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福岡市南区で沈壽官の皿を買取りました!


7月の福岡という街は、どうにも律儀である。 博多祇園山笠が終わる十五日の追い山を境に、「さあ、ここからは本気です」とでも言わんばかりに太陽が遠慮をやめる。梅雨の湿気など序の口だったと思わせる灼熱が、アスファルトを焼き、人間を干物寸前まで追い込んでくる。 昔の人は山笠が終わると夏が来ると言ったそうだが、最近は夏ではなく「試練」が来ると言い換えたほうが正確かもしれない。 そんな暑さになると、世間様は冷房の効いた部屋へ避難する。しかし不思議なことに、骨董品の買取依頼だけはきっちり入ってくる。 「暑いですねえ。」 電話口では皆さん口を揃える。 本当に暑いと思うなら、もう少し涼しくなってから呼んでいただいても一向に構わないのだが、そういうわけにもいかないらしい。 骨董品というものは、人間の都合ではなく家の都合で動く。 相続であったり、建て替えであったり、施設への入居であったり、あるいは子どもから「もう片付けてくれ」と言われたり。 長年主人だった品物は、ある日突然、「邪魔な物」に降格する。 昨日まで床の間で威張っていた壺が、今日は新聞紙に包まれて玄関で順番待ちをしている。 骨董屋とは、その降格人事の立会人みたいな商売でもある。 だから依頼があるうちが華である。 アリとキリギリスの話ではないが、仕事も利益も、来るときにはまとめて来る。来ないときは驚くほど静かだ。 冷蔵庫に食料を入れておくように、商売も多少の蓄えがなければ冬は越せない。 もっとも、骨董屋の冷蔵庫には現金の代わりに売れ残った茶碗や掛軸がぎっしり詰まっていることも珍しくない。 それでは腹は膨れないのだが。
この日の目的地は福岡市南区。 薩摩焼を長年集めてこられたというコレクターのお宅だった。 「かなりあります。」 電話ではそう聞いていた。 骨董屋は「かなりあります」という一言だけで三通りの想像をする。 本当にかなりある人。 本人だけがかなりあると思っている人。 そして、かなりあるのは品数だけという人。 どれに当たるかは玄関を開けるまで分からない。 車を走らせながら、頭の中ではすでに値札が踊っている。 人間、欲をかくとろくなことはないが、期待くらいは自由である。 到着して思わず笑ってしまった。 いや、笑うのは失礼だから心の中だけにしておいた。
目の前には白亜の豪邸。 白い。 とにかく白い。 壁も門も塀も白い。 「家全体が白薩摩か。」 そんなくだらないことを考えた。 もっとも、この家なら洒落にもならない。 中へ案内されると予想は裏切られなかった。 棚という棚に薩摩焼。 飾り棚にも薩摩焼。 ガラスケースにも薩摩焼。 明治期の輸出薩摩が金彩をこれでもかと輝かせ、里帰り品が異国帰りの顔をして並んでいる。 京薩摩あり。 横浜薩摩あり。 豪華絢爛という言葉を辞書から持ってきて、そのまま部屋へ置いたような眺めである。 海外では「オリエンタル・アート」と呼ばれて高く評価された焼物も、日本では箱の状態や作者、窯印ひとつで評価が大きく変わる。 美しいだけでは値段にならない。 骨董とは、見た目だけでは採点されない世界なのである。 一本一本。 一客一客。 箱を開け、印を見て、貫入を眺め、補修跡を探し、時代を読む。 まるで医者の診察である。 違うのは、「治りますよ」と言えないところだ。 ところが困った。 どれも立派なのである。 立派すぎる。 つまり、お客様の思い入れも立派なのである。 「これはずいぶんしました。」 その一言で骨董屋は心の中の電卓を静かに閉じる。 市場価格は市場価格。 思い出価格は市場では売っていない。 こちらが百万円と言っても、相手の心の中では二百万円。 逆にこちらが二百万円と言っても、「三百万円で買った」と返ってくることもある。 骨董品の査定は品物を見る仕事であると同時に、人の人生を見る仕事でもある。 結局、名品の数々はご縁がなかった。 価値がないからではない。 価値があり過ぎたのである。 高価な品ほど、売る人にも買う人にも事情がある。 その事情を数字だけで埋めることはできない。
最後に、「これはどうでしょう」と持ってこられたのが現代の沈壽官作品だった。 ようやく話がまとまる。 いくつか査定させていただき、お互い納得の上でお譲りいただいた。 商売とは不思議なもので、大仕事をしても手ぶらの日がある。 逆に最後の一箱だけで今日一日が救われることもある。 だから骨董屋は最後まで気を抜かない。 映画のエンドロールが終わるまで席を立たない観客と少し似ている。 外へ出ると、相変わらず太陽は本気だった。 車のハンドルはフライパン。 シートベルトは焼きごて。 エアコンだけが文明である。 帰り道、ふと思う。 何十年もかけて集められたコレクションは、いつか必ず誰かの手を離れる。 どれほど大切にした品でも、最後は次の持ち主へ渡っていく。 骨董品とは「所有する物」ではなく、「預かる物」なのかもしれない。 人は百年生きない。 しかし器は二百年、三百年と平気な顔をして残る。 人間のほうがよほど骨董品より短命なのである。 だから今日もまた、どこかで誰かが箱を開け、「これは価値がありますか」と尋ねる。 その答えを探しに行くのが私の仕事である。 暑かろうが寒かろうが、呼ばれれば向かう。 骨董屋とは、品物よりも人の縁を運ぶ商売なのだと思う。 とはいえ、この炎天下だけは少し勘弁してほしい。 薩摩焼は火で焼かれて名品になる。 骨董屋まで焼く必要はないのである。 では、また。
買取品の詳細
今回の骨董品出張査定で買取しました十四代沈壽官の八角皿ですがとてもシンプルで空間を生かした花鳥図がとてもおしゃれな皿です。普段のお料理でも使用できますがけして派手ではありませんが沈壽官のものの中では珍しい明るい色彩の薩摩焼なのでコレクションとしても重宝致します。
買取査定額

