福岡春日市で里帰り九谷焼を買取りました/骨董品の買取は福岡玄燈舎
福岡春日市で里帰り九谷焼を買取りました

福岡春日市で九谷焼を買取りました!

 

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◇骨董屋、神々しい九谷焼にひれ伏すの巻

もうすぐ十一月だというのに、福岡はまだ昼間になると三十度。朝晩は十度まで冷え込む。体にしてみれば、真夏と晩秋が同じ屋根の下で同居しているようなものである。昼間は半袖、夜は冬支度。いったい、どの季節の服を着ればいいのか。天気予報に聞いてみても、彼らは明日の天気さえ外すことがあるのだから、人生の衣替えまで面倒を見てくれるはずもない。

そんな気候のなかでも、ありがたいことに骨董品の買取依頼は舞い込んでくる。

世間では物価高だ、増税だ、老後が不安だと、何かにつけて金の心配ばかりしている。政治家は国民の暮らしをよくすると言い、国民は政治家の暮らしばかりよくなっているように見えると言う。まあ、どちらの言い分もそれなりにもっともらしい。

そんな世の中で、私の仕事は人様の家に眠っている骨董品を拝見し、それに値段をつけることだ。

人間の値段はつけられないが、古いお盆には値段をつける。人間の価値は数字では測れないと言いながら、骨董品の価値は数字で示さなければ商売にならない。まことに矛盾した仕事である。

本日の出張査定先は、福岡県春日市。

車を走らせ、指定されたお宅へ向かう。道中、車内の温度計は外気の暑さを知らせているが、日陰に入れば肌寒い。まるで日本経済のように、景気がいいのか悪いのか、さっぱりわからない。

到着してご挨拶を済ませると、部屋には品物がきちんと並べられていた。

輪島塗のお盆、お椀、菓子器。いわゆる塗り物が中心である。

家主さんは金沢のご出身とのこと。なるほど、北陸の文化が福岡の一角に引っ越してきたような品揃えだ。輪島塗に九谷焼。どちらも日本が世界に誇る工芸品である。

ただし、世界に誇れることと、高く買い取れることは、必ずしも同じではない。

ここを勘違いすると、骨董屋とお客様のあいだに、太平洋ほどの溝が生まれる。

「これは昔、ずいぶん高かったんですよ」

骨董品査定の現場で、よく耳にする言葉である。

もちろん、昔は高かったのだろう。百貨店の包装紙に包まれ、立派な箱に入り、贈答品として家にやってきたのかもしれない。買ったときには、さぞや家族の期待を一身に背負っていたに違いない。

