スンコロク皿買取りました・太宰府/骨董品の買取は福岡玄燈舎
スンコロク皿買取りました・太宰府
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福岡県太宰府市でスンコロク皿を買取りました!

家じまいの秋、最後の箱からスンコロク

秋も深まってきた。

朝晩はめっきり冷え込み、庭の木々もそろそろ冬支度を始めている。人間のほうも、そろそろ何かを片づけたり、整理したりする季節なのかもしれない。もっとも、人間の場合は木々と違って、葉っぱを落とせば済むというわけにはいかない。長年ため込んだものが、押し入れから出てくるわ、納戸から出てくるわ、挙げ句の果てには、本人さえ忘れていたものまで顔を出す。

今回の骨董品買取は、福岡県太宰府市。

太宰府といえば、学問の神様、梅ヶ枝餅、そして観光客。だが、骨董屋にとっての太宰府は、少々違う。古い家があり、古い家には古いものがあり、古いものがあるところには、ときどき商売になるものが眠っている。

もちろん、古いものがすべてお宝なら、骨董屋という商売はずいぶん気楽なものになる。ところが現実はそう甘くない。古いものは古いというだけで、値段がつくほど世の中は親切にできていないのである。

今回のお宅では、息子さんが関東から帰ってこられ、家じまいの真っ最中だった。

家じまい。

なんとも味気ない言葉である。

かつては一家の暮らしがあり、朝食の匂いがあり、客を迎える声があり、盆暮れには親戚が集まったであろう家。それが年月を経て、最後には「処分するもの」と「残すもの」と「売れるもの」に分類される。

人の一生というのも、最後は案外、仕分け作業に近いのかもしれない。

もっとも、骨董屋がそんなことを考えている暇はない。家じまいに感傷はつきものだが、査定には電卓と骨董品相場が必要である。思い出に値札をつけることはできないが、品物には値段をつけなければならない。これがなかなか難しい。

お宅に到着すると、家の中では息子さんが忙しそうに動き回っていた。段ボール箱があり、片づけるものがあり、運び出すものがある。家の中全体が、長年続いた芝居の千秋楽を迎えた舞台裏のようであった。

そんなところへ、こちらは骨董品の査定にお邪魔したのである。

家族にとっては一刻も早く片づけたいところだろうが、こちらは慌てるわけにはいかない。急いで見落としでもすれば、あとで悔やむのは自分である。骨董屋というのは、物を探す商売であると同時に、物に振り回されないようにする商売でもある。

まずは部屋ごとに置かれた品物を見て回る。

絵画、花瓶、花入れ、着物、硯、それに書道具。

なかなかの品数である。

古い家には、どうしてこうもいろいろなものがあるのだろう。昔の人は物持ちがよかったのか、それとも捨てるという習慣がなかったのか。いや、ひょっとすると、いつか使うつもりで取っておいたものが、そのまま何十年も経過しただけなのかもしれない。

「いつか使う」は、実に便利な言葉である。

いつか着る着物。
いつか飾る花瓶。
いつか使う硯。
いつか読む本。

そうやって「いつか」を大事に保管しているうちに、いつの間にか本人のほうが先に年を取る。品物はそのまま残り、使う予定だけが静かに消えていく。

さて、ひと通り骨董品を見終わったところで査定に入る。

最初に目についたのは、柿右衛門風の花入れだった。

色絵の具合もそれらしく、見た目にはなかなか立派である。柿右衛門といえば、江戸時代の色絵磁器を代表する名窯。海外でも珍重され、日本の陶磁器を語るうえでは欠かせない存在だ。

そんな柿右衛門の名がつけば、骨董屋の査定額もそれなりに華やかになる……と、世の中は思っている。

ところが、そうは問屋が卸さない。

よく見ると、どうも本物ではない。

いわゆる柿右衛門風である。

世の中には、本物に似せることに一生懸命な品物がある。本人は名乗っていないのに、周囲が勝手に名品の仲間に入れてくれることもある。しかし、査定の場では、その好意的な解釈が通用しない。

