
福岡市南区で蘭鉢を買取りました!

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◇福岡は九月に入ると、急に町全体がそわそわし始める。
蝉の声が少し遠のき、朝晩の風にほんの少しだけ「もう夏ではありませんよ」という顔をされる。とはいえ、昼間はまだ暑い。暦の上では秋でも、身体の上では立派な夏である。
そんな季節にやって来るのが、お彼岸だ。
仏壇を掃除したり、墓を磨いたり、親戚を迎える準備をしたり。人間というものは、季節の変わり目になると、先祖のことまで思い出す。普段は忘れていても、彼岸が近づけば「そういえば、うちの墓……」となるのだから、御先祖様もなかなか商売上手である。
そして、われわれ骨董屋も忙しくなる。
なにしろ年を越さなければならない。
骨董屋にとって九月、十月、十一月あたりは、いわば「冬を越すための食料を集める秋の熊」のような時期である。違うのは、熊は鮭を獲るが、われわれは茶碗や壺を追いかけることだ。
今回の買取依頼は、福岡市南区。
車を走らせ、お客様のお宅へ向かった。
「壺がたくさんあります」
事前にそう聞いていた。
骨董屋という商売をしていると、「たくさん」という言葉には警戒心が働く。
「たくさんあります」
この「たくさん」が、三個なのか三十個なのか三百個なのかで、人生が大きく変わる。
玄関を開けていただき、中へ通される。
そして私は見た。壺。壺。壺。壺。壺。
右を見ても壺。左を見ても壺。前にも壺、後ろにも壺。まるで壺の満員電車である。
「これは……」思わず言葉を失った。
いや、正確には言葉を失ったのではない。査定額を考えるための言葉が、頭の中から一斉に逃げていったのである。
とりあえず一つずつ拝見する。上野焼。小石原焼。 高取焼。
さすが福岡。地元の焼物がよく集まっている。これは良い。これは郷土愛に満ちた壺の館だ。
ところが、よく見ると無名のものが多い。箱がない。書付がない。作者も分からない。銘もない。
つまり、壺はあるが、値段の根拠がない。骨董品の世界は、実に世知辛い。
どれほど立派な形をしていても、「誰が作ったのか」「いつ頃のものなのか」「どこの窯なのか」が分からなければ、市場では急に無口になる。
壺本人は何も悪くない。何十年、何百年と黙ってそこにいるだけなのだ。
それなのに人間は、「あなた、誰?」と聞く。
そして答えられなければ、「じゃあ、今回は……」となる。
人間社会とたいして変わらない。
肩書きのない人間には厳しく、肩書きのある人間には妙に丁寧なのだから、壺の世界も人間の世界も、どうやら同じ仕組みで動いているらしい。
私は一つ一つ丁寧に拝見し、家主様に正直にお話しした。
「申し訳ありませんが、こちらはなかなかお値段を付けるのが難しいですね」
骨董屋にとって、この言葉は何度言っても慣れない。
査定という仕事は、値段を付ける仕事だと思われがちだが、実際には「値段を付けられない理由」を説明する仕事でもある。
家主様も少し残念そうではあったが、納得してくださった。
これで終わりかと思った。ところが「庭にも少しあります」と、案内された。
庭。骨董屋にとって「庭にもある」という言葉も、なかなか恐ろしい。
物置。蔵。押し入れ。庭。この四つには、しばしば第二次査定会場が潜んでいる。
庭へ出る。すると、そこには別世界が広がっていた。
蘭 蘭。蘭。そして万年青。鉢、鉢、鉢。
先ほどまでの「壺の館」が、今度は「植物鉢の王国」に姿を変えた。
どうやら家主様は、長年、蘭を育てておられたらしい。
植物好きというのは、実に奥深い。
一本の蘭を見るために鉢を選び、その鉢を置く台を選び、日当たりを考え、風通しを考え、水をやり、肥料をやる。
気が付けば庭が鉢だらけになる。
植物を育てていたはずが、いつの間にか「鉢を育てる生活」になっている。
人間とは、つくづく面白い生き物である。
その中に、ひときわ目を引く鉢があった。

豪華絢爛。
装飾も立派で、姿もいい。
「これは……」
私は、先ほどまで壺の査定で少々しょんぼりしていた目を、もう一度開いた。
蘭鉢。
しかも、骨董品、美術品として評価できそうなものがある。
庭の片隅に転がっていた。
いや、転がっていたという表現が悪い。