ところが、品物というものは不思議なもので、買うときには値段がついているのに、売るときになると急に人格を失う。

買った値段は過去の話。売れる値段は現在の話。骨董屋は、その二つのあいだに立って、恨まれたり感謝されたりする商売なのである。

さて、まずは輪島塗から拝見する。

輪島塗の査定で大切なのは、塗りの状態、蒔絵の出来、そして作家の銘などだ。

傷はないか。漆の剥がれはないか。蒔絵はどれほど丁寧に施されているか。作者がわかるか。ひとつずつ確認していく。

品物の状態は悪くない。大切に使われ、保管されてきたことが伝わってくる。長い年月を経ても、きちんと手入れされている品物には、持ち主の暮らしぶりがにじみ出るものだ。

ところが、査定となると話は別である。

蒔絵は控えめ。作家銘による評価も大きくは見込めない。保存状態が良いことは立派だが、それだけで市場価格が跳ね上がるわけではない。

うーむ。

骨董屋の心の中では、そろばんが静かに動き始める。

品物に罪はない。持ち主にも罪はない。悪いのは、買ったときの値段と現在の相場が、まるで仲の悪い親戚のように顔を合わせようとしないことだ。

世の中には、使わなくなったものを「いつか価値が出るだろう」と大切に保管している人がいる。しかし、残念ながら、すべての古いものが値上がりするわけではない。

古いものがすべてお宝になるなら、我が家の押し入れにある正体不明の電気コードだって、あと百年もすれば国宝になっているはずだ。

そんなことを考えながら、輪島塗の査定を終える。

お次は九谷焼。

箱を開けるたび、何が出てくるかわからない。骨董の査定とは、さながら人生の福袋である。ただし、福袋と違って、中身が期待外れでも返品はできない。

そのなかに、八十吉の作品があった。

九谷焼を代表する作家の名を聞けば、期待も膨らむ。ところが、よく拝見すると、これは窯の製品であり、本人が手がけた作品ではない。

ここもまた、骨董品業界の面白いところである。

有名な名前がついているからといって、すべてが高額になるわけではない。作家本人の作品なのか、工房や窯の製品なのか。それを見極めるのも査定人の仕事だ。

世間ではブランドのロゴが大きいほど喜ばれることもあるが、骨董品の世界では、名前の大きさと値段の大きさが必ずしも比例しない。

人間社会も同じだろう。肩書きばかり立派でも中身が伴わない人もいれば、無名でも素晴らしい仕事をする人がいる。

もっとも、私自身がどちらに分類されるのかは、査定不能である。

そして、いよいよ最後の品物。

箱を開けた瞬間、私は思わず目を見張った。

そこに鎮座していたのは、豪華絢爛な里帰り九谷焼の茶器だった。

金襴手…

器面を彩る華麗な色絵、その上に惜しげもなく施された金彩。細部まで丁寧に描き込まれた文様。光を受けるたびに、金が静かに、しかし堂々と輝く。

なんという神々しさだろう。

先ほどまでの輪島塗の査定で、頭のなかのそろばんを慎ましく弾いていた私の目が、急に輝き始めた。

おお、これは!

図柄も豪華です/骨董品の買取は福岡玄燈舎
図柄も豪華です

骨董屋を長くやっていると、品物を見た瞬間に、何かが胸の奥で反応することがある。もちろん、そこで即座に値段を決めるわけではない。器形、絵付け、金彩、銘、保存状態。冷静に確認しなければならない。

だが、それでも心は躍る。

明治期、日本の工芸品が海を渡り、欧米の人々を魅了した時代があった。九谷焼もまた、海外の市場に向けて豪華な花瓶や飾皿、茶器などを生み出した。そうした品物の一部は海外で長く大切にされ、時を経て日本へ戻ってきた。

それが、いわゆる「里帰り九谷焼」である。

この茶器も、そうした歴史を思わせる華やかさを備えていた。

明治期の九谷の印があります/骨董品の買取は福岡玄燈舎
明治期の九谷の印があります

かつて海を渡った器が、長い年月の果てに福岡県春日市の一軒家にたどり着いている。なんとも不思議な話ではないか。

明治の職人が筆を走らせたとき、まさか百年以上後に、福岡の骨董屋が箱を開けて「おおっ」と声を上げるとは想像もしなかっただろう。

歴史というものは、案外、壮大なわりに結末が地味なのである。

戦争もあれば、万国博覧会もある。海外貿易もあれば、海を渡る船もある。そして最後は、私のような男が座卓の前で査定をする。

人類の歴史とは、ずいぶん長い寄り道をするものだ。

もちろん、感動だけでは商売にならない。

作品をじっくり確認し、相場や状態を踏まえて査定額をお伝えする。

今回の里帰り九谷焼は、かなりの評価となった。

先ほどの輪島塗とは、査定の数字に大きな差がついた。持ち主にしてみれば、同じように大切に保管していた品物である。だが、市場というものは、品物ごとにまったく違う顔を見せる。

人間の世界なら不公平だと騒ぎになるところだが、骨董品の世界では、それが相場という名の現実である。

お客様にもご納得いただき、里帰り九谷焼を含め、すべての品物を買い取らせていただくことになった。

ありがたいことである。

骨董屋にとって、買取成立は商売上の喜びだ。しかし、それだけではない。品物が次の持ち主へ渡り、再び誰かの目を楽しませる機会が生まれる。それもまた、この仕事の面白さだと思う。

