
福岡市早良区でボヘミアガラスを買取りました!

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◇ガラスの花瓶は、黙って値段を知っていた
――福岡市早良区、昭和の古家にて
そろり、そろりと晩秋がやって来た。
福岡の街も、いつの間にやら秋の顔をしている。街路樹の葉は赤や黄に色づき、風が吹けば、枯葉が道路を滑っていく。まるで、人生の請求書を受け取った年寄りが、見なかったことにして足早に立ち去るようである。
木の葉は散る。人は老いる。家は古くなる。そして、使わなくなった品物は、押し入れの奥で静かに出番を待つ。
もっとも、出番を待っているからといって、必ずしも大金に化けるとは限らない。そこが世の中の難しいところである。
さて、そんな秋のある日、骨董品買取の依頼が舞い込んだ。
場所は福岡市早良区。昭和の匂いをたっぷりと残した古家である。
昭和という時代は、なかなかしぶとい。
テレビも冷蔵庫も洗濯機も、すでに現代の暮らしに追い抜かれたはずなのに、食器棚の中や押し入れの隅には、いまだに昭和が居座っている。しかも、家賃を払う気配は一向にない。
玄関をくぐると、そこにはガラス食器、レトロな置物、昔懐かしい雑貨などが、あれやこれやと並んでいた。
おお、これはなかなか面白そうではないか。
骨董屋という商売は、品物を見る前から期待してはいけない。期待すると、たいてい裏切られる。かといって、何も期待しなければ、仕事に出かける楽しみがなくなる。
つまり、期待はするが、期待していない顔をする。
これが長年この商売を続けるための、ひとつの処世術である。
さっそく品物を拝見する。
まず目に入ったのは、昭和四十年代あたりのガラスコップだった。
おお、懐かしい。
透明なガラスの向こうには、かつての日本の食卓が透けて見える。麦茶、カルピス、冷やしたラムネ。夏休みの午後、扇風機が首を振り、テレビからは野球中継が流れていた。宿題はまだ終わっていない。だが、そんなことは今はどうでもよかった。
コップにはヒマワリの図柄があった。
太陽に向かって咲く花。明るく、元気で、いかにも昭和らしい。あの頃のデザインには、今のように小難しい説明が必要なかった。
ヒマワリはヒマワリ。花は花。コップはコップ。
見れば分かる。
最近の世の中は、何にでも横文字の名前をつけたがる。昔なら単なるガラスのコップだったものが、今では「ヴィンテージ・テーブルウェア」などと呼ばれる。呼び名が立派になるほど、こちらの財布も立派になってくれればありがたいのだが、どうもそういう仕組みにはなっていないらしい。
さらに、原色を大胆に使った水指や調味料入れもあった。
赤、青、黄色。
目が覚めるような色である。
今どきのインテリア雑誌に登場する、生成りだの、くすみカラーだの、北欧風だのという、どこか申し訳なさそうな色合いとは大違いだ。
昭和の色は遠慮しない。
赤なら赤。黄色なら黄色。そこに迷いはない。
調味料入れにしても、食卓の片隅で堂々としている。醤油を入れるために生まれたのに、色彩だけなら現代美術の展覧会に出品してもおかしくない。いや、出品したところで、審査員が醤油差しだと気づくかどうかは分からない。
そんなことを考えながら、一つひとつ手に取って拝見した。
骨董品では決してないが懐かしい品物というのは、見ているだけで楽しい。
しかし、骨董屋の商売は、懐かしさだけでは成り立たない。
こちらが「いやあ、いいですねえ」と言ったところで、品物の値段が自動的に上がるわけではないのである。
ましてや、「子どもの頃、うちにもありましたよ」と感慨にふけっている間に、買取金額が増えるという便利な制度もない。
思い出は無料。
骨董の査定は現実。
これがなかなか厳しい。
ひと通り拝見したが、残念ながら、金額を大きくはずめる品物は少なかった。