家主様にとっては大切な鉢なのだろう。
しかし骨董屋の目から見ると、これはまさに「転がり込んできた福」である。
数点ではあったが、きちんと査定すると、それなりの金額になった。
先ほどまで、「壺は難しいですね」言っていた私が、今度は、
「こちらはお値段になります」と言う。
人間の気分というものは、実に現金である。
いや、骨董屋なのだから、現金になってもらわなければ困る。
家主様もほっとされた様子だった。私もほっとした。
庭の蘭も、なんとなくほっとしているように見えた。
こうして無事に買取成立。
壺たちには少々申し訳ないが、今回は蘭鉢が救世主となった。
考えてみれば、骨董品というものは不思議なものだ。
家の中で何十年も大切にされてきたものが、査定の日になると「値段が付くもの」と「付かないもの」に分けられる。
持ち主にとっては、どれも思い出が詰まった大切な品だ。
しかし市場は、思い出には値札を付けてくれない。
これが骨董屋の悲しいところでもあり、面白いところでもある。
そして私たちは今日も、値札の付いていない思い出の山を訪ね歩く。
壺を見て、皿を見て、掛軸を見て、時には庭の蘭鉢まで見る。
何が宝で、何が宝でないのか。
それを決めるのは、時代であったり、作者であったり、市場であったりする。
けれど本当のところ、一番の宝は、持ち主が長い年月をかけて大切にしてきた「その時間」なのかもしれない。
もっとも、その「時間」は残念ながら買い取れない。
だから骨董屋は、せめて物だけでも次の誰かへ渡してやる。
そうしてまた、次の家へ向かう。
秋の福岡市内を走りながら、私は思う。
さて、次はどんな「館」が待っているのだろう。
壺の館か。 茶碗の館か。それとも、またしても鉢の館か。
骨董屋の秋は、まだ始まったばかりである。
ではまた、どこかの古い家の玄関先で。
買取品の詳細

◇この「蘭鉢」は中国風の柄付で龍や鳳凰が色彩豊かに描かれています。ぱっと見は七宝のような凹凸のある模様ですがハンドペイントによって描かれているようです。蘭鉢は結構、使用される頻度も高く傷や欠けなどのダメージが多いですが今回の蘭鉢には傷も少なく時代の割には状態が良い物でした。ありがとうございます。
買取査定額

◇蘭鉢の買取査定額もしくは評価額ですが時代や状態、そして絵柄、大きさなどのほか刻印がありましたらより高価買取できます。ご自宅に蘭鉢やおもとが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

金彩雲鶴紋盆栽鉢 箱付 京楽焼 500,000円
淺絳彩博古圖四方花盆・浅絳彩博古紋四方蘭鉢 300,000円
月之輪湧泉 山水染付 四方鉢 250,000円
李朝白磁透かし牡丹唐草文蘭鉢 150,000円 他多数
1.蘭鉢とは?
「蘭鉢(らんばち)」とは、文字通り蘭を植えるために作られた植木鉢のことです。ただし、日本の園芸文化における蘭鉢は、一般的な植木鉢とは少し性格が異なります。
とりわけ東洋蘭の世界では、蘭は単に美しい花を咲かせる植物としてではなく、葉姿、花、香り、株立ち、葉の斑などを総合的に鑑賞する「古典園芸植物」として扱われてきました。そのため、植物を引き立てる鉢もまた重要な鑑賞対象となりました。
日本東洋蘭協会は、東洋蘭を「比較的小型のシンビジューム属の蘭」とするとともに、それを蘭鉢に植え、一定の鑑賞基準に従って美術的作品に仕立てるものと説明しています。つまり、東洋蘭の世界では「蘭」と「蘭鉢」は切り離して考えにくい関係にあります。
また、蘭鉢は実用品としての機能も重要です。蘭は根の通気性や排水性を必要とするため、鉢の深さ、底穴、胴の形などにも意味があります。現代の栽培資料でも、蘭は根が長く伸びるため蘭鉢を使用することが紹介されています。
2.蘭文化の起源――中国から日本へ
東洋蘭の文化を考えるうえで、中国の影響は非常に大きなものがあります。
中国では古くから蘭、とくに春蘭・蕙蘭などが文人の精神文化と結びついてきました。蘭は幽玄な香り、清らかな姿から、君子や高潔な人格を象徴する植物として尊ばれました。
日本においても、中国文化や漢詩・書画などの影響を受けながら蘭の鑑賞文化が形成され、江戸時代になると園芸趣味の発達とともに、さまざまな植物を鉢で育てて鑑賞する文化が盛んになりました。
