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福岡市早良区で明珍火箸を買取りました!
七月も後半へ入ると、福岡という町は人間が住むためにつくられたのか、それとも鉄板の上で生き物を焼くためにつくられたのか、時々わからなくなる。
朝の天気予報のお姉さんは「本日も危険な暑さです」と笑顔で話しているが、その笑顔の裏には「外へ出る方は自己責任でお願いします」とでも書いてあるように思える。気温三十八度だの三十九度だのという数字が、もはやニュースにもならない。昔なら「今日は暑いねえ」で済んだものが、今では「今日は生き延びられるかな」という話になってしまった。
骨董屋という商売も、この季節だけは命がけである。
世間では「お宝探し」というと、テレビ番組の影響か、どこか夢のある仕事に見えるらしい。しかし現実は汗との戦いである。押し入れの奥へ頭を突っ込めば熱気がむわっと襲い、蔵の二階へ上がれば天然サウナ、庭石をまたげば蚊の大群がお出迎えである。お宝より先に救急車を呼びたくなることなど、夏には珍しい話ではない。
油断していると骨董品のお宝探しどころではない。自分の入院先を探す羽目になる。
もっとも病院へ運ばれたところで、「熱中症の原因は古い茶碗を見に行ったからです」と説明するのも気が引ける。医者から「もう少し涼しい仕事をされたらどうですか」と真顔で言われそうである。だが、世の中そんなに甘くはない。骨董屋は茶碗が呼べば山へも行くし、掛軸が呼べば階段百段でも上るのである。これを情熱と言う人もいるが、半分は商売、もう半分は性分である。
そんな灼熱の午後、一本の電話が鳴った。
「茶道具がたくさんあるんですが、見てもらえませんか。」
この「たくさん」という言葉ほど、骨董屋を惑わせるものはない。
依頼する側の「たくさん」と、骨董屋が想像する「たくさん」は、たいてい食い違う。
段ボール三箱で「山ほどあります」と言う方もいれば、蔵一棟分あって「そんなにありません」と平然としている方もいる。だから電話だけで期待してはいけないというのは、この商売で最初に覚える教訓である。
それでも「茶道具」という響きには独特の魅力がある。
茶道具という世界は実に奥深い。
名工の茶碗が眠っていることもあれば、お稽古道具が百点並んでいることもある。高価な棗が箱の奥から顔を出すこともあれば、土産物屋で買った茶碗が「家宝です」と言われることもある。人生と同じで、中を見なければ何もわからない。
相方と二人、冷房の効いた車だけを頼りに福岡市内へ向かった。
道路は陽炎で揺れ、信号待ちをしているだけでエアコンが悲鳴を上げる。ビルというビルが太陽の熱を抱え込み、アスファルトは靴底まで焼こうとしている。都会とは便利な場所だと思っていたが、夏だけは巨大な石焼き鍋の底である。
ようやく目的のお宅へ到着すると、何事もなかったような顔をつくる。
これは骨董屋の職業病だ。
本当は額から汗が滝のように流れ、「一杯の麦茶が命を救う」と思っていても、それを顔に出してはいけない。
「今日は暑いですねえ。」
などと涼しい声で言いながら玄関を上がる。
心の中では「早くエアコンの部屋へ…」と念仏のように唱えている。
ありがたいことに案内された部屋は冷房がよく効いていた。
文明というものは本当にありがたい。
昔の茶人が炉を囲んで一服点てていた精神力には頭が下がるが、この気温で炉を切ったら悟りを開く前に倒れてしまうだろう。茶道は「和敬清寂」というが、現代なら「冷房・除湿・扇風機」が四大精神ではないかと思う。
さて、査定が始まる。
茶碗が並ぶ。
棗が出る。
香炉が顔を出し、炭櫃が現れ、茶入れが続き、その横には着物まできれいに保管されている。
一見すると立派な茶道具一式である。
ところが、一点一点見ていくうちに答えは見えてくる。
どれも丁寧に使われている。
大切にされてきたことも伝わる。
しかし、残念ながらその多くがお稽古用なのである。
骨董屋という商売は、ときどき人の思い出に値段を付けるような仕事になる。
昨日まで毎週のお稽古で使われていた茶碗も、市場ではごく普通の茶碗になる。
長年大切にしてきた棗も、希少性がなければ相場は静かなものだ。
思い出は高価だが、市場は案外と薄情である。
世の中には「長く持っていれば価値が上がる」と信じている人も少なくない。
確かにそういう品もある。
しかし、それ以上に「長く持っていても値段が変わらないもの」の方がずっと多い。
骨董とは夢を売る世界でもあるが、現実を突きつける世界でもある。
こちらとしても、できるだけ頑張った査定をしたい。
だが相場というものは、人情だけでは動いてくれない。
市場というのは、夏の太陽よりも案外冷たいのである。
そんな空気の中、最後に一本の箱が運ばれてきた。
開ける。
また一本。
さらに一本。
思わず相方と顔を見合わせた。
「おっ。」
そこに並んでいたのは明珍火箸であった。

