
福岡市早良区で昭和のリカちゃん人形を買取りました!

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◇もうすぐ彼岸である。
彼岸といえば、暑さ寒さも彼岸まで、という大変ありがたい言葉が日本には昔からある。
しかし近年の日本では、この格言も少々肩身が狭そうだ。
「暑さ寒さも彼岸まで」
などと言っている間に、暑さのほうが「まだ帰りませんよ」と居座ってしまう。
今年の福岡もさんざんであった。
極暑、酷暑、猛暑、危険な暑さ……気象予報士が毎日のように新しい言葉を発明している。もう「暑い」だけでは足りないらしい。
こちらとしては、暑いものは暑い。
骨董屋は炎天下でも仕事をしなければならないし、古い家の二階に上がれば、そこは天然の蒸し風呂である。
掛軸を一本広げるだけで汗が落ちる。
茶碗を一個持つだけで手のひらが汗ばむ。
これでは査定しているのか、自分自身を漬物にしているのか分からない。
そんな極暑日もようやく峠を越え、朝晩にはほんの少しばかり秋の気配が漂い始めた。
世間では「過ごしやすくなりましたね」などと、いかにも平和そうな会話が交わされている。
我々骨董商も、もちろん平和である。
……ということにしておこう。
実際には、電話が鳴れば飛び起き、車に飛び乗り、依頼先へ向かう。
「落ち着いた生活」というものは、どうも我々には縁がない。
そんなある日、一本の電話が入った。
「おもちゃが一杯あるよ」
電話の向こうのお客様は、実に楽しそうな声である。
おもちゃ。
骨董屋にとって、この言葉ほど怖いものはない。
茶道具ならまだいい。
掛軸なら、箱を見て、印を見て、紙を見て、何となくこちらもそれらしい顔をしていれば話になる。
古陶磁器なら、ひっくり返して高台を見ればいい。
ところがおもちゃとなると話が違う。
「昔のおもちゃ」と言われても、昭和のブリキ玩具なのか、平成のキャラクター商品なのか、つい昨日まで子供部屋にあったものなのか、さっぱり分からない。
しかも「一杯ある」という言葉は、骨董屋にとって非常に危険な表現である。
「少しありますよ」
と言われて、家に着いたら蔵いっぱいだったこともある。
「数点です」
と言われて、段ボールが二十箱出てきたこともある。
逆に、
「かなりあります」
と言われて、スーパーの袋一つだったこともある。
人間の「一杯」という感覚ほど信用できないものはない。
ともあれ、我々は福岡市内のお客様宅へ向かった。
相方と二人、車の中では、
「何が出てくるかね」
「まあ、行ってみらんと分からん」
という、骨董屋にありがちな会話をしていた。
期待半分、警戒半分。
いや、正直に言えば、警戒八割、期待二割である。
お客様に案内され、ある部屋の扉を開ける。
その瞬間、私は思った。
「……トイ・ストーリーだ」
映画の『トイ・ストーリー』なら、玩具たちは夜になると勝手に動き出す。
しかし、ここでは昼間から動き出していた。
いや、動き出したというより、動き過ぎていた。
部屋いっぱいに玩具が散乱している。
ミニカー。
人形。
プラモデル。
鉄道模型。
箱。
部品。
そして、何かの部品らしき小さな部品。
さらに、それが何の部品なのか分からない部品。
まるでバケツをひっくり返したような有様である。
ただし、バケツなら拾って戻せばいい。
ここにはバケツがない。
あるのは数十年分の人類の玩具文明である。
私は入口で立ち止まった。
相方も立ち止まった。
我々は目で会話した。
「……どうする?」
「……見るしかないね」
「……そうだね」
夫婦というのは便利なものである。
長年一緒に仕事をしていると、声を出さなくても相手の言いたいことが分かる。
この場合は、
「これは難しいぞ」
という一点で完全に一致していた。
とりあえず、床にあるものを一つずつ見ていく。
ミニカーを手に取る。
比較的新しい。
次。
また新しい。
その次。
やっぱり新しい。
プラモデルを見る。
作りかけ。
しかも箱がない。
鉄道模型を見る。
これも新しい。
人形を見る。
やはり新しい。
どうもこの部屋、平成生まれの玩具が中心らしい。
我々骨董屋が「古い」と感じる年齢と、世間一般の「古い」には、どうやら大きな隔たりがある。
平成初期のものを見て、
「懐かしいですね」
と言われる。
こちらは、
「え? これが?」
となる。
骨董屋にとって時間とは、一般人より少しだけ残酷である。
昭和生まれなら何とかなる。
平成になると急に難しくなる。
令和になると、もう玩具なのか電子機器なのか、我々には判別不能である。
お客様に、
「申し訳ありませんが、今回は買取が難しいものが多いですね」
とお伝えする。
するとお客様は、
「ああ、そうですか」
と、少し残念そうな顔をされた。
こちらも申し訳ない。
しかし、何でもかんでも「買いますよ」と言ってしまったら、それは商売ではなく収集癖である。
骨董屋が一番やってはいけないのは、人や物に情けをかけ過ぎることである。
物に情けをかけると、今度は物置に情けをかけることになる。
そのうち倉庫に情けをかけ、最後には自分の生活に情けをかけなければならなくなる。
そんな人生は御免である。
するとお客様が、
「ちょっと待ってください」
と言って、部屋の隅にある引き出しを開けた。
何かを探している。
我々は少しだけ期待した。
古いブリキ玩具か。
珍しいミニカーか。
あるいは昭和の鉄道模型か。
そして、お客様が取り出したものを見た。
人形だった。