◇古い薩摩焼や沈壽官の買取査定額もしくは評価額ですが時代や色調、作家名や大きさ、状態次ほかには刻印、共箱などあればより高価買取&できます。ご自宅に沈壽官作品や薩摩焼が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

十四代沈壽官 鳳凰桐花金雲文花瓶 400,000円
十五代沈壽官秀逸作 薩摩草花文花瓶 300,000円
十四代沈壽官造『鵬雲斎書付』手桶水指 200,000円
十五代沈壽官 薩摩籠目蓋透菊尽香炉 150,000円 他多数
沈壽官とは?
沈壽官(ちん・じゅかん)は、鹿児島県日置市美山を拠点とする薩摩焼宗家の当主が代々襲名する名跡であり、その歴史は約420年前にまで遡ります。初代は、豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592~1598)の際に薩摩藩へ渡来した朝鮮人陶工の一人であり、以来15代にわたって陶芸の技術と文化を継承してきました。現在の十五代沈壽官(1959年生)は、伝統的な薩摩焼を守るだけでなく、日本と韓国の文化交流の象徴としても高く評価されています。
沈壽官家の起源
沈壽官家の歴史は、16世紀末の朝鮮出兵に始まります。薩摩藩主・島津義弘は朝鮮半島から優れた陶工を薩摩へ招きました。その中に沈当吉(のちの初代沈壽官)がいました。
当時、日本ではまだ白磁や高級陶磁器の製造技術が十分に確立されておらず、朝鮮陶工たちがもたらした高度な轆轤(ろくろ)技術や登窯、釉薬の知識は日本の陶芸史を大きく変えることになります。
薩摩藩は彼らを現在の鹿児島県日置市東市来町美山(旧苗代川)に定住させ、陶器づくりを奨励しました。この集落は現在でも薩摩焼発祥の地として知られています。
江戸時代になると、薩摩焼は藩の保護を受けながら発展し、とくに幕末から明治時代にかけて制作された豪華絢爛な「薩摩錦手」はヨーロッパで高い人気を博しました。1867年のパリ万国博覧会では薩摩焼が世界的な注目を集め、「SATSUMA」の名は世界共通のブランドとなりました。沈壽官家はその中心的存在として薩摩焼の発展を支えてきました。