一本、二本ではない。
十本……
十五本……
二十本近くある。
これには思わず胸をなで下ろした。
火箸というと、一般の方にはただの鉄の棒にしか見えない。
ところが明珍火箸となると話は違う。
名工の鍛えた鉄は、音色まで美しい。
ただ火を扱うための道具ではなく、日本人の美意識が宿った工芸品でもある。
「最後の最後に主役が登場しましたね。」
そんな言葉が自然に口をついた。
人生も骨董品も、最後まで蓋を開けてみなければわからない。
途中まで期待外れでも、最後に一枚の掛軸、一振りの刀、一客の茶碗で景色が変わることがある。
逆に最初だけ豪華で、終わってみれば肩を落とすこともある。
だから骨董屋は毎日同じ仕事をしていても飽きないのである。
家主様へ相場を丁寧に説明し、お稽古道具であること、しかし明珍火箸には評価が付くことをお話しすると、「そうですか」と穏やかにうなずかれた。
そして茶道具一式、すべてをお譲りいただくことになった。
帰り際、玄関を出ると再び福岡の熱風が待ち構えていた。
さっきまで文明の恩恵に浸っていた身体へ、現実が容赦なく襲いかかる。
相方が「暑いですねえ」と笑う。
私は「この暑さも、そのうち骨董品になれば価値が出るかもしれん」と答えた。
もっとも、暑さだけは何百年経っても誰も欲しがらないだろう。
人間というものは不思議である。
茶碗一つには何十万円も払う人がいるのに、涼しい風だけは一円たりとも買えない。
だから今日も骨董屋は汗をぬぐいながら町を走る。
名品を探すためではない。
いや、それもある。
だが本当は、誰かが長い年月を大切にしてきた品物と、その品物に込められた人生を受け取りに行くのである。
そして、その人生の締めくくりに少しだけ寄り添えるなら、この暑さも悪くはない……と思いたい。
もっとも、次の買取先がエアコンのない蔵だったら、その悟りも三分で消え去るのだが。ではまた…
買取品の詳細
◇この「明珍火箸」は作風こそ地味ですが流石に明珍本舗の作品で箸同士で響かせるととても良い音で長く響きます。どちらかというと風鈴が一般的にはよく使われるようですがお茶席には明珍の火箸を是非ご使用ください。ありがとうございました。
買取査定額

◇古い火箸の買取査定額もしくは評価額ですが素材や工房や作家、状態と時代や彫刻の繊細さなどでより高価買取&できます。

ご自宅に火箸や茶道具が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

斑竹造 火箸 200,000円
明珍 玉鋼火箸 180,000円
中川浄益 宝尽し象嵌 火箸 70,000円
透月斎 書附 火箸 耕閑 造 50,000円 他多数
明珍宗理とは?