しかも女の子の人形。
私は思わず声が出た。
「出た!」
相方を見る。
相方も人形を見る。
「リカちゃんだ」
そう。
リカちゃん人形である。
1967年に誕生して以来、日本の女の子たちの人生に寄り添い続けてきた、あのリカちゃんである。
我々が先ほどまで見ていた平成のミニカーや作りかけのプラモデルとは、何となく空気が違う。
私は手に取って、じっくり見る。
ただし、どうも初代ではない。
顔立ちも髪型も少し違う。
年代を確認すると、どうやら1980年代後期のものらしい。
「うーん、初代じゃないか」
心の中で少しだけ残念に思う。
骨董屋というのは勝手なものである。
目の前にちゃんとした商品があるのに、「もっと古ければ」と欲を出す。
人間というのは、手に入らないものほど欲しくなる。
骨董屋など、その欲望を商売にしているようなところがある。
ところが、よく見ると衣装が普通ではない。
リカちゃんが制服のようなものを着ている。
調べてみると、全日空、つまりANAの客室乗務員をモチーフにした企画商品だった。
「これは面白い」
先ほどまでの空気が一変した。
人形そのものの年代だけではない。
企業とのコラボレーション。
航空会社。
当時の制服。
リカちゃん。
こういうものは、単なる「古い人形」ではなく、当時の社会や企業文化、広告、ファッションを一緒に背負っている。
つまり、人形が一体だけで飛んでいるのではない。
その背中に、時代そのものが乗っている。
リカちゃん、侮れない。
私は改めて人形を眺めた。
さっきまで部屋いっぱいに転がっていた玩具たちは、申し訳ないが今回はなかなか値段が付けにくい。
しかし、この一体だけは違った。
人形という小さな存在の中に、昭和から平成へ移り変わっていく時代の匂いがある。
航空会社の制服。
企業のノベルティー的な発想。
女の子の憧れ。
そして「リカちゃん」という、日本独特の着せ替え人形文化。
こうして見ると、玩具というのは実に不思議なものだ。
大人は「ただのおもちゃ」と言う。
子供は「宝物」と言う。
そして何十年か経つと、骨董屋が「これは資料性がありますね」と言い始める。
人間とは勝手なものである。
昨日まで子供部屋の隅に転がっていたものが、年月を経ると突然「文化資料」になる。
だったら我々自身も、もう少し長生きすれば文化財になるのだろうか。
いや、ならない。
骨董屋のオヤジが古くなっても、ただの古いオヤジである。
残念ながら値札は付かない。
ともあれ、今回の査定では、このリカちゃん人形にはしっかりと値段を付けることができた。
お客様にも査定金額をお伝えする。
「これなら買い取れます」
お客様の顔が少し明るくなった。
結局、今回買取が成立したのは、このリカちゃん一体だけだった。
部屋にはまだ大量のミニカー、鉄道模型、プラモデル、人形が残っている。
しかし、仕方がない。
骨董屋の仕事とは、何でも拾い上げることではない。
その中から、
「これは次の人へ渡す価値がある」
というものを探し出す仕事でもある。
我々はリカちゃんを大事に包み、部屋を後にした。
帰りの車の中で相方が言った。
「一体だけだったね」
私は答えた。
「一体でも売れればいいじゃない」
骨董屋の人生も似たようなものである。
百個持っていても値打ちがないこともあれば、一個だけで救われることもある。
大量にあることが価値なのではない。
最後に残る一つが何なのか。
それを見つけるのが我々の仕事なのだろう。
窓の外を見る。
福岡の空は、ほんの少し秋らしくなっている。
暑さもようやく退散の準備を始めたようだ。
もうすぐ彼岸。
暑さ寒さも彼岸まで。
そう願いたい。
そして、願わくば次の出張査定では、部屋いっぱいの平成玩具ではなく、誰かが押し入れの奥にしまい込んだ昭和の珍品でも出てきてほしい。
できれば箱付き。
できれば完品。
できれば由緒正しいもの。
……などと欲を言ってはいけない。
骨董屋だって、たまには現実を見るべきである。
帰宅してビールを一本開ければ、それだけで十分幸せなのだから。
今日の成果はリカちゃん一体。
しかし、その一体が空を飛ぶ。
全日空の制服を着て、半世紀近い時間を越えて、次の持ち主のところへ飛んでいく。
玩具は子供の夢だという。
なるほど。
では骨董屋は何なのだろう。
夢の跡を拾って歩く商売なのかもしれない。
今日もまた、我々はそんな夢の跡を一つ拾った。
さて、次はどんな夢が転がっているのやら。
相方と二人、また車を走らせる。
では、また。
買取品の詳細