家主さんが金沢から福岡へ移り住み、長い年月が過ぎた。その家に残されていた輪島塗や九谷焼が、今度はまた別の場所へ旅立っていく。

骨董は黙っている。

どこで作られ、誰が使い、どんな景色を見てきたのか。こちらが想像するしかない。

しかし、里帰り九谷の金彩を眺めていると、器そのものが何かを語っているような気もする。

「おい、骨董屋。そんなに喜んでいるが、私が海を渡っていた頃、お前はまだ影も形もなかっただろう」

なるほど、ごもっとも。

こちらはせいぜい数十年の人生だが、あちらは百年以上の旅をしてきた大先輩である。少しくらい頭を下げても罰は当たるまい。

それにしても、輪島塗のお盆やお椀は、保存状態が良くても思うような値段にならない。一方、箱の奥から現れた金襴手の茶器は、堂々たる査定額を獲得した。

世の中、見た目だけではわからないと言うが、骨董の世界では、見た目もまた大事なのである。

ただし、見た目が立派だからといって、値段まで立派とは限らない。そこを勘違いすると、骨董屋は一日じゅう夢を見ることになる。

さて、もうすぐ十一月。

昼間は三十度、朝晩は十度。季節は相変わらず落ち着かない。

政治も経済も天気も、どうにも先が読めない時代である。そんななか、今日も私は箱を開け、品物を眺め、値段をつける。

次はどんな家に呼ばれ、どんな骨董品や古美術品に出会うのだろうか。

お宝か、そうでないか。

それを決めるのは私の仕事だが、品物の人生まで決められるわけではない。

せめて次の持ち主には、大切にしてもらいたいものである。

それにしても、あの里帰り九谷。

いやあ、神々しかった。

骨董屋という商売、やめられませんな。

では、また……。

 

買取品の詳細

とても雅な図柄の古九谷です/九谷焼の買取は福岡玄燈舎
とても雅な図柄の古九谷です

◇この「九谷焼」は金、銀などの細かい模様の美しい茶器です。盛り上げられた色絵は欧州向けに作られていたようですね。時代は明治の輸出用だと思われます。古いですがひび割れや口元の割れなどは見受けられないとても古九谷でした。

買取査定額

とても細かい模様ですね/骨董の買取は福岡玄燈舎
とても細かい模様ですね

◇九谷焼の買取査定額もしくは評価額ですが工房や時代、図柄の面白さや豪華さとほかには作家の刻印などがあればより高価買取&できます。ご自宅に 九谷焼が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

まるで大名茶器ですね/茶器の買取は福岡玄燈舎
まるで大名茶器ですね

古九谷雲龍図大鉢  700,000円
赤絵細描 福島武山 香炉   600,000円
青手古九谷二兎図大皿  500,000円
矢羽紫陽花皿 角福 320,000円 他多数

里帰り九谷焼とは?

1. 里帰り九谷焼とは何か

明治期(1868〜1912年)の九谷焼を語るうえで、重要なテーマの一つが「里帰り九谷焼」です。これは一般に、明治時代を中心に日本で製作され、欧米など海外へ輸出されたのち、時代を経て日本へ戻ってきた九谷焼を指します。骨董品市場では「里帰り品」「輸出九谷」などの呼称も用いられます。

九谷焼は、現在の石川県南部を中心に発展した色絵磁器です。とりわけ明治期には、赤・緑・黄・紫・紺青などの鮮やかな上絵具に金彩を組み合わせ、花鳥、山水、人物、龍鳳、吉祥文様などを描いた豪華な作品が数多く生み出されました。