もちろん、品物が悪いわけではない。長い年月を経て、持ち主の暮らしを支え、家族の食卓を彩ってきたものばかりだ。
ただ、世の中には「古いもの」と「高いもの」という、似ているようでまるで違う二種類のものがある。
この二つを同じだと思うと、骨董屋は毎日が大入り満員の大金持ちになってしまう。
ところが現実は、そう甘くない。
古ければ高いというのなら、私の古びた靴も相当な値段になるはずだ。長年働いてきた私自身など、文化財に指定されてもよさそうなものである。
しかし、どちらも今のところ、その気配はない。
さて、ほかにも何かないものか。
家の中を見渡し、棚の上や隅の方にも目を配る。
骨董屋の目というのは、妙なものである。人様の家に入ると、家具の配置よりも、その上に置かれた品物が気になる。立派なソファーがあっても、その横の小さな箱に目が行く。高級そうな絵画より、押し入れに眠っている古い道具や骨董品じみた品物のほうが気になる。
世間の人が見ているものと、こちらが見ているものは、どうも違うらしい。
しかし、今回はどうにも見当たらない。
あちらを見ても、こちらを見ても、懐かしさはあっても、商売の神様が微笑んでくれそうなものがない。
神様も忙しいのだろう。
最近は人手不足だというから、骨董品の神様まで兼業しているのかもしれない。
そろそろ諦めようか。
そう思いかけたとき、ふと目に留まったものがあった。
部屋の片隅に置かれた、一つの化粧箱。
特別に大きいわけでもない。金色の文字が躍っているわけでもない。これ見よがしに高級感を振りまいているわけでもなかった。
ただ、きちんと箱に収まっていた。
箱というものは不思議である。
中身が何であれ、箱に入っているだけで、何となく大切なものに見える。反対に、どんなに高価な品物でも、段ボールに無造作に入っていれば、引っ越し荷物の一つにしか見えない。
世の中、見た目が大切だということだろう。
もっとも、人間の場合は、立派な箱に入っているからといって、中身まで保証されるわけではない。
さて、その箱を開けてみた。
中には、ガラスの花瓶が一つ。
おや。
手に取って眺める。
透明感、色合い、形の美しさ。光を受けたガラスの表面が、静かに輝いている。
どこかで見たような気がする。
いや、これは。
「ボヘミアガラス」だ。

思わず、心の中で小さく声が出た。
さっきまで、ヒマワリのコップに昭和の思い出を重ねていた私の目が、急に商売人の目に戻る。
人間というものは現金なものである。
つい先ほどまで、どの品物にも懐かしいですねえと、穏やかな顔をしていたのに、値のつきそうな花瓶を見つけた途端、背筋が少し伸びる。
我ながら、分かりやすい。
だが、これも仕事である。

ボヘミアガラスは、ヨーロッパのガラス工芸を代表する存在だ。現在のチェコ共和国にあたる地域で長い歴史を持ち、透明度の高いクリスタルガラスや精緻なカット、繊細な装飾で知られている。
長い年月をかけて職人たちが磨き上げてきた技術。
光を受けて生まれる輝き。
そして、箱に入れられ、誰かの家で大切に保管されてきた時間。
ガラスというものは、割れれば終わりである。
それなのに、何十年も無事に残り、こうして私の前に現れた。
花瓶もなかなか運がいい。
いや、運がよかったのは私の方か。
もちろん、ボヘミアガラスなら何でも高価というわけではない。状態や大きさ、装飾、メーカー、需要などによって評価は変わる。
そこは骨董屋として、きちんと見極めなければならない。
しかし、今回の花瓶は単体でも十分に値段をつけられる品物だった。
ようやく、商売の神様がこちらを向いてくれたようである。
もっとも、神様が向いてくれたのか、私がようやく神様のいる方向を見たのか、そのあたりは定かではない。
ともあれ、この花瓶をきっかけに、ほかのアンティークな品物もまとめて買い取らせていただくことになった。