◇この「リカちゃん人形」は1980年代の物でタカラと当時の全日空コラボのスチュワーデス企画限定品です。4代目リカちゃんの特徴である目の星が3個と横線が入ってあります。状態もとてもよくユニフォームも汚れはありませんしカバンやその中身なども揃っている美品です。シャツやパンプス、帽子などもきれいです。お顔もとても清楚で是非、昭和のコレクションとしてお求めください。

買取査定額


◇リカちゃん人形の買取査定額ですが製造年代、次に企画限定品かどうか、そして状態が良く箱があれば高価買取&できます。ご自宅に昭和のおもちゃが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、メーカー、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

初代リカちゃんハウス 500,000円
リカちゃんハウス牧美也子のイラスト付 400,000円
ツーテール 初代リカちゃん 250,000円
初代 Ladyリカちゃん 150,000円 他多数
リカちゃん人形とは?

1960年代の日本は、高度経済成長の真っただ中でした。
テレビが急速に家庭へ普及し、東京オリンピックを経て日本人の生活も大きく変化。団地や洋風住宅が増え、女性のファッションも大きく変わっていました。
1967年にはミニスカートが流行し、若者文化も急速に発展しています。そんな時代に登場したのがリカちゃんでした。公式の歴史資料でも、1967年の世相として「ミニスカート流行」「グループサウンズブーム」が挙げられています。
当時、日本で販売されていた女児向け人形には欧米的な顔立ちのものが多く、「日本の女の子が親しめる人形を」という発想から誕生したのがリカちゃんです。
リカちゃんの生みの親は、旧・株式会社タカラの創業者である佐藤安太氏です。
佐藤氏は少女漫画のヒロインに着想を得て、日本の女の子が「こんな女の子になりたい」と思えるような人形を目指しました。単に人形を作るのではなく、名前、年齢、家族、友達などの設定を与えたことも画期的でした。
つまりリカちゃんは、
「人形を売る」のではなく、「人形を中心とした物語と夢を売る」
という発想から生まれたわけです。
■初代リカちゃん――1967~1971年
記念すべき初代リカちゃんは、現在のリカちゃんと比べるとかなり小柄で華奢です。
身長は約21cm。少女漫画からそのまま飛び出してきたような、やや儚げで可愛らしい表情が特徴です。髪は栗毛色のカールヘアで、現在のリカちゃんよりも素朴な雰囲気があります。
また、初代のボディには現在とは違って「おへそ」があります。
この初代リカちゃんは、コレクターの世界ではさらに細かく分類されることがあります。製造時期によって顔の描き方や髪、ボディなどに微妙な違いがあり、箱や衣装、付属品まで揃ったものは資料性が高くなります。
そして初代リカちゃんと一緒に重要なのが「リカちゃんハウス」です。
人形だけでなく家、家具、洋服などを組み合わせることで、女の子は自分だけの生活世界を作ることができました。
これは後の「シルバニアファミリー」などにも通じる、日本の「ドールハウス型ごっこ遊び」の大きな流れを作ったといえるでしょう。
■2代目リカちゃん――1972~1981年
1972年になると、リカちゃんはモデルチェンジします。
この2代目は、現在の目で見ると非常に特徴が分かりやすい人形です。
最大の特徴の一つが目です。
