西島伊三雄や日本画・骨董品の買取は福岡の玄燈舎にお任せ下さい
西島伊三雄の童画買取りました

福岡市博多区で西島伊三雄作品を買取りました!

 

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◇最近の福岡の街は、どうも浮かれている。

テレビをつければ「今年のお盆休みは最大十連休」などと景気のいい話をしている。十連休である。十日も休んで一体何をするのだろうと、こちらとしては余計な心配をしてしまう。

海外旅行へ行く人もいるらしい。

ハワイだの、ヨーロッパだの、東南アジアだの、最近では聞いたこともないような国へまで出かけていく。円安だ物価高だと言いながら、空港へ行けば大きなスーツケースを引っ張った人たちがぞろぞろ歩いている。

まあ、人間というものは不思議なものである。

「生活が苦しい」と言いながら旅行へ行き、「節約しなくては」と言いながら高級なものを食べ、「老後が心配だ」と言いながら今を楽しむ。

まあ、それもいいのである。

人生、何事も帳尻が合わないくらいがちょうどいい。

そんな世間様の浮かれ気分を横目に、我々骨董屋は今日も仕事である。

仕事といっても、朝から汗水たらして働いているわけではない。

どちらかといえば、昼間からビールを飲んでいる。

「我々は地道に石橋を叩いて渡るような商売です」

などと格好のいいことを言いたいところだが、そもそも石橋を見つける前にビールを探している。

石橋を叩くより、冷蔵庫を開ける。

これが我々骨董屋の現実である。

そんな怠惰な日常に一本の電話が入った。

「骨董品を見てもらいたいんですが、ブロンズや能面、それから尺八、掛軸などがあります」

とのこと。なるほど。

ブロンズ、能面、尺八、掛軸…

骨董屋の耳には、なかなか景気のいい言葉が並ぶ。

こういう電話を受けると、それまでビールを飲んでいた人間でも、急に目が覚める。

「これはひょっとすると……」

と、頭の中でそろばんが勝手に動き始める。

もっとも、そのそろばんはしばしば間違っている。

骨董屋という商売は、期待して出かけると何もなく、何も期待せずに行くと、とんでもないものが出てくる。

だから我々は、期待しているような、期待していないような、なんとも微妙な顔をして車に乗り込む。

今回の場所は福岡市博多区。

博多といえば、山笠にラーメン、明太子、そして昔からの商人文化。

骨董品が眠っていても不思議ではない。

というわけで、あくる日、相方と二人、車を飛ばして現地へ向かった。

もちろん、こう見えても?安全運転である。骨董屋は命がけでお宝を探しているわけではない。

できれば長生きして、いつも猫と一緒にビールを飲みたい。

家に到着すると、さっそく品物を拝見する。

最初に目に入ったのがブロンズ像だった。

しかも北村西望の作品がある。

北村西望といえば、長崎の「平和祈念像」で知られる日本を代表する彫刻家である。

こういうものが家の片隅からひょいと出てくると、骨董屋としては少し背筋が伸びる。

さっきまでビールのことを考えていたのに、急に鑑定士らしい顔になる。

人間というのは現金なものである。さらにヨーロッパのブロンズ像も数体ある。

こちらもなかなか雰囲気がいい。日本の家にヨーロッパのブロンズが置かれているというのも面白い。

昔の日本人は、今の我々よりずっと物に対しておおらかだったのかもしれない。

「これはヨーロッパだから洋間に置こう」「これは中国だから床の間に置こう」

などと細かいことは考えず、気に入ったものを買って、気に入った場所に置く。

そして何十年か経つと、その家を整理するために我々骨董屋が呼ばれる。

人間の物欲というものは、実に壮大なリレー競技である。

先代が買い、次の世代が持て余し、その次の世代が骨董屋に電話する。

我々はそのバトンを受け取る係なのだ。

さて、次に出てきたのが能面。しかもかなり古そうである。

鎌倉時代のものとみられる木彫りの能面だという。

もちろん、こういうものは慎重に見る必要がある。

古そうだから古い。木が黒いから古い。顔が怖いから古い…

そんな簡単な話ではない。

骨董屋を長くやっていると、古そうに見えるものほど慎重になってくる。

人間も同じである。

顔にシワがあるからといって、必ずしも人格が深いわけではない。

我々にも長年の経験がある。そして、古い掛軸も何本か出てきた。

中国の古い掛軸もある。一つ一つ広げていく。

こういう作業は、一般の人からすれば退屈かもしれない。

しかし骨董屋にとっては、この瞬間が一番楽しい。

箱を開ける。紐を解く。紙を広げる。

そして、そこに何が描かれているのかを見る。

何十年、何百年という時間を、巻いた一本の掛軸から少しずつほどいていく。

もっとも、毎回ロマンがあるわけではない。

「これは印刷ですね」「こちらは昭和の複製です」「この箱と中身が違いますね」

などという現実も山ほどある。夢と現実の間を行ったり来たりする。

それが骨董屋である。

今回については、幸いにもなかなか良い品が揃っていた。

北村西望のブロンズ、ヨーロッパのブロンズ、能面、掛軸。

それだけでも十分に査定額がまとまってくる。「今日はありがたい日だな」

などと相方と話していた。ところが、最後のほうになって、思いがけないものが出てきた。

太宰府天満宮の牛さんです/骨董品の買取は福岡玄燈舎
太宰府天満宮の牛さんです

一枚の童画である。描いたのは、福岡が誇る絵師、いやグラフィックデザイナー、西島伊三雄。

西島伊三雄といえば、福岡市地下鉄の駅シンボルマークや、博多の祭りを題材にした作品、「うまかっちゃん」のデザインなど、福岡の人なら知らず知らずのうちに目にしている作品が多い。