明珍宗理(みょうちん むねみち)は、兵庫県姫路市に伝わる甲冑師・鍛冶師の名門「明珍家」の第52代当主として知られる金工家です。平安時代末期から約850年以上続く日本最古級の鍛冶一族の技術を受け継ぎながら、現代では「明珍火箸風鈴」の創始者として世界的に評価されています。甲冑という武具から、暮らしの中で音を楽しむ工芸へと伝統技術を昇華させた功績は、日本の伝統工芸史の中でも特筆すべきものです。
生い立ち
宗理は1942年、兵庫県姫路市に生まれました。姫路は江戸時代以来、明珍家が姫路藩御用の甲冑師として活動した土地であり、幼い頃から鉄を鍛える音に囲まれて育ちました。
1960年に兵庫県立琴丘高等学校を卒業すると、父である第51代当主・明珍宗之に師事し、本格的に鍛冶の修業を始めます。伝統的な鍛鉄技術は、単に道具の使い方を学ぶだけではなく、火加減、鉄の色、鎚の打ち方、音による判断など、長年の経験によってのみ身につく世界でした。
宗理は30年以上にわたり父のもとで修業を重ね、1993年に第52代「明珍宗理」を襲名しました。以来、明珍本舗の当主として制作活動を続け、日本の鍛鉄文化を国内外へ紹介する役割も担いました。
明珍家の歴史
明珍家の歴史は平安時代末期に始まると伝えられています。
初祖・紀宗介(増田宗介)は、京都で轡(くつわ)や甲冑を製作する鍛冶師でした。近衛天皇に献上した鎧と轡の出来栄えが非常に優れていたことから、「明らかに珍しい技」という意味を込めて「明珍」の姓を賜ったという伝承があります。
鎌倉・室町・戦国時代を通じて明珍家は日本を代表する甲冑師集団として発展しました。江戸時代には全国へ一門が広がり、「明珍派」と呼ばれる一大流派を形成します。
姫路の明珍家は、酒井家が姫路藩主となった際に藩のお抱え甲冑師となり、歴代藩主に仕えました。
しかし明治維新による廃刀令と武士階級の消滅により甲冑の需要はほぼ消滅します。
そこで第48代・明珍宗之は、鍛鉄技術を活かして火箸製作へ転換しました。この決断が現在の明珍本舗へとつながっています。
1. 明珍火箸風鈴
宗理最大の代表作は、1965年頃に考案された明珍火箸風鈴です。
もともと囲炉裏で使う火箸は、茶道でも使用される道具でした。宗理は火箸を吊り下げて偶然生まれた澄んだ響きに着目し、四本の火箸を組み合わせた風鈴として完成させました。
この風鈴は、
- 澄み切った高音
- 長く美しい余韻
- 雑味のない透明感
が特徴です。
一本一本を手で鍛え、焼き入れを行い、微妙な長さや厚みを調整することで、まるで楽器のような音色を生み出します。
音楽家・冨田勲は
「目の前で鳴っているのに、どこか遠くから聞こえるような音」
と評し、スティーヴィー・ワンダーにも贈られたことで世界的にも知られるようになりました。
2. 創作楽器
宗理は火箸だけでなく、鍛鉄を利用した創作楽器も数多く制作しました。
鉄とは思えない柔らかく澄んだ音色は、コンサートや録音にも利用され、金属工芸と音楽芸術を結び付ける試みとして高く評価されています。
3. 花器・茶道具
伝統鍛造技術を応用した
- 花器
- 茶道具
- 香炉
- オブジェ
なども制作しています。
武具に由来する力強さを残しながらも、簡潔で洗練された現代的デザインが特徴です。
① 卓越した鍛鉄技術
明珍家最大の特徴は、鉄を何度も加熱・鍛錬することで非常に緻密な組織を作る鍛造技術です。
その結果、
- 強靭で壊れにくい
- 薄く軽量
- 美しい表面
- 澄んだ音色
という特徴が生まれます。
甲冑の時代には「軽く丈夫で命を守る鎧」が求められましたが、その技術は現代でも火箸や風鈴に受け継がれています。
② 機能美
明珍家の作品には華美な装飾は少なく、用途に即した美しさがあります。
甲冑であれば
- 防御力
- 可動性
- 軽さ
火箸であれば
- 握りやすさ
- 耐久性
- 音響性能
が優先されます。
「実用から生まれる美」は明珍家の一貫した思想です。
③ 音へのこだわり
宗理の代になって特に発展したのが「鉄の音」です。
鉄は一般には重く硬い素材ですが、適切に鍛えれば驚くほど澄んだ響きを生み出します。
一本ずつ異なる音を持つ火箸を選別し、最も美しい和音となるよう組み合わせる作業は、楽器製作にも通じる繊細さを要します。
④ 手仕事への徹底したこだわり
現在も明珍本舗では、大量生産ではなく一本一本を手作業で鍛造しています。
鉄を炉で赤熱させ、
- 打つ
- 焼く
- 冷ます
という工程を何度も繰り返し、最後は耳で音を確かめながら仕上げます。
この「耳で品質を判断する」点は、明珍家ならではの伝統です。
★受賞歴…
宗理は長年の功績により、
- 兵庫県技能功労賞(1993年)
- 日本オーディオ協会「音の匠」(1997年)
- 日本文化デザイン大賞・特別賞(2003年)
- 姫路市藝術文化賞(2004年)
- 文化庁長官表彰(2016年)
など数多くの賞を受賞しています。これらは、伝統技術の継承だけでなく、「音」を芸術として高めた独創性が評価された結果といえます。
■参考サイト
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。












