似ていることと、本物であることは別なのだ。

人間社会でも、肩書きが立派だからといって中身まで立派とは限らない。名刺には大きな文字で会社名が印刷されていても、仕事の中身は別問題。骨董品もまた、表札だけでは判断できないのである。

柿右衛門風の花入れには、残念ながら期待したほどの値段はつかなかった。

続いて古伊万里の皿。

古伊万里といえば、江戸時代に有田で焼かれ、伊万里港などを通じて流通した磁器の呼び名として知られている。華やかな染付や色絵は、今も多くの人を魅了している。

こちらも期待したいところだが、よく見ると、なんと欠けがある。

皿の縁に、ちょこんと欠け。

たったそれだけ、と言いたいところだが、骨董品の世界では、その「たったそれだけ」が大きい。使う分には問題がなくても、鑑賞する品物となれば話は別だ。

人間なら、多少の傷があっても年輪だの味わいだのと、いろいろ言ってもらえる。しかし、骨董品の皿の場合はそうはいかない。傷が味わいになることもあるが、欠けは欠けとして評価に響く。

人間の傷は履歴書に書けるが、皿の欠けは骨董の査定書に響く。

なかなか世知辛いものである。

こうして見ていくと、なかなか値段のつくものが少ない。

家の人にとっては、どれも長年大切にしてきた品物なのだろう。高価だったものもあれば、誰かからもらったものもある。旅行先で買ったもの、祝いの席でいただいたもの、父親が大事にしていたもの。物にはそれぞれ事情がある。

しかし、骨董品市場は思い出を買い取ってはくれない。

買い手がいるかどうか。
同じ品物が市場にどれほど出ているか。
保存状態はどうか。
本物かどうか。

そうした条件が重なって、ようやく値段が決まる。

昔は高かったから、今も高いはずだ。

この考え方が、骨董屋を訪ねてくる人の頭の中には、しばしば住み着いている。

だが、物の値段というのは、買ったときの値段を記憶しているわけではない。世の中の流行も変わるし、買い手の好みも変わる。昔は大事にされたものが今は見向きもされず、反対に、誰も気に留めなかったものが突然人気になることもある。

骨董品の世界は、なかなか気まぐれだ。

そんな中で、油絵にはいくつか値段がついた。

絵画というのは難しい。作者が誰なのか、作品としての出来はどうか、保存状態はどうか。いろいろな条件が絡む。額縁が立派だからといって、中身まで立派とは限らない。反対に、額縁がくたびれていても、絵そのものに価値があることもある。

額縁だけ見て買う人はいないだろうと思いたいが、世の中には見た目の立派さに弱い人が案外多い。骨董屋は、その立派さに惑わされないようにしなければならない。

そして、もうひとつ、なかなかの査定額になったものがあった。

端渓の硯である。

端渓硯は、中国広東省の端渓で採れる石を用いた硯で、古くから書道具の名品として知られている。石質や石紋、彫刻、時代などによって評価が変わる。

硯というものは不思議だ。

墨を磨るための道具なのに、使わずに飾られることもある。書を書くために作られたものが、いつしか美術鑑賞の対象になる。実用と美術の境目というものは、なかなか曖昧である。

もっとも、せっかく立派な硯を持っていても、墨を磨る人がいなければ、硯はただの石である。

道具というのは使われてこそ道具なのだが、骨董品になると使われないことにも価値が出てくる。何とも面倒な話である。

さて、ひと通り査定を終えた。

絵画にいくつか値段がつき、端渓の硯もまずまず。柿右衛門風の花入れは期待外れ、古伊万里の皿は欠けが響いた。

これで終わりかと思った、そのときである。

最後に、ひとつの箱が見つかった。

家じまいというものは、最後まで気が抜けない。片づけの途中で出てくる箱ほど、骨董屋の心をざわつかせるものはない。もっとも、箱を開けるたびに名品が出てくるようなら苦労はない。実際には、何が入っているかわからないからこそ、箱なのである。