その西島伊三雄の童画だった。しかも題材が太宰府天満宮の「とおりゃんせ」。

これが、なんとも可愛い。古い能面のような迫力はない。

ヨーロッパのブロンズのような重厚感もない。

掛軸のように「これは何百万円かもしれませんよ」とこちらを緊張させる雰囲気もない。

ただ、可愛いのである。

子どもたちの姿や、太宰府という土地の空気が、柔らかな線の中に詰まっている。

こういう作品を見ると、骨董というものの面白さを改めて感じる。

古いものだけが骨董品ではない。高価なものだけが美術品でもない。

その土地の記憶や、人々の暮らしを残しているものも、時間が経てば立派な文化資料になる。

西島伊三雄という人は、まさに福岡の記憶を絵にした人だったのだろう。

山笠、どんたく、子どもたち、博多の町、太宰府。

我々が何気なく見過ごしている福岡の日常を、絵にして残してくれた。

そう考えると、この一枚の童画もなかなか侮れない。

「これは良いですね」と、相方が言う。私も同感である。

こういうものは、ただ値段をつければいいというものではない。

もちろん骨董屋である以上、最後には値段をつける。

我々は慈善事業をしているわけではない。

しかし、値段をつける前に、その品物が何なのかをきちんと理解することは大切である。

そして今回の西島伊三雄の童画についても、しっかりと評価させていただいた。

結果として、こちらも納得のいく価格で買い取ることができた。

それにしても、最初に聞いていた「ブロンズ、能面、尺八、掛軸」という話から、最後に西島伊三雄の童画が出てくるとは思わなかった。

骨董品の買取というものは、いつもこうである。

「これとこれだけです」と言われて訪問すると、奥から次々と品物が出てくる。

そして最後の最後に、一番面白いものが出てくる。

宝探しというより、家の中に仕掛けられた長編小説を読んでいるようなものだ。

今回の査定は、ブロンズ、能面、尺八、掛軸、童画などを合わせて、およそ40点。

ありがたいことに、かなりまとまった買取となった。

こういう日は、骨董屋として実に気分がいい。「今日は仕事をしたな」

と思う。ただし、帰りの車の中で相方が、

「ところで昼飯どうします?」

などと言い出す。結局、骨董屋の一日はそこへ戻る。

世間では十連休だ、海外旅行だ、豪華ディナーだと騒いでいる。

我々はといえば、家から出てきた古い物を一つ一つ眺め、値段をつけ、車に積み込み、帰ったらまたビールを飲む。

石橋など叩いている暇はない。そもそも石橋を見つけたら、その上に座って休みたいくらいである。

しかし、そんな我々でも、時々こうして福岡の古い文化に出会う。

北村西望の彫刻に驚き、古い能面に唸り、中国の掛軸に首をひねり、最後には西島伊三雄の童画に癒やされる。

これだから骨董屋はやめられない。

世間様が十日間の休みを満喫している間にも、我々は一日一日、古いものと新しい出会いを繰り返している。

まあ、それを仕事と呼ぶのか、趣味と呼ぶのかは、本人たちにもよく分からない。

ただ一つ確かなことがある。今日もまた、良いものに出会えた。

そして、帰ったらビールがうまい。それで十分なのである。

ではまた…

買取品の詳細