ありがたいことである。
査定というものは、時として不思議な結果を生む。
たくさん並んでいるものが、必ずしも高く評価されるとは限らない。逆に、部屋の片隅にひっそりと置かれた一品が、仕事全体を支えてくれることもある。
人生も似たようなものかもしれない。
大勢の人が集まって賑やかに騒いでいても、いざというときに頼りになるのは、隅っこで黙っていた一人だったりする。
品物も人間も、見た目だけでは分からない。
だからこそ、よく見ることが大切なのだろう。
もっとも、よく見たからといって、必ずお宝に出会えるわけではない。毎日が開運番組のように進むのなら、こちらも苦労はしないのである。
こうして、福岡市早良区の昭和の古家での買取は無事に終了した。
ヒマワリのコップは、昭和の夏を思い出させてくれた。
原色の水指や調味料入れは、あの時代の遠慮のない色彩を思い出させてくれた。
そして、化粧箱に収まったボヘミアガラスの花瓶は、骨董屋にとって何よりありがたい現実を思い出させてくれた。
思い出だけでは、飯は食えない。
しかし、思い出の中に、値打ちのあるものが眠っていることもある。
この商売は、その両方を見つける仕事なのかもしれない。
家を後にすると、秋の風が吹いていた。
道路には枯葉が舞い、街路樹の枝も少し寂しくなっている。
枯葉は一枚、また一枚と地面に落ちていく。
かつて木に付いていた頃には、誰もその一枚一枚を気に留めなかっただろう。だが、落ち葉が積もれば、季節が変わったことに気づく。
人も品物も、いつかは役目を終える。
けれど、役目を終えたと思われていたものが、思いがけない場所で、もう一度誰かの目に留まることがある。
古い家には、古い家の時間が流れている。
その時間の中には、値段のつかない思い出もあれば、値段のつくガラスの花瓶もある。
できれば、どちらも大切にしたいものだ。
とはいえ、次の現場でも、化粧箱の中からボヘミアガラスが出てくるとは限らない。
次は箱を開けたら、使いかけの輪ゴムが三十年分、ということだって十分にあり得る。
それでも骨董屋は出かけていく。
どこかの家の片隅に、まだ誰にも見つかっていない骨董品やアンティーク品が眠っているかもしれないからだ。
お宝を探しているのか。
思い出を探しているのか。
それとも、明日の飯の種を探しているのか。
本人にも、よく分からない。
ただ一つ分かっているのは、古いものには、ときどき新しい値段がつくということだ。
そして、枯葉が舞う季節になっても、骨董屋の仕事はまだまだ終わらない。
ではまた、次の古家で。
今度はぜひ、段ボールの底からでも、商売の神様に顔を出していただきたいものである。
できれば、輪ゴムではなく、ガラスの花瓶を連れて。
それでは、また……。
買取品の詳細


◇今回の「ボヘミアガラス」は持ち手もある菓子器、もしくはフラワーベースです。模様は細かい切子でカットも深いガラスでした。箱はダメージがありますが本体は無傷で未使用品でした。透明感のある素晴らしいアンティークで当時の栞も付属です。
買取査定額

◇ボヘミアガラスの買取査定額はその立ち姿や色合いや状態、そして用途やガラスの模様の細かさや透明度、ほかは栞や共箱があればより高価買取&できます。ご自宅にアンティークのガラスが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
■過去の作品買取例

19世紀 ボヘミアガラス ウランガラス 赤被せ鹿文花瓶 200,000円
ボヘミアガラス Josef Janku グラヴィール花鳥文花瓶 100,000円
ボヘミアガラス 金彩ぶどう文蓋付壺 90,000円
19世紀 ボヘミアガラス 細密カット金彩絵付け花瓶 70,000円 他多数
ボヘミアガラスとは?