とくに日本独自の「古典園芸」の発展が、蘭鉢の成立に大きく関係しています。
江戸時代には富貴蘭、春蘭、寒蘭などの東洋蘭が愛好されるようになり、植物そのものだけではなく、それをどのような鉢に植えるかも重要になっていきました。
富貴蘭については、江戸時代からすでに栽培されていたことを示す資料があり、当時の図には現在とは異なる形態の鉢に植えられた姿が描かれています。また、江戸時代の園芸書には水苔やヘゴなどを利用した栽培方法につながる記述も確認されています。
3.江戸時代――蘭鉢が「器」として発達した時代
江戸時代は日本の園芸文化が大きく発展した時代です。
武士や町人の間で園芸が流行し、朝顔、菊、万年青、蘭など、さまざまな植物が競って栽培されました。こうした古典園芸の流行によって、植物を植える鉢にも工芸的な美しさが求められるようになります。
初期には中国から輸入された鉢や、他の用途の器が利用されたと考えられますが、次第に日本の陶工が園芸植物専用の鉢を製作するようになります。
京都では楽焼をはじめとする陶芸文化が発達し、蘭鉢や菖蒲鉢なども作られたとされています。江戸時代初期から蘭鉢が存在したことを示す資料もあります。
さらに江戸後期になると京焼が隆盛し、奥田頴川、青木木米、欽古堂亀祐などの名工が活躍します。茶道具を中心に発展した京焼の高度な装飾技術は、やがて植木鉢の世界にも影響を与えました。
その結果、蘭鉢には、
- 瑠璃釉
- 青磁
- 白釉
- 灰釉
- 赤絵
- 染付
- 金襴手
- 色絵
など、さまざまな技法が取り入れられていきます。
つまり蘭鉢は「植物を植えるための器」から、「植物を引き立てる工芸品」へと発展していったのです。
4.蘭鉢と万年青鉢
蘭鉢の歴史を語るうえで、万年青(おもと)鉢との関係は非常に重要です。
江戸時代から近代にかけて、万年青と蘭はともに日本の古典園芸を代表する植物でした。そのため、両者に使われる鉢にも共通する意匠が見られます。
特に愛好家の間では、鉢の足や胴、縁、釉薬、絵付けなどが細かく鑑賞されます。
鉢の形としては丸鉢、六角鉢、八角鉢、長方鉢などがあり、脚部を持つもの、胴に浮彫や透かし彫りを施したもの、絵付けをしたものなど、多種多様です。
古い植木鉢の資料を見ると、瀬戸・美濃地方などでも「蘭鉢」と呼ばれる灰釉の鉢が作られていたことが確認できます。豊島区の染井遺跡調査では、江戸から近代にかけての植木鉢資料の中に「灰釉蘭鉢」が含まれていることが紹介されています。
5.明治以降――蘭鉢が全国に広がる
明治時代になると、園芸文化はさらに発展します。
東京を中心として植木屋や園芸業者が増え、さまざまな園芸植物が商品として流通するようになります。また、近代的な陶磁器産業の発展によって、瀬戸、常滑、三河、京都など各地で植木鉢が生産されるようになりました。
愛知県碧南市の西端地区も、こうした蘭鉢の産地の一つです。碧南市の資料によれば、西端地区では「剛珍焼」と呼ばれる焼き物を受け継ぐ形で、万年青鉢や蘭鉢が焼かれ、全国有数の産地となった時期がありました。
また、常滑焼なども蘭栽培用の鉢に利用されました。1950年代の植木鉢に関する研究資料にも「常滑焼蘭鉢」が登場しており、蘭鉢が単なる趣味の器ではなく、園芸産業の一部として発展していたことが分かります。
6.蘭鉢の代表的な産地
蘭鉢の世界では、特に次の地域が重要です。
京都
京都は茶道具や京焼の伝統を背景に、装飾性の高い蘭鉢を生み出しました。
楽焼をはじめ、瑠璃釉、色絵、金彩などを用いた華麗な鉢が作られています。植物そのものを引き立てながら、鉢単体でも鑑賞できる高度な工芸性が特徴です。
瀬戸・美濃
瀬戸・美濃地方は日本を代表する陶磁器産地であり、植木鉢の生産でも重要な役割を果たしました。
灰釉や鉄釉などを用いた比較的落ち着いた鉢から、装飾性のある鉢まで幅広い製品が作られています。染井遺跡からも瀬戸・美濃産とされる蘭鉢が出土しています。
三河・碧南
碧南市西端地区は、万年青鉢や蘭鉢の産地として知られました。
現在では往時ほどの生産量はありませんが、地域の陶芸史・園芸史を考えるうえで重要な存在です。