◇この「通りゃんせ」の童画は「牛」「梅」がることから太宰府天満宮を描いたものだと判ります。わらべがとても可愛く、懐かしくもある優しい画風に仕上がっております。季節は限られますが床の間の一角や玄関先にかけても風情が出てくるか絵です。

 

買取査定額

懐かしいくも可愛い絵ですね/骨董の買取も福岡玄燈舎
懐かしいくも可愛い絵ですね

◇西島伊三雄作品の買取査定額もしくは評価額ですが絵の大きさや、題材、状態ほかには鑑定書などあればより高価買取&できます。ご自宅に西島伊三雄作品が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例


ブロンズ 博多やまかき小僧 「すんまっせん」  100,000円
「女の子」 肉筆油彩12号   60,000円
「羽根つき」 50,000円
リトグラフ 追いやま   20,000円 他多数

西島伊三雄とは?

福岡を歩いていると、意外なところで西島伊三雄(にしじま・いさお)の仕事に出会います。福岡市地下鉄の駅にある愛嬌のあるシンボルマーク、博多の祭りを描いた童画、そして誰もが一度は目にしたことのある「うまかっちゃん」のパッケージ。これらは一見すると別々の仕事のようですが、その根底には「博多・福岡の人々の暮らしを、親しみやすい絵やデザインで伝える」という一貫した姿勢がありました。

西島伊三雄は大正12年(1923)5月31日、福岡市博多に生まれ、平成13年(2001)9月30日に78歳で亡くなりました。福岡市はその功績をたたえ、平成16年(2004)12月17日に「福岡市名誉市民」に選定しています。福岡市の公式資料では、日本を代表するグラフィックデザイナーとしての仕事だけでなく、親しみやすい童画を通して地域の伝統文化や生活文化を描いた人物として評価されています。

■ 博多に生まれ、広告の世界へ

西島は昭和13年(1938)に福岡男子高等小学校を卒業。その後、昭和17年(1942)に朝日広告社へ入社します。そして昭和22年(1947)、グラフィックデザイナーとして独立しました。

戦時中には軍国主義的なポスターなども描いたとされますが、戦後になると「自分の描いたもので世の中を明るくしたい」という思いを強く抱くようになります。そして各地の観光ポスターなどを手掛け、写真を単純に使うのではなく、自らの手で土地の魅力を描き出すスタイルを確立していきました。

昭和35年(1960)には世界観光ポスターコンクールで最優秀賞を受賞したと紹介されており、活動の舞台は福岡だけにとどまらず、国際的にも評価されるようになります。

しかし、西島の仕事を語るうえで重要なのは、「世界的に評価されたデザイナー」でありながら、決して都会的で無機質なデザインだけを追求しなかったことです。

むしろ彼が愛したのは、博多の祭り、子どもたち、商店街、昔ながらの町並み、そして博多弁が飛び交う日常でした。

■ 西島伊三雄の「童画」

西島伊三雄の作品を理解するうえで欠かせないのが「童画」です。

彼の描く子どもたちは、単に可愛らしいだけではありません。祭りで走り回る子ども、着物を着た子ども、昔の町で遊ぶ子どもなど、そこには昭和の日本人が記憶している「昔の暮らし」があります。

