みに訪れ、そして我々骨董屋は「何か古いものが残っていそうだ」と期待して向かう。古代の都というものは不思議なもので、時代が積み重なる分だけ物も積み重なる。人間は死ぬが物は残る。そして残った物を我々が買いに行く。考えてみればなかなか因果な商売である。
早速、車を走らせて依頼先へ向かった。到着してまず驚いた。玄関を開けた瞬間からお面がこちらを睨んでいる。その隣には民俗資料。さらに木彫りの熊。掛軸。仏像。古い額絵。よく分からない民芸品。もはや展示というより密集である。人間が住むための空間なのか、物が住むための空間なのか判別できない。足の踏み場もないとはよく言うが、本当に足の踏み場がない家を久しぶりに見た。下手に歩けば何かを踏み、何かを倒し、何かを弁償する。骨董屋にとっては地雷原のような家である。
依頼主によれば、亡くなった叔父が集めていたコレクションだという。生前かなりの収集家だったらしい。収集家という人種は面白い。一つ集め始めると止まらない。気が付けば家中が同じ趣味の物で埋め尽くされる。そして最後は遺族が頭を抱える。骨董屋の仕事は、ある意味で収集家の人生の後始末なのかもしれない。
まずは掛軸から拝見する。全部で三十本ほど。一本ずつ広げていく。掛軸の査定というのはなかなか根気がいる。箱を開ける。紐をほどく。広げる。見る。巻く。また箱に戻す。その繰り返しである。まるで永遠に続くラジオ体操のような作業だ。
内容は寺の住職による墨蹟が中心だった。骨董品の市場には寺の住職の書が実によく出回る。考えてみれば当然である。住職は毎日のように筆を持つ。書く。頼まれる。また書く。その結果、日本中に膨大な数の掛軸が存在することになる。その中に大徳寺の和尚のものも混じっていた。さすがに格が違う。市場でも一定の人気がある。依頼主も少し嬉しそうだった。人間というものは「有名」という二文字に弱い。芸能人のサインもそうだ。昨日まで知らなかった人でも、テレビに出た途端ありがたく見える。骨董品の世界も案外似たようなものである。
続いて古地図。これがなかなか面白かった。戦前の満州や朝鮮の地図が出てきた。紙の上には当時の日本人が見ていた世界が広がっている。地図というものは不思議で、その時代の夢や欲望まで写し込む。国境が変われば地図も変わる。英雄が現れても変わる。戦争に負けても変わる。人間は歴史を動かしているつもりだが、後世から見れば一枚の古地図にまとめられてしまう。なんとも皮肉な話である。
さらに古写真も出てきた。軍服姿の青年。異国の街並み。知らない家族。知らない人生。写真の中の人々は、自分たちの姿が百年後に骨董屋の手で眺められるなど夢にも思わなかっただろう。歴史とは意外とそんなものだ。
続いて煎茶道具。箱を開けると朱泥の急須や茶器が姿を現した。竹泉の染付茶器の作品もある。なかなか味わい深い。使い込まれた艶があり、時代も十分についている。茶人は道具を愛する。そして愛しすぎる。茶器一つに人生を捧げる人もいる。我々には理解しきれない世界だが、その情熱のおかげで今日まで良い品が残っている。世の中、変わり者も必要なのである。
そして査定も終盤に差しかかった頃だった。依頼主が言った。「そういえば、もう一つあるんです」骨董屋にとってこの言葉は危険である。大抵は期待外れだ。出てくるのは壊れた時計だったり、百科事典だったり、誰も欲しがらない健康器具だったりする。しかし時々、本物の宝が眠っている。だから無視できない。
案内された部屋の隅に大きな箱があった。慎重に開ける。そして思わず顔がほころんだ。コロンビアの蓄音機である。しかも状態が良い。アームや機械部分もきれいに残っている。私にとって蓄音機は商売道具であると同時に趣味の対象でもある。骨董屋にはえてしてそういう品がある。利益より先に心が動く品。儲けにならなくても欲しくなる品…困った性分である。
さらに驚いた。蓄音機だけではなかった。奥から次々とSPレコードが出てくる。
十枚。二十枚。五十枚。八十枚。百枚。最終的には百二十枚。まるで昭和の音楽博物館である。
演歌あり。流行歌あり。軍歌あり。童謡あり。
レコードの山を前にすると、かつての日本人の暮らしが聞こえてくるようだった。
テレビもない時代、人々は蓄音機の前に集まり音楽を楽しんだ。
今ではスマートフォン一つで何千万曲も聴ける時代である。便利にはなった。
だがレコード盤をそっと載せ、ゼンマイを巻き、針を落とすあの儀式のような時間は失われた。
人類は便利さを手に入れる代わりに、少しばかりの風情を置いてきたのかもしれない。
結局、掛軸、古地図、古写真、煎茶道具、そしてコロンビア蓄音機とSPレコード群を含め、総合的にかなり高い査定額を提示することができた。依頼主も納得し、その場で買取成立。無事に契約書へサインをいただいた。
外へ出ると夕方の空に入道雲が浮かんでいた。遠くでは雷が鳴っている。どうやら台風も近いらしい。
だが不思議と足取りは軽かった。骨董屋という商売は実に効率が悪い。
暑い。重い。汚れる。そして儲かる保証もない。それでも続けてしまう。
なぜなら時々こうして、忘れられた物たちとの出会いがあるからだ。
人が集めた物には人生が宿る。そしてその人生の断片を次の持ち主へ橋渡しするのが我々の役目である。
もっとも、その崇高な使命感も事務所に帰って積み下ろしを始める頃には消え失せる。
百二十枚のSPレコードを前にして腰をさすりながら、「やっぱり今回は現金より湿布の方が必要だったな」
そう呟いたのは言うまでもない。この蓄音機については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。
買取品の詳細

今回の買取品のアンティーク蓄音機は国産のビクター製蓄音機です。品番やシリアルナンバーなどはありませんが昭和4年あたりの製造だと思われます。型式は多分ビバトーナルの400番台だと思われます。外観の木材も重量感があり中身の機械部分は2丁ゼンマイで当時の高級機種だと思われます。歌口もオリジナルでストッパーや速度調整もシッカリと効きます。残念ながらオートストッパーの部品は外されていました。(当時の蓄音機はこのオートストッパーが壊れているのが多いです)そろそろ日本も軍事色が濃いくなっていた時代にこのような良い材料を使用してしっかりとした蓄音機を作って大衆を楽しませていたのでしょう。ありがとうございました
買取査定額

蓄音機の査定や評価は人気のメーカーや型式、大きさや機械の定評などを加味して査定いたします。次には状態とパーツが揃っているか?オリジナル度は高いか?などで判断いたします。やはり人気の物はビクトローラはエジソン蓄音機でラッパが付属している物に人気があります。今回のコロンビア製蓄音機はしっかりとした機械部分と全体の状態の良さから骨董品としても評価できますので高価買取をさせて頂きました。ありがとうございました。
◆過去の買取履歴…

Grammophon HMV 203 700,000円
1930年ラッパ型 蓄音機 EMG マーク9 500,000円
ビクトローラークレデンザ蓄音機 350,000円
1898年 EDISON STANDARD PHONOGRAPH 150,000円 他多数
◇コロンビア蓄音機とは…

◎関連、参考サイト

■その他の買取品目
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