常滑
常滑焼は植木鉢の生産でも知られています。
特に実用性を重視した鉢が多く、蘭の栽培に必要な排水性・通気性を備えた鉢として利用されてきました。
7.代表的な蘭鉢の種類と意匠
蘭鉢の魅力は、形と装飾の多様さにあります。
丸鉢は最も基本的な形の一つですが、六角、八角など多角形の鉢もあります。
また、鉢の底部に脚を設けた「足付き」のものも多く見られます。脚には単なる装飾以上の意味があり、鉢を持ち上げて風通しを確保するとともに、器全体の姿を美しく見せる効果があります。
文様では、唐草、菊、梅、竹、蘭、山水など、東洋的な伝統文様が多く用いられます。
特に蘭そのものを描いた蘭鉢は、植物と器が同じ主題を共有するため、非常に趣のある組み合わせになります。
8.代表作家――平安東福寺
近代の蘭鉢・盆器の世界を語るうえで、まず名前が挙げられるのが「平安東福寺」です。
平安東福寺、本名・水野喜三郎(1890~1970)は、盆器の世界では極めて著名な作家です。
陶芸界全体では必ずしも有名な作家ではありませんでしたが、盆栽・盆器の世界では非常に高い評価を受けています。
昭和4~5年頃から盆栽趣味を生かして鉢作りを専門とするようになり、その後約40年間にわたって作品を制作しました。
東福寺の鉢は、器形や釉薬の種類が非常に豊富で、単独で鑑賞しても魅力がありますが、「盆栽を植えたときに美しく見える」という実用性も大きな特徴です。生涯に数万点に及ぶ鉢を世に送り出したともされています。
東福寺の代表的な作例としては、瑠璃釉丸鉢などが知られています。
ただし、ここで注意したいのは、東福寺は一般には「盆栽鉢」の作家として知られる点です。蘭鉢だけを専門とした作家というより、盆器全般の中で蘭鉢にも関わる重要作家と考える方が適切でしょう。
9.蘭鉢の作家――千野之雅
現代の蘭鉢作家としては、千野之雅(ちの・ゆきまさ)が挙げられます。
千野氏は1967年横浜生まれで、東京造形大学を卒業後、丹波立杭の市野雅彦氏に師事し、1999年に独立しました。
もともとは茶道具などを制作していましたが、細かな細工物や透かし彫り、象嵌などへの関心から、趣味として富貴蘭鉢を制作するようになり、やがて本格的に蘭鉢を手がけるようになりました。
千野氏の作品には、富貴蘭鉢を中心として、透かしや彫刻的な装飾を生かしたものがあります。現代の蘭鉢が、単なる園芸用品ではなく、作家の個性を表現する陶芸作品として成立していることを示す好例です。
10.代表作品として見る蘭鉢
蘭鉢は、盆栽鉢のように「この一本が日本を代表する国宝級の蘭鉢」という形で整理されている分野ではありません。
むしろ、
「誰が作ったか」
「どの窯で焼かれたか」
「いつ頃のものか」
「釉薬や絵付けは何か」
「どのような蘭を植えるためのものか」
という複数の要素を組み合わせて評価する世界です。
代表的な作品群としては、
・江戸期の楽焼蘭鉢
・京焼系の蘭鉢
・瀬戸・美濃系の灰釉蘭鉢
・常滑焼の実用蘭鉢
・三河・碧南地方の蘭鉢
・近代の富貴蘭鉢
・平安東福寺などによる盆器
・現代作家による富貴蘭鉢
などを挙げることができます。
また、沈壽官窯にも盆器作品があり、特に昭和49年の皇居の盆栽展に関連して十二代沈壽官が献上した鉢群が知られています。同窯には特注と思われる蘭鉢も残されており、白薩摩の美しい地肌を生かした作品が確認されています。
11.蘭鉢の美しさとは何か
蘭鉢の最大の魅力は、「器だけを見る美」と「植物を入れて完成する美」の両方を持っていることです。
例えば華やかな絵付け鉢に、派手な花の蘭を植えてしまうと、互いに主張しすぎることがあります。
逆に、静かな青磁や瑠璃釉の鉢に、葉姿の美しい春蘭を植えると、鉢と植物が互いを引き立て合います。
これは茶道具にも通じる日本的な美意識です。
器そのものが主役なのではなく、植物と器、さらに置かれる空間まで含めて一つの景色を作る。
そのため蘭鉢を見るときには、「鉢がきれいか」だけでなく、「どの蘭を植えたら最も美しいか」という視点が重要になります。


■参考サイト
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