その絵には、どこか懐かしさがあります。

線は柔らかく、人物の表情も穏やかで、色彩も見る者に強く迫るというより、生活の中に自然に溶け込むようなものです。だからこそ、西島の絵は子ども向けの童画でありながら、大人が見ると「昔の博多」を思い出させる力を持っています。

福岡市は西島について、「伝統文化や生活文化を鮮やかに描き出し、人々の心に忘れかけた安らぎと郷愁をもたらした」と評価しています。まさに西島芸術の本質を表した言葉でしょう。

最大の代表作――福岡市地下鉄の駅シンボルマーク

西島伊三雄の名前を知らない福岡市民でも、彼の作品を知らず知らずのうちに毎日のように目にしています。

それが福岡市地下鉄の各駅に設けられたシンボルマークです。

昭和56年(1981)、福岡市地下鉄1号線、現在の空港線が室見~天神間で開業した際の駅シンボルマークの制作から始まり、その後、箱崎線などへと広がりました。駅周辺の歴史、地名、自然、名物、動物などを題材にして、一目見ればその駅の特徴が分かるようにデザインされています。

例えば博多駅は、博多を代表する伝統文化である「博多献上」の文様をモチーフにしています。祇園駅なら博多祇園山笠、西新駅なら西の中心として発展する町と学生の町という特徴を表すなど、それぞれの土地に意味が込められています。

これは現代のピクトグラムにも通じる考え方ですが、西島の場合、単なる「分かりやすさ」だけではありません。

そこに「その土地らしさ」があります。

駅名を読めない子どもや外国人でも、「このマークは博多らしい」「これは山笠だ」と感覚的に理解できる。そして地元の人が見れば、「ああ、ここは博多だ」と感じる。

つまり西島の駅マークは、交通案内であると同時に、福岡の小さな文化案内板でもあったわけです。

■ 「うまかっちゃん」――家庭の食卓に入った西島デザイン

西島伊三雄の代表作として忘れてはならないのが、ハウス食品のインスタントラーメン「うまかっちゃん」です。

現在も続くロングセラー商品ですが、そのおなじみのパッケージに描かれた博多らしい人物やイラストを手掛けたのが西島でした。KBCの紹介でも、「山笠の水法被姿の子どもたち」を描いたおなじみのパッケージの作者として紹介されています。

面白いのは、ここでも西島の「博多らしさ」が生きていることです。

全国販売の商品でありながら、東京風でも大阪風でもなく、「九州・博多のラーメン」というイメージを一目で伝える。

しかも、難しい説明はありません。

子ども、祭り、元気のよい表情、そして「うまかっちゃん」という名前。

西島のデザインには、こうした「見れば分かる」という強さがあります。

■ 博多どんたく、山笠、放生会

西島が生涯を通じて描き続けたものに、博多の祭りがあります。

特に「博多どんたく」「博多祇園山笠」「筥崎宮放生会」は、繰り返し作品の題材となりました。福岡市の公式資料でも、西島が博多どんたくを市民文化として育てる活動に深く関わり、自ら童画やポスターを描いて広報活動を行ったことが紹介されています。さらに扇、うちわ、手ぬぐいなどの図柄をボランティアで描き、募金活動にも協力していました。

昭和48年(1973)には博多町人文化連盟の理事長に就任。同連盟は博多の伝統文化を守り育てる活動を続けており、西島はその初代理事長でした。

この活動は、単なる「文化人としての肩書き」ではありません。

西島にとって博多文化は、絵の題材であると同時に、自分たちが守っていかなければならない生活そのものだったのでしょう。

博多町人文化連盟は1987年にサントリー地域文化賞を受賞しており、その時の代表も西島伊三雄でした。

■ デザインだけではない「街づくり」の仕事

西島の活動範囲は広告や童画だけではありません。

昭和48年(1973)には九州産業大学芸術学部教授となり、昭和56年(1981)には日本デザイナー学院九州校の校長に就任しました。その後も博多町家ふるさと館初代館長、九州文化協会専務理事、福岡アジア文化賞委員会委員、福岡市文化芸術振興財団理事などを歴任しています。