その背景には、明治政府が推進した殖産興業政策と、1873年のウィーン万国博覧会などを契機とする海外市場の拡大がありました。日本の工芸品は欧米で高く評価され、九谷焼も室内装飾用の大花瓶、香炉、飾皿、蓋物、酒器などを中心に輸出されました。

里帰り九谷焼の特徴は、単に古い九谷焼であるということではありません。海外の鑑賞者を意識した大きさ、華やかな装飾、金彩の多用、立体的な造形、そして日本の伝統的な絵画表現と輸出向けの意匠が融合している点にあります。

ただし、海外から戻ってきたという来歴と、作品そのものの様式は区別する必要があります。 明治期の輸出九谷焼に似た作品でも、国内向けに製作されたものや、後年の作品である場合があります。購入・研究にあたっては、箱書き、銘、共箱、旧蔵記録、輸出時のラベルなどの確認が大切です。

2. 明治期の主な窯元・工房と代表作品

明治九谷の特徴は、一つの窯で全工程を完結させるだけでなく、磁器の素地を作る職人、絵付けを専門とする工房、販売を担う商人が連携する生産体制が発達したことです。そのため、現代の感覚でいう「窯元」と「絵付け工房」は分けて考える必要があります。

① 九谷庄三の工房(寺井)

主な様式:庄三風・彩色金襴手

明治期の輸出九谷焼を代表する人物が、九谷庄三(1816〜1883年)です。現在の石川県能美市寺井町を拠点に活動し、従来の九谷焼の伝統的な色絵に、西洋から伝わった洋絵具の中間色や金彩を取り入れました。

庄三風の最大の特徴は、器面を複数の区画に分け、それぞれに花鳥、山水、人物、楼閣などを描き込む構成です。赤絵や古九谷風の色彩、金襴手の技法を組み合わせ、細部まで緻密に仕上げます。色数が多く、器面の余白が少ないため、華麗で密度の高い画面となります。

庄三は自らの工房で絵付け職人を育成し、需要の増加に対応できる生産体制を整えました。彼の様式は本人の作品にとどまらず、多くの職人や工房に継承され、輸出九谷の代表的なスタイルになりました。

代表作品・作品群

  • 色絵花鳥図大平鉢:能美市九谷焼美術館所蔵品として知られる庄三の作品。花鳥の描写と多彩な上絵付けを鑑賞できます。

  • 龍花卉文農耕図盤(1877年):九谷庄三の作例として紹介される大型の盤。龍や花卉、農耕図などの多様な図柄を一つの器面に展開した作品です。

里帰り品では、庄三本人の作と、庄三風を学んだ工房や門人による作品との区別が重要です。様式が似ているだけで、すべてを庄三本人の作と判断することはできません。

② 斎田道開・佐野窯系の工房

主な様式:赤絵細描・赤絵金彩

斎田道開(1796〜1868年)は、現在の能美市佐野町周辺で活動した名工です。明治期の輸出九谷が発展する以前から、赤絵を中心とした高度な絵付け技術と職人育成に力を注ぎました。

道開の系譜で重要なのは、細い赤線を用いて人物や文様を描き、その周囲を微細な幾何学模様や小紋で埋める技法です。さらに金彩を加えることで、繊細さと豪華さを両立させます。金を美しく発色させるための重ね焼きの技術も、佐野の赤絵の伝統を考えるうえで重要です。

佐野では、素地を作る窯と上絵付けを専門とする工房の分業が進みました。この仕組みは、明治期に大量の注文をこなしながら、緻密な装飾を施した製品を供給する基盤となりました。

代表作品・作品群

  • 赤絵細描人物文の鉢・大皿:人物を中心に細かな文様を配し、赤と金で器面を緻密に構成した作品群。

  • 赤絵金彩の花鳥文・吉祥文の器物:伝統的な吉祥図柄を、細い線と金彩で表現したもの。

赤絵系の作品は、派手な色彩よりも線描の細かさや構図の精緻さに見どころがあります。庄三風の作品と比較すると、赤を基調とした繊細な描写が際立つ点が特徴です。

③ 松山窯

主な様式:青手九谷

松山窯は、1848年に大聖寺藩の主導で現在の石川県加賀市松山町に開かれた窯です。明治期の輸出九谷を理解する際にも、古九谷や吉田屋窯の伝統を引き継いだ青手の系譜として注目されます。

