福岡市西区で谷村弥三郎の茶筅を買取りました
桐箱に入っている煤竹茶筅です
買取品の詳細
今回は福岡市西区のお宅に茶道具や骨董品の出張査定でお伺い致しました。買取品には掛軸や古銭、中国陶磁や、勲章、書道具などありましたが今回紹介する買取品は煤竹でできている谷村弥三郎作の茶筅です。茶筅とはまたは茶道においては抹茶を点てるのに使用する茶道具のひとつです。テレビなどで湯を加えた抹茶を茶碗の中で混ぜるため使用している道具です。茶筅は竹製のものが大部分ですが流派によっては使用する竹の種類や色が違うこともあります。私が今回の茶筅で一番好きなところは時代はありませんがその代わりに十分に燻された煤竹が使用されていて穂もきれいに揃っていて編み糸も竹に合わせて時代付けをされた糸を使用している点です。茶器というとty湾や棗に注目が集まりますが今回の茶筅にはとてもオーラが感じられました。ありがとうございました。
煤竹の色合いがとても深い茶筅です
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買取査定額
谷村弥三郎の作品の買取相場ですが造り、形状などで差があります。原竹の切り出しから薮から寸法にあった淡竹の竹の切り出しに始まり片木、小割、味削り、面取り、下編み、上編み、腰ならべ、仕上げと全てが職人の手作業で出来上がります。そんな手間暇かかる手仕事の作家物ですが当店での買取額は「手付き盆」で30000円、「茶杓」で15000円~20000円、「竹製花入れ」で10000~15000円前後となります。ご自宅に谷村弥三郎の茶筅、竹製品などが御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。
とても繊細なつくりで状態も良いです
★ちなみに下記は代表的な作品です。
・白竹手付莨盆
・茶杓「福ノ神」
・小野澤寛海 茶杓
・亀甲 莨盆
・紀宮屋久杉亀甲香合
などなど多数あります…
■過去の谷村弥三郎作品買取例
白竹手付莨盆 20,000円
竹亀甲 莨盆18,000円
太鼓胴花入10,000円
他多数
谷村弥三郎とは?
竹の柄の部分も風合いがあります
〇谷村弥三郎氏は、日本の伝統工芸である茶筌(ちゃせん)の製造をしております。彼は翠華園という商店を運営しており、茶筌作りに情熱を注いでいます。茶道具や竹製品全般を制作する作家は多々いますが「茶筅」にこだわった作家さんも珍しいですね。谷村弥三郎商店は1908年に創業されました。そして代々「弥三郎」という名前を受け継いでいます。現在は谷村圭一郎さんの父の佳彦さんが3代目「弥三郎」として茶筌作りに取り組んでおられます
茶筅の始まりは、今から約500年前の室町時代中期に始まりました。
将軍・足利義政の頃、茶筅は奈良県高山でうぶ声を上げました。
もともとは村田珠光の依頼から始まります。村田珠光はわび茶道を確立された方ですね。茶筅が生まれた奈良県の高山地方は、「鷹山村」と呼ばれており、大膳介頼栄氏が支配していました。
一方、大膳介頼栄氏の次男である宗砌(そうぜい)は、奈良県・水門町の山名弾正家に仕えて家長となっていました。宗砌は、当時流行っていた連歌や和歌に精通しており、書道も達筆で一目置かれる存在でしたが
宗砌は、称名寺の住職である茶人・村田珠光と親交が厚く、珠光が茶道を考案したときに「抹茶を攪拌させる道具を作ってほしい」と頼まれました。そこで宗砌は、試行錯誤を繰り返し「茶筅」を完成させました。
後に、時の帝である後土御門天皇が茶室・珠光庵に足を運ばれた際、珠光は宗砌から献上された茶筅を披露しました。帝は茶筅の精巧な作りや風情に感嘆され、「高穗」という名前を授けられました。
宗砌はとても感激し、鷹山村に持ち帰ります。
そして、頂いた「高穂」という名称にちなんで、「鷹山」を現在の「高山」に改め、現在でも高穗茶筅は茶道家の間で広まっていきました。ありがとうございました。
共箱付
〇村田珠光とは…は大和国(現・奈良県)に生まれました。珠光は、成長し浄土宗・称名寺に入寺しますが、出家することを嫌い京で能阿弥に師事します。そこで茶の湯・和漢連句・能・立花・唐物目利きを習い、能阿弥の推薦で足利義政の茶道師範となったといわれています。また、臨済宗の僧・一休宗純とも交流があり、彼から禅を学びました。そして、これらの経験を基に「侘び茶」の基礎となる精神を見い出しました。その時代は、舶来品を愛でながら茶を楽しむ豪華な茶会が中心でしたが、珠光が見いだした「新しい茶の湯」の精神が、珠光の死後も弟子に受け継がれ、そののちに千利休にも受け継がれたのは言うまでもありませんね。ありがとうございました。
◎関連、参考サイト
■その他の買取品目
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