十四代 沈壽官(1926~2019)
十四代 沈壽官は、1926年に十三代沈壽官の長男として鹿児島県苗代川(現・日置市美山)に生まれました。1964年に十三代の没後、十四代を襲名し、薩摩焼宗家の当主となりました。
略歴
- 1926年 鹿児島県に生まれる
- 1964年 十四代沈壽官を襲名
- 1968年 故郷忘じがたく候の主人公のモデルとなり広く知られる
- 1970年 大阪万博に「白薩摩浮彫大花瓶」を出品
- 1989年 日本人初の大韓民国名誉総領事に就任
- 1998年 薩摩焼400年祭を成功させ、大韓民国銀冠文化勲章受章
- 2010年 旭日小綬章受章
- 2019年 逝去
作品の特徴
十四代の作品は、「伝統の継承」と「独自の美意識」の両立が最大の特徴です。
① 白薩摩の気品
乳白色の素地に細かな貫入(かんにゅう)が入り、繊細な金彩や色絵を施した白薩摩を得意としました。優雅で格調高い作品が多く、花瓶や香炉、大壺などの大型作品でも高い評価を受けています。
② 黒薩摩の新境地
素朴な黒薩摩にも力を注ぎ、「井光釉(せいこうゆう)」と呼ばれる独特の黒釉を開発しました。これは作家・司馬遼太郎が「井戸水のような深い光沢を持つ釉薬」と評して名付けたもので、十四代を代表する技法となりました。
③ 朝鮮陶工としての精神性
自身のルーツである朝鮮文化を大切にしながら、日本の伝統工芸として薩摩焼を発展させました。作品には豪華さだけでなく、静かな精神性や温かみが感じられます。
十五代 沈壽官(1959年~)
十五代 沈壽官(本名:沈一輝)は1959年、十四代の長男として生まれました。早稲田大学卒業後、京都で陶芸技術を学び、さらにイタリア・ファエンツァ国立美術陶芸学校、韓国で修業を積み、1999年に十五代を襲名しました。
略歴
- 1959年 鹿児島県生まれ
- 1983年 早稲田大学卒業
- 1984~1985年 京都で陶芸技術を修得
- 1988年 イタリア国立美術陶芸学校修了
- 1990年 韓国で伝統土器制作を学ぶ
- 1999年 十五代沈壽官襲名
- 2001年 世界陶磁器EXPO出品
- 2002年 ニューヨーク「New Way of Tea」に出品
- 2010年 パリで歴代沈壽官展開催
- 日韓文化交流や国内外での個展・講演活動を展開
作品の特徴
① 伝統と現代デザインの融合
十五代は、薩摩焼の伝統技法を守りながら、イタリアで学んだ造形感覚を取り入れています。従来の豪華な装飾だけでなく、余白やシンプルなフォルムを活かした現代的な作品も数多く制作しています。
② 茶陶・酒器への展開
花瓶や香炉だけでなく、茶碗や酒器、日常使いの器にも力を入れています。「使われる器」としての美しさを重視し、現代の生活に調和する薩摩焼を追求しています。
③ 国際的な作品発表
代表作の**「透彫香爐」は、2002年にニューヨーク・Asia Society Museumで開催された「New Way of Tea」に出品されました。また、「薩摩蝶乗花瓶」**は首相官邸に常設展示されるなど、国内外で高く評価されています。
④ 「伝統は革新の堆積」という理念
十五代は「伝統は革新の堆積である」という考えを掲げ、伝統を単に守るのではなく、新しい表現を積み重ねることで次世代へ継承すべきだと考えています。この理念は作品づくりだけでなく、窯の運営や文化交流活動にも反映されています。
★最後に…十四代沈壽官は、薩摩焼の伝統を深く掘り下げ、「白薩摩」と「黒薩摩」の魅力を再評価するとともに、日韓文化交流の象徴的存在として活躍しました。一方、十五代沈壽官は、その伝統を受け継ぎながら、イタリアや韓国で培った感性を取り入れ、現代生活や国際社会に通用する新しい薩摩焼を創造しています。
■参考サイト

沈家伝世品収蔵庫(鹿児島県日置市)
■その他の買取品目
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