ボヘミアガラス(Bohemian Glass)は、現在のチェコ共和国西部にあたるボヘミア地方を中心に発展したガラス工芸です。透明度の高いクリスタルガラス、光を美しく反射する精緻なカット、繊細な彫刻、鮮やかな色彩などを特徴とし、ヨーロッパを代表するガラス芸術の一つとして知られています。
その歴史は中世に始まり、王侯貴族のための豪華な器から、教会のステンドグラス、宮殿を飾るシャンデリア、近代的な美術工芸品、そして日常生活で使われるグラスに至るまで、幅広い作品を生み出してきました。単なる食器や装飾品ではなく、科学技術、職人の技能、時代ごとの美意識が融合した文化的な遺産といえます。
2.発祥――中世の森林とガラス職人
ボヘミア地方でガラス製造が発展した背景には、豊かな森林と自然資源がありました。ガラスを溶かす炉には大量の燃料が必要であり、森林に恵まれた山岳地域は、初期のガラス工房を設けるのに適した環境だったのです。また、ガラスの原料となる珪砂や、木灰などから得られるアルカリ成分も、製造技術を支える重要な要素でした。
この地域では、ケルト時代にまでさかのぼるガラス加工の痕跡が報告されていますが、現在のボヘミアガラスにつながる工房生産が発達するのは、主として13〜14世紀以降です。北ボヘミアの山岳地帯などに工房が設けられ、容器やゴブレット、教会建築用のガラスなどが生産されました。
14世紀には、神聖ローマ皇帝でありボヘミア王でもあったカレル4世の時代に、プラハが政治・文化の中心として発展しました。教会や宮廷の需要は、ガラス工芸の発展を後押ししました。
当時のガラスは、現代の無色透明なクリスタルガラスとは異なり、黄味や緑味を帯びるものもありました。しかし、職人たちは原料の配合や炉の温度、成形方法を改良しながら、品質の向上を目指していきました。こうした中世以来の経験が、後世の高度なガラス技術の土台となったのです。
3.16〜18世紀――ボヘミア・クリスタルの誕生
16世紀になると、ボヘミアのガラス産業はさらに発展します。ルネサンス文化の広がりとともに、ガラスは実用品であるだけでなく、権力や富、教養を象徴する美術工芸品となりました。
特に重要なのが、16世紀末から17世紀初頭にかけてプラハで宮廷文化を花開かせた神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552〜1612年)です。彼は美術品や自然科学、錬金術などに強い関心を持ち、宮廷には多くの芸術家や工芸職人が集まりました。この環境は、ガラス工芸を含む多様な技術の交流を促しました。
ボヘミアガラスの歴史を大きく変えたのは、17世紀末から18世紀初頭にかけて確立された、カリウムを多く含む硬質のガラスです。一般に「ボヘミア・クリスタル」と呼ばれるこのガラスは、硬く、研磨やカットに適していました。
ここでいう「クリスタル」は、必ずしも鉛を含むことを意味しません。ボヘミアの伝統的なクリスタルガラスは、カリウムを用いた組成を特徴とし、鉛を含むイギリス系のクリスタルガラスとは異なる発展を遂げました。
硬質ガラスの登場によって、ガラス表面を深く削り、複雑な幾何学模様や花模様を施す技術が飛躍的に発達します。カット面が光を反射し、きらめきを生み出す表現は、ボヘミアガラスを象徴する様式となりました。さらに、人物像や紋章、神話的な場面などを彫り込むエングレーヴィングも盛んになり、18世紀にはバロック様式の豪華な装飾ガラスがヨーロッパ各地で高く評価されました。
この時代に、ボヘミアはヴェネツィアなどのガラス産地と並ぶ、ヨーロッパ有数のガラス工芸の中心地へと成長していきました。
4.19世紀――世界へ広がる黄金時代
19世紀は、ボヘミアガラスが国際的な名声を確立した重要な時代です。産業革命によって製造技術や流通が発展し、ヨーロッパの中産階級にも装飾性の高いガラス製品が広がりました。ボヘミアの工房は、手仕事の伝統を守りながら、世界各地の市場に対応するようになります。