初代では瞳の星が1つだったのに対し、2代目では星が3つになりました。また眉が細長くなり、鼻もやや高くなっています。髪には白いバラのヘアピンが使われ、さらに「マグネットシューズ」によって自立できるようになりました。
この時代は1970年代。
大阪万博が開催され、ファッションや音楽、テレビ文化が大きく変化した時代です。
リカちゃんの世界にも、こうした時代の雰囲気が反映されます。
ママ、パパ、友達などのキャラクターも増え、「リカちゃん一家」という世界観がどんどん広がっていきました。
■3代目リカちゃん――1982~1986年
1982年になると3代目が登場します。
髪は赤茶色のストレートロングヘアーとなり、顔は少し小さくなりました。そして表情も、それまでのやや儚げな雰囲気から、少し微笑んだような表情へと変化しています。
この時代の日本は、1980年代のバブル経済へ向かって社会が華やかになっていく時期です。
ファッションもカラフルになり、アイドル文化が盛んになりました。
リカちゃんもまた、その時代に合わせて、より現代的でおしゃれな少女へと変化していきます。
ただし3代目の販売期間は短く、1982年から1986年まで。したがって、歴代リカちゃんの中では比較的短命なモデルです。
■4代目リカちゃん――1987年から現在
1987年から登場したのが、現在まで続く4代目です。今回の買取品も同じく4代目です。
日本玩具博物館の資料でも、初代1967~1971年、2代目1972~1981年、3代目1982~1986年、4代目1987年~と整理されています。
4代目になると、顔立ちはより現代的になり、現在私たちが「リカちゃん」と聞いて思い浮かべる姿に近づきます。
そして重要なのは、4代目が単なる一つの固定モデルではないことです。
1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、そして令和と、それぞれの時代に合わせて髪型や衣装、メイク、ファッション、商品展開が変化してきました。
例えば1960年代のリカちゃんには、当時の少女漫画やミニスカート文化の影響が見られます。
1970年代になると、より華やかなファッションへ。
1980年代にはアイドルや都会的なファッション。
1990年代以降は、ファッションの多様化。
そして平成から令和になると、学校生活、職業、メイク、SNSなど、現代の少女たちが関心を持つものまで取り込んでいきます。
公式設定でも、現在のリカちゃんは5月3日生まれで、ファッションや旅行、SNSが趣味という人物像になっています。
これは1967年のリカちゃんには考えられなかった世界です。
最後に…付加価値を持つようになったのが、
- 初代リカちゃん
- 2代目・3代目などの旧型
- 発売当時の箱付き
- オリジナル衣装付き
- リカちゃんハウス
- 家族・友達シリーズ
- 限定品
- 地域限定・企業コラボ品(今回の買取品)
などです。
特に骨董・古玩具の世界では、「人形そのもの」だけでなく、箱、衣装、靴、バッグ、家具、説明書などが揃っているかが重要になります。
昔の玩具は子供が遊ぶものですから、箱などは捨てられてしまうことが多い。だからこそ、当時の状態を保ったものは資料としても面白いわけです。

■参考サイト
■その他の買取品目
★骨董品買取の福岡玄燈舎では古美術品の他、アンティークや掛軸、茶道具、書道具、絵画、仏像、勲章、中国陶磁、甲冑など多彩な骨董品を査定買取しております。お見積りだけでも構いませんのでお気軽にご相談ください。












