その箱の中に入っていたのが、今回の主役、「スンコロクの皿」であった。

スンコロク。

聞き慣れない人も多いかもしれないが、タイで中世に生産された陶磁器の一群を指す名称である。スコータイやシーサッチャナーライ周辺の窯で焼かれたものが知られ、14~16世紀には東南アジアの海上交易を通じて各地へ運ばれた。

緑色の釉薬を施したもの、鉄絵で魚や草花を描いたものなどがあり、中国陶磁の影響を受けながらも、独特の素朴さとおおらかさを備えている。

日本では、桃山時代から江戸時代初期にかけて渡来したものが茶人たちに珍重され、香合などの茶道具として使われた例もある。

つまり、タイで生まれ、海を渡り、日本に来て、茶人の目に留まり、長い年月を経て、福岡県太宰府市の一軒の家に収まっていたわけである。

何とも壮大な旅である。

船に揺られたのか、商人の手を渡ったのか、誰かが大事に買い求めたのか。皿自身は何も語らないが、少なくとも、ただの古い皿ではない。

それが、最後の箱から出てきた。

骨董屋をやっていると、ときどきこういうことがある。

部屋の真ん中に堂々と飾られた品物より、押し入れの奥で忘れられていたもののほうが、意外に面白い。人間も同じかもしれない。大きな声で自分を売り込む人より、黙って座っている人のほうが、実は味わい深かったりする。

もちろん、箱の中身がいつもスンコロクとは限らない。古い湯呑みが一つ、割れた花瓶が一つ、何十年も前の贈答品が一つ、ということだってある。

それでも、箱を開けるときには少しばかり期待してしまう。

この仕事の困ったところであり、面白いところでもある。

今回のスンコロクの皿にも、きちんと値段がついた。

柿右衛門風の花入れが本物ではなく、古伊万里には欠けがあり、世間一般にわかりやすい名品が必ずしも期待に応えてくれなかった一方で、最後に現れたタイの古陶磁が査定を支えてくれた。

名声と実力は、必ずしも一致しない。

有名な窯の名を冠していても評価されない品があり、遠い異国で焼かれた、さほど華やかでもない皿が値段を持つ。

骨董品の世界は、世間の評判をそのまま映す鏡ではないようだ。

さて、今回の買取点数は、およそ50点。

油絵、硯、陶磁器、書道具など、ひとつひとつ見ていけば、それぞれに違う時代と事情がある。すべてが高価な品物だったわけではないが、きちんと査定をし、値段のつくものを買い取ることができた。

家じまいをする息子さんにとっても、荷物が少し減り、片づけが一歩進んだことだろう。

家というものは、不思議なものである。

人が住んでいるあいだは、物が多いことなど気にならない。必要なものもあれば、必要かどうかわからないものもある。それでも暮らしは続いていく。

ところが、いざ家を閉じるとなると、長年の暮らしが一斉に姿を現す。

押し入れの箱、棚の上の花瓶、床の間の絵、引き出しの硯。

それらは、家族の歴史そのものでもある。

ただし、家族の歴史だからといって、すべてを持っていくわけにはいかない。思い出は残したいが、荷物は減らしたい。捨てるには惜しいが、置いておく場所もない。

その間に立って、品物の行き先を考えるのも、骨董屋の仕事のひとつなのだろう。

今回もまた、思いがけない品物との出会いがあった。

最後の箱から出てきたスンコロクの皿。

遠いタイの窯で焼かれた皿が、長い年月を経て太宰府の家にたどり着き、家じまいという節目に、再び別の場所へ旅立っていく。

そう考えると、骨董品というのは、古いものというより、旅を続けるものなのかもしれない。

人間は家を建て、物を集め、いつかその家を閉じる。

物は残り、持ち主が変わり、また別の人の手に渡る。

そして骨董屋は、その途中でちょっとだけ立ち会わせてもらう。

ありがたいことである。

秋も深まる中、福岡県太宰府市での骨董品買取。

本物ではなかった柿右衛門風の花入れも、欠けた古伊万里の皿も、値段のついた油絵も、端渓の硯も、そして最後に見つかったスンコロクの皿も、それぞれに今回の一日を彩ってくれた。