この時代には、ビーダーマイヤー様式、ネオ・ルネサンス様式、ロココ復興様式など、さまざまな美術様式がガラス製品に取り入れられました。色ガラスを重ねた器、金彩や絵付けを施した花瓶、複雑なカットを施したゴブレットなどが人気を集めます。
代表的な工房の一つが、1712年に創業したとされるハラフ(Harrachov)ガラス工房です。ボヘミア北部の山岳地帯に位置し、色ガラス、カットガラス、彫刻ガラスなどを発展させました。19世紀にはロンドンをはじめとする万国博覧会にも出品し、国際的な評価を獲得します。
また、19世紀半ば以降、ボヘミアではガラス工芸の専門教育も整備されていきました。1856年にはカメニツキー・シェノフとノヴィー・ボルにガラス工芸の専門学校が設立され、職人技術とデザイン教育の継承に大きな役割を果たしました。
こうした教育機関の存在は、ガラスを単なる工業製品ではなく、芸術として発展させる基盤となりました。
5.19世紀後半〜20世紀初頭――モーゼルとアール・ヌーヴォー
ボヘミアガラスを代表するブランドとして、まず挙げられるのがモーゼル(Moser)です。
1857年、ガラス彫刻家であり実業家でもあったルートヴィヒ・モーゼル(Ludwig Moser、1833〜1916年)が、温泉保養地カルロヴィ・ヴァリに工房と店舗を開いたことから始まりました。当初は既存のガラス製品への彫刻や装飾を手がけていましたが、1892年にはガラス生地の製造から装飾までを一貫して行う体制を整えました。
モーゼルの特色は、精緻なカットや彫刻に加え、色彩そのものを芸術表現の中心に据えた点にあります。透明なガラスだけでなく、深い赤、緑、紫、琥珀色など、宝石を思わせる色ガラスを用いて、華やかでありながら洗練された作品を生み出しました。
1900年のパリ万国博覧会前後には、モーゼルの名声がさらに高まり、王侯貴族や各国の上流階級に愛用されました。英国王エドワード7世の宮廷御用達となったことも、その国際的な評価を示しています。
同時期には、アール・ヌーヴォーの影響も強まりました。植物の茎や花、流れるような曲線など、自然の造形を取り入れたデザインが流行し、ガラス工芸にも新たな表現が生まれます。
ハラフの工房では、画家アルフォンス・ミュシャ(Alfons Mucha)や建築家ヤン・コチェラ(Jan Kotěra)らとの協働も行われました。従来の幾何学的なカット中心の装飾に加え、花や葉を主題とする有機的なデザインが発展したのです。
6.20世紀――アール・デコから現代デザインへ
20世紀に入ると、ボヘミアガラスはアール・デコやモダニズムの影響を受け、表現の幅を広げました。アール・デコでは、幾何学的な形態、直線的な構成、明快な色彩が好まれ、ガラスにも従来とは異なる造形美が求められました。
モーゼルでは、ルートヴィヒの後を継いだレオ・モーゼルらが色ガラスの開発を進めました。1920年代には、アレキサンドライトやトパーズなど、宝石の名を冠した独特の色ガラスが登場します。さらに1940年、建築家・デザイナーのヴォルフガング・フォン・ヴェルジンが手がけたカット花瓶が、ミラノ・トリエンナーレでグランプリを受賞しました。
一方、第二次世界大戦後には、チェコスロヴァキアの政治・経済体制の変化に伴い、ガラス工場の国有化など大きな転換が起こります。大量生産される実用ガラスが広がる一方、専門学校や工房では芸術性の高い作品づくりも継続されました。
特に20世紀後半には、ガラスを器や装飾品としてだけでなく、彫刻や立体芸術の素材として捉える動きが強まりました。透明性、光の屈折、色彩、物質としての重さなど、ガラス固有の性質を生かした抽象的な作品が制作されるようになります。
現在のチェコでは、伝統的な手吹きやカットの技術を守る工房と、現代美術やデザインを追求する作家たちが共存しています。ボヘミアガラスは、歴史的な様式を保存するだけでなく、新しい造形表現を生み出す分野としても発展し続けています。
7.代表的な作品・作品群