青手とは、一般に緑・黄・紫・紺青などを中心に、器面を色彩豊かに塗り埋める九谷焼の様式です。ここでいう「青」は単に青色を意味するのではなく、緑色を中心とした色絵の系統を含みます。赤を多用する庄三風や赤絵細描とは異なり、面としての色彩と図柄の力強さが見どころです。

松山窯には、古九谷の再興を目指した技術者・粟生屋源右衛門が招かれ、青手九谷を中心に生産しました。その技術や人材は、その後の加賀地方の窯業にも影響を与えました。

代表作品・作品群

  • 青手花鳥文の鉢・大皿:緑や黄を主体とした色面に、花鳥や植物の文様を組み合わせた作品群。

  • 青手の山水文・幾何学文の器物:色の塗り分けと文様の配置により、重厚な画面を構成する作品。

松山窯については、個別作品の作者や年代を確認せずに、明治期の里帰り品と断定することは避けるべきです。松山窯の歴史的な位置づけと、現存作品の制作年代は分けて考える必要があります。

④ 九谷本窯・九谷陶器会社

主な様式:永楽風・金襴手

九谷本窯は、大聖寺藩が磁器生産を振興するなかで整備した窯で、京都から招かれた永楽和全(1823〜1896年)が大きな役割を果たしました。和全は京焼の技法を九谷に伝え、とくに金襴手の様式を発展させました。

金襴手は、赤などの色で器面を彩り、その上に金彩で文様を施す豪華な装飾技法です。永楽風では、赤地に金で描く構成が目を引きますが、華やかさだけでなく、文様の整理や器形との調和にも京焼らしい洗練が見られます。

明治期には、九谷本窯の系譜を受け継ぐ生産体制が変化し、1879年には九谷陶器会社として再出発しました。同社には塚谷竹軒、大蔵清七、竹内吟秋、浅井一毫、初代諏訪蘇山、須田与三郎ら、多くの陶工・画工が関わりました。今回の買取品もこの金襴手の豪華な茶器でした。

代表作品・作品群

  • 金襴手鳳凰文鉢:永楽和全の作例として紹介される作品。赤や金を効果的に用い、鳳凰文を格調高く表現しています。

  • 赤地金彩の花鳥文・鳳凰文の花瓶や鉢:金彩の輝きと赤地の対比を生かした装飾作品群。

なお、永楽和全の代表作には幕末期の作品も含まれます。永楽様式の作品であることだけを理由に、明治期の輸出品と判断することはできません。

⑤ 松雲堂・松本佐平の工房

主な特徴:輸出向けの色絵・金彩装飾

松雲堂を率いた松本佐平は、小松九谷の系譜に属する上絵付けの担い手です。松屋菊五郎の子として、素地製造と絵付けの分業体制を活用し、海外市場に向けた九谷焼の生産に貢献しました。

明治期の輸出産業では、素地を大量に供給する窯と、それぞれの得意分野を生かして絵付けを行う工房が連携する方式が重要でした。松雲堂も、この分業化と輸出拡大を理解するうえで注目される存在です。

代表作品・作品群

  • 花鳥文・山水文の色絵花瓶

  • 人物や楼閣を描いた飾皿

  • 多色の上絵具と金彩を組み合わせた輸出向けの装飾磁器

これらは工房の生産傾向を示す作品群として捉えるのが適切です。個々の作品を松本佐平本人の作と認定するには、銘や資料による裏付けが必要です。

⑥ 初代須田菁華・竹内吟秋・浅井一毫らの系譜

明治期には、輸出向けの豪華な九谷焼だけでなく、伝統技法を継承しながら独自の表現を探る陶工も活躍しました。

九谷陶器会社などで技術を磨いた陶工たちのなかには、のちに独立して独自の窯や工房を構えた者もいます。初代須田菁華につながる系譜、竹内吟秋、浅井一毫らは、九谷焼の技術的な蓄積と、近代の作家活動への移行を考えるうえで重要です。