世の中、見た目だけではわからない。

箱を開けてみなければわからない。

そして、値段をつけてみなければ、もっとわからない。

だから骨董屋は、今日も箱を開ける。

ひょっとしたら、次の箱にも何かが入っているかもしれないからだ。

ではまた……。

魚文様が古さを醸し出します/骨董の買取は福岡玄燈舎
魚文様が古さを醸し出します
釉薬もとても味わい深いですね/陶磁器の買取は福岡玄燈舎
釉薬もとても味わい深いですね

買取品の詳細

手作りのゆらゆら感がたっぷりあります/福岡の骨董品の買取は玄燈舎
手作りのゆらゆら感がたっぷりあります

◇この「スンコロク皿」はおよそ150年ほど前のもので色合いも淡く明るいものでした。見込みに描かれている魚文様も当時の流行りの模様です。そして全体に手作り感がたっぷりの出来上がりと焼き締めが特徴の骨董品です。何より無傷の状態で残っているものは珍しく骨董コレクションの一つに加えても喜ばれると思われます。ありがとうございました。

買取査定額

◇古いスンコロクの買取査定額もしくは評価額ですが時代や状態、共箱や鑑識などあればより高価買取&できます。現在では20年前の評価額よりも低くなっておりますが変わった柄のスンコロクは高価買取ができますのでご自宅にスンコロクや古伊万里が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

高台も古いタイプです/茶道具の買取は福岡玄燈舎
高台も古いタイプです

宋胡録 白釉鉄絵鳥獣形水注  200,000円
薩摩スンコロク宋胡録花鳥文植木鉢   180,000円
スンコロク獅子耳壺     80,000円
スンコロク染付 安南 唐草文水盂  50,000円 他多数

スンコロクとは?

◆

スンコロク(宋胡録・寸古録)は、タイで中世に生産された陶磁器を指す名称である。日本では主に、タイ中北部のスコータイ地方、とりわけシーサッチャナーライ周辺の窯で焼かれた陶器・炻器を指し、桃山時代から江戸時代初期にかけて日本へもたらされたものが、茶人たちに珍重されたことで知られている。とくに、鉄絵で文様を描いた小さな蓋物や香合、青磁風の緑色の釉薬を施した器などは、スンコロクを代表する作例である。

スンコロクの魅力は、中国陶磁の影響を受けながらも、東南アジア独自の造形感覚や素朴な美しさを備えている点にある。また、日常生活に使われた実用品が、海上交易を通じて遠方へ運ばれ、日本では茶の湯の美意識によって新たな価値を与えられたという歴史も重要である。

1.名称の由来と起源

スンコロクという名称は、タイの古い地名である「スワンカローク(Sawankhalok)」に由来すると考えられている。日本では、この地名が伝わる過程で音が変化し、「宋胡録」あるいは「寸古録」という漢字が当てられたといわれる。ただし、これらの漢字は中国の王朝や中国産陶磁器を直接意味するものではない。名称の背景には、東南アジアの地名が日本の貿易や茶の湯の文化を通じて受容された事情がある。なお、スンコロクは、厳密には特定の産地・製品群を指す呼称だが、後世にはタイ産陶磁器全般を指す場合もあるようです。

主な生産地は、現在のタイ北部に近いスコータイ県のシーサッチャナーライ周辺です。ヨム川沿いに位置するこの地域には、バーン・コーノーイやバーン・パヤーンなどの窯跡が集中しています。発掘調査では多数の窯跡や陶磁器の破片が確認され、ここが中世東南アジアにおける重要な陶磁器生産地だったことが明らかになっています。