ボヘミアガラスには、絵画のように誰もが知る単一の代表作があるというより、特定の技法や工房、時代様式を象徴する作品群があります。代表例を挙げると、次のようになります。
① バロック様式の彫刻グラス
17〜18世紀
硬質のクリスタルガラスに、人物、紋章、宗教的場面、神話などを彫り込んだ作品です。細密なエングレーヴィングと、ガラスの透明感を組み合わせた表現に特徴があります。宮廷文化や宗教文化を背景に発展した、ボヘミアガラスの古典的な傑作群です。
② 19世紀の色被せガラス・カット花瓶
透明なガラスに色ガラスを重ね、表面を削って下層の色を見せる技法が代表的です。赤や青、緑などの色と、幾何学的なカットによる光の反射が見どころです。ボヘミアの装飾ガラスが国際市場で人気を博したことを象徴する作品群といえます。
③ モーゼルの「Pope」シリーズ
1923年以降
レオ・モーゼルがローマ教皇ピウス11世に献呈した、教皇の紋章入りのグラスセットに由来します。彫刻の精密さと、格式ある意匠が特徴です。モーゼルの歴史と、贈答品・宮廷文化におけるガラス工芸の役割を伝える作品群です。
④ モーゼルの貴石ガラス
1920年代
宝石を思わせる色調を持つガラス作品です。アレキサンドライトやトパーズなどの名称で知られる色ガラスは、素材の色彩とカットによる光の効果を組み合わせ、ガラスを宝石のような存在へと高めました。
8.代表的な作家・工芸家・ブランド
ボヘミアガラスの歴史を理解するには、個人作家だけでなく、技術を受け継いできた工房やデザイナーにも注目することが大切です。
モーゼル社の創業者。ガラス彫刻家としての技術と経営手腕を兼ね備え、カルロヴィ・ヴァリを拠点に高級ガラスのブランドを築きました。19世紀末から20世紀初頭のボヘミアガラスを語るうえで欠かせない人物です。
〇レオ・モーゼル(Leo Moser)
創業者の後継世代にあたり、モーゼルの技術・芸術面を担いました。色ガラスの開発に力を注ぎ、伝統的なカット技術と近代的なデザインを結びつけました。貴石ガラスや「Pope」シリーズの歴史とも深く関わっています。
〇アルフォンス・ミュシャ(1860〜1939年)
チェコ出身の画家・デザイナーで、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家です。女性像や植物の曲線を生かした装飾で知られ、ボヘミアのガラス工芸との協働を通じて、ガラスに自然主義的なデザインを取り入れる動きにも関わりました。ガラス専門の作家というより、他分野との交流を示す重要人物です。
〇ヴォルフガング・フォン・ヴェルジン(1882〜1976年)
建築家・デザイナー。モーゼルの花瓶のデザインを手がけ、1940年のミラノ・トリエンナーレでのグランプリ受賞につながりました。ガラスを単なる装飾品ではなく、形態と機能を備えた近代デザインとして捉えた人物の一人です。
また、個人作家と並んで重要なのが、次の工房・ブランドです。
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ハラフ(Harrachov Glassworks):1712年創業とされる歴史ある工房。色ガラスやカットガラス、アール・ヌーヴォー様式の作品で知られます。
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モーゼル(Moser):1857年創業。色彩、彫刻、カットを組み合わせた高級クリスタルで国際的に評価されています。
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リュクル(Rückl):1846年に始まる家系の伝統を背景に、精緻なカットクリスタルを得意とするブランドです。


■参考サイト
■その他の買取品目
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