この系譜の作品は、輸出用の量産品だけでなく、絵付けの精度や器形、伝統様式の解釈に個性が見られる点に注目できます。ただし、作家ごとに活動時期や作風が異なるため、一括して「里帰り九谷」と呼ぶのではなく、個々の作品の来歴を確認する必要があります。

3. 里帰り九谷焼の代表的な器種と鑑賞のポイント

大花瓶・対花瓶

明治期の輸出九谷を象徴する器種です。花鳥、龍鳳、山水、人物などの図柄を器面いっぱいに描き、口縁や肩、胴部に金彩を重ねます。対になった花瓶では、図柄の連続性や左右の構成も見どころです。

大皿・飾皿

広い画面を利用し、山水や花鳥、人物などを絵画のように展開します。見込みの主題と周縁の文様を比較すると、庄三風の構成や赤絵細描の特徴を把握しやすくなります。

香炉・置物・蓋物

器形そのものの造形や、獅子・龍などの立体的な装飾が見どころです。香炉では蓋、胴、脚部の意匠が調和しているか、細部の仕上げが丁寧かを確認します。

4. 里帰り九谷焼を見分ける際の注意点

明治期の輸出九谷焼は、華やかな色彩や金彩が目立ちますが、外見だけで年代や真贋を決めることはできません。とくに次の点が重要です。

  • 銘と落款: 底部の銘、工房印、作者名を確認します。ただし、銘があるだけで本人作と断定することはできません。

  • 絵付けの質: 線描の細かさ、色の重なり、金彩の処理、器面全体の構成を観察します。

  • 素地と器形: 成形の特徴、釉薬の状態、高台の仕上げなども判断材料になります。

  • 来歴資料: 海外の旧蔵者の記録、購入時の書類、箱書き、展覧会記録などがあれば、輸出・帰国の経緯を検討しやすくなります。

また、欧米で長期間使用・保管された作品には、金彩の摩耗や欠け、補修が見られる場合があります。古色や摩耗は年代を考える材料にはなりますが、それだけで真正性を証明するものではありません。

5. 最後に…

明治期の里帰り九谷焼を理解するには、次の三つの流れを押さえると整理しやすくなります。

系統

主な担い手・窯

特徴

彩色金襴手

九谷庄三の工房

多彩な色絵、金彩、緻密な花鳥・山水・人物描写

赤絵細描

斎田道開・佐野窯系

赤い細線による人物・小紋の精密な描写

青手・金襴手

松山窯・九谷本窯系

色面を生かした青手、赤地に金を施す豪華な装飾

これらに加え、松雲堂などの輸出向け工房や、九谷陶器会社を通じて育った陶工たちの活動を知ることで、明治九谷が単なる伝統工芸ではなく、国際市場と結びついた近代産業でもあったことが理解できます。

とりわけ重要なのは、里帰り九谷焼を「誰が描いたか」「どの工房で作られたか」「どのような経路で海外へ渡ったか」という三つの視点から見ることです。 豪華な外観だけでなく、分業体制、技法の継承、輸出の歴史まで考察すると、作品の美術史的な価値をより深く味わえます。

さらに調べる際には、能美市九谷焼美術館の所蔵作品・解説や、石川県九谷陶磁器商工業協同組合連合会の九谷焼史資料が参考になります。作品名、作者、年代を照合しながら調査することで、個別の里帰り品についても理解を深められます。

■参考サイト

金沢九谷ミュウジアム(鏑木商舗)

石川県立歴史博物館

能美市九谷焼資料館(五彩館)

■その他の買取品目

 

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