その起源については、かつて中国人陶工が技術を持ち込んで窯業を始めたという説が有力でしたが、しかし、考古学的研究が進むにつれ、現地の技術的発展をより重視する見方も強まっています。中国陶磁の影響は明らかであるものの、スンコロクを単純に中国陶磁の模倣品と考えることは適切ではないようです。現地の粘土、窯の構造、釉薬の調合、器形の選択などを通じて、独自の陶磁器文化が形成されたのでしょう。

2.スコータイ王朝とスンコロクの発展

スンコロクが発展した背景には、13世紀以降のスコータイ王朝の繁栄があったようです。スコータイはタイの歴史において重要な王朝の一つであり、仏教文化や建築、彫刻などが発達した時代として知られています。陶磁器もまた、この時代の技術と経済を支える重要な産業だったようです。

生産の始まりについては議論があるが、シーサッチャナーライ周辺では13~14世紀頃に初期の窯業が発達し、14~15世紀にかけて技術と製品の多様化が進んだそうです。15~16世紀には輸出向けの生産も盛んになり、スンコロクはタイ国内で使われる器にとどまらず、国際交易の商品として重要な位置を占めるようになりました。

この発展を支えたのが、高温焼成を可能にする窯の技術です。低温で焼く土器とは異なり、スンコロクの多くは高温で焼き締められた炻器に分類されます。製品によっては青磁に似た緑色の釉薬が用いられ、堅牢さと美しい表面を両立しています。また、器の形や文様には中国陶磁の影響が認められます。元・明代の青磁や白磁、染付などの製品や意匠は、東南アジア各地の窯業に刺激を与えました。しかし、スンコロクでは魚、水草、蓮、植物文などが独自の構成で描かれ、タイの風土や工芸文化を反映した表現が生み出されます。

スンコロクの歴史を理解するうえでは、スコータイ窯とシーサッチャナーライ窯を区別することも大切です。両者は関連しながら発展しましたが、同一の窯場ではありません。シーサッチャナーライ周辺は、とくに大規模な窯業生産と輸出で知られ、スンコロクの代表的産地として位置づけられています。

3.代表的な作品とその特徴

スンコロクは、色彩、釉薬、装飾技法によっていくつかの種類に分けられます。

① 青磁(せいじ)風の緑釉陶

スンコロクを代表する種類の一つ。オリーブグリーンから青緑色までの釉調が特徴で、釉薬の厚さや焼成条件によって色合いが変化する。碗、皿、壺などが作られました。中国青磁との共通性を備えながらも、釉調や器形には東南アジア独自の趣がありますね。

② 鉄絵(てつえ)陶

白色系の化粧土や釉薬を施した器の表面に、鉄分を含む顔料で文様を描いたもの。魚、水草、蓮、植物文などが代表的で、円形の皿の中央に魚を描く作例はよく知られています。装飾の力強さと簡潔さが魅力で、日本の茶人にも好まれた種類です。

③ 褐釉(かつゆう)陶

茶色や黒褐色の釉薬を施した壺、瓶など。華やかな色彩よりも、焼成によって生じる深みのある色と、簡潔な器形が見どころとなります。日常生活や貯蔵などの実用に適した製品も多く、スンコロクの生産が装飾品だけでなく生活用品を支えていたことを示しています。

④ 白釉陶・小型の蓋物・人物や動物の造形

白色系の釉薬を施した器や、小箱、人物・動物をかたどった陶製品も作られました。器物としての実用性に加え、造形や装飾を楽しむ用途もあった。小型の蓋物は日本の茶の湯との関係でも注目されるが、現存品すべてが茶道具として作られたわけではないようです。

4.海上交易と日本への伝来

海上がりの壺/骨董品の買取は福岡玄燈舎
海上がりの壺

スンコロクの歴史を語るうえで欠かせないのが、東南アジアの海上交易です。14~16世紀には、中国、タイ、マレー半島、インドネシア、フィリピンなどを結ぶ交易網が発達します。スンコロクは河川や陸路を経て港へ運ばれ、そこから船で各地に輸出されます。タイのヨム川はチャオプラヤー川水系とつながり、アユタヤなどの交易拠点を通じて陶磁器を外部市場へ送り出す経路の一つとなりました。