つまり西島は、絵を描く人であると同時に、福岡の文化を後世に残すために動いた人でもありました。

博多町家ふるさと館の初代館長を務めたことなどを考えても、彼が「博多の過去」を懐かしむだけではなく、それを未来につなげようとしていたことが分かります。

■ 西島伊三雄のデザインの特徴

西島作品の特徴をまとめるなら、第一に「親しみやすさ」、第二に「地域性」、第三に「物語性」、そして第四に「分かりやすさ」が挙げられます。

たとえば地下鉄の駅マークは、抽象的なデザインでありながら、必ずその土地にまつわる物語を持っています。

童画には、博多の子どもたちや祭りの風景が描かれています。

商品デザインでは、九州の食文化を表現しています。

つまり、西島は「きれいな絵」を描いたのではなく、「その土地の記憶」を絵にしたのです。

この点が、単なる商業デザイナーとは違うところでしょう。

■ 今も福岡の街に残る西島作品

西島伊三雄が亡くなったのは平成13年(2001)ですが、その作品は今も福岡の街に生きています。

福岡市地下鉄の駅シンボルマークはその代表です。また、博多駅筑紫口正面の噴水にある陶板、西鉄グランドホテルのマーク、壁画やモニュメントなど、街そのものに組み込まれた仕事も残されています。

さらに福岡市博物館には、西島伊三雄が描いたポスターなどが関連資料として収蔵されています。2001年の新収蔵品展では、博多人形師・小島與一の資料とともに、西島によるポスターも紹介されました。

そして西島の仕事は、息子の西島雅幸氏にも受け継がれました。特に七隈線の駅シンボルマークについては、西島伊三雄が病床にありながら息子と相談し、その考えを引き継いで制作が進められたとされています。

■ 「博多の図案屋」という生き方

西島伊三雄という人を一言で表すなら、「博多の図案屋」という言葉が似合います。

世界観光ポスターコンクールで評価されるほどの実力を持ちながら、本人が愛したのは、世界のどこにでもある都会的なデザインではなく、自分が生まれ育った博多の風景でした。

祭り、子ども、町並み、食べ物、方言、人情。

そうした一見すると何気ないものを、誰にでも分かる形にして残したのです。

だからこそ、地下鉄の駅マークを見れば「ああ、これは博多だ」と思い、「うまかっちゃん」のパッケージを見れば九州の味を思い出し、童画を見れば昔の福岡の町を懐かしく感じる。

これはデザイナーとして非常に大きな仕事です。

西島伊三雄の作品は、単に商品や駅を飾るためのデザインではありません。

福岡という土地の記憶を、誰もが分かる「絵」に翻訳したものなのです。

骨董品でいえば、古い茶碗や掛軸にその時代の暮らしや人の心が残っているのと同じように、西島の作品にも昭和から平成へと続いた福岡の暮らしが残されています。

そして何より面白いのは、作品が「美術館の中だけ」にあるのではないことです。

地下鉄に乗れば駅マークがあり、スーパーに行けば「うまかっちゃん」があり、博多の祭りを見れば西島が愛した風景が今も続いている。

そう考えると、西島伊三雄は作品を残したというより、福岡の街そのものに自分の絵を置いていった人だったのかもしれません。

その意味で、彼は福岡を代表するグラフィックデザイナーであると同時に、「博多という町の記憶を後世に伝えた絵師」と呼ぶにふさわしい人物だと思います。

にし島さんの落款とサインがあります/日本画の買取は福岡玄燈舎
にし島さんの落款とサインがあります

 

 

参考サイト

福岡市美術館

福岡市博物館

「博多町家」ふるさと館

■その他の買取品目

 

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