輸出品には青磁、鉄絵陶、褐釉陶などが含まれます。インドネシアやフィリピンの遺跡、日本近海を含む東南アジアの沈没船などからも関連する陶磁器が発見されています。こうした出土資料は、スンコロクが地域内で消費されるだけでなく、広域交易を支えた商品だったことを裏づけました。日本では、桃山時代から江戸時代初期にかけて、海外からもたらされた陶磁器が茶の湯の世界で注目されます。スンコロクもその一つであり、とくに鉄絵文様を持つ小型の蓋物が香合として珍重されたようです。香合とは、茶席で使用する香を入れる小さな容器です。

日本の茶人は、中国の名品だけでなく、朝鮮半島や東南アジアなどの陶磁器にも独自の価値を見いだします。スンコロクの簡素な形、素朴な文様、釉薬の変化は、茶の湯における美意識と結びついたのです。これは、陶磁器の価値が生産地での本来の用途だけで決まるのではなく、受け入れる側の文化によって新たに形成されることを示す好例です。

5.衰退とその背景

スンコロクの輸出生産は、16世紀末から17世紀にかけて次第に衰退します。衰退の原因を一つに限定することは難しいが、国際市場における競争環境の変化が大きかったと考えられています。中国陶磁の供給や市場の需要が変化すると、スンコロクの輸出を支えていた条件も変わります。また、海上交易の構造や政治的な環境の変化も、輸出向けの生産に影響したとみられます。窯業が一時期に大きく繁栄したからといって、その生産体制が永続するわけではなかったのです。

6.美術史上の評価と鑑賞のポイント

スンコロクの美術史上の評価は、主に三つの観点から考えることができます。

第一は、東南アジア陶磁器の独自性を示す存在であるという点です。中国陶磁から影響を受けながら、現地の材料、窯の技術、装飾の感覚を組み合わせ、独自の製品群を形成しました。スンコロクは、東南アジアの工芸が受動的に外来文化を模倣したのではなく、外部の技術や意匠を取り入れて新しい様式を生み出したことを示しています。

第二は、国際交易の歴史を物質的に伝える資料としての価値です。窯跡の発掘資料と沈没船からの出土品を照合することで、製造年代や技術の変化、流通の範囲を研究できます。器物そのものが、当時の経済活動や人々の交流を伝える歴史資料となっています。

第三は、日本の茶の湯文化における受容の歴史です。スンコロクは、日本で生まれた陶磁器ではないにもかかわらず、茶人によって選び取られ、香合などとして珍重されます。これは、茶の湯の美意識が産地や価格だけでなく、器の姿、質感、文様、そして歴史的な背景を含めて器物を評価してきたことを示しています。

おわりに

スンコロクは、13世紀以降のタイ中北部で発展し、14~16世紀を中心に生産・輸出が盛んになった陶磁器です。緑色の釉薬を施した青磁風の器、魚や水草を描いた鉄絵陶、褐釉の壺や小型の蓋物など、多彩な作品を生み出しました。その歴史は、タイの窯業技術の発達、中国陶磁との交流、東南アジアの海上交易、そして日本の茶の湯文化による受容という、複数の歴史が交差する場所にあります。とりわけ興味深いのは、生活のために作られた器が、海を越えて日本に渡り、茶人たちの審美眼によって美術品として評価されたことです。スンコロクは、単なる古いタイの焼き物ではない。アジアの人々が交易を通じて結びつき、異なる文化のなかで物の価値が形作られてきた歴史を、今日に伝える貴重な文化遺産なのです。

 

■参考サイト

石洞美術館

ヨコタ博物館

覚王山日泰寺オンライン博物館

■その他の買取品目

 

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