福岡市博多区で菊地政光の茶釜を買取りました!

茶釜買取りました/福岡・茶道具・骨董
茶釜買取りました

梅雨の福岡博多は鉄と茶とでできていた 〜骨董商、湿気にまみれて悦に入る〜

梅雨である。
梅雨でない、と言う者がいたら、その者はたぶん洗濯物を外に干さぬ者か、あるいはカエルの生まれ変わりである。ともかく、こちらとしては立派に梅雨である。部屋の隅でカビが緑色の主張をはじめ、畳はしっとりと重たく、体も脳味噌もじんわり水分を吸い込んで、思考がアメンボのようにふらつく。こういう時期に骨董の査定が入るのは、湿気で物も人もくたびれているからだろうか。いや、湿気がどうこうではなく、単に「そろそろ整理しようかね」というタイミングなのだろう。こちらも湿気にくたびれながらも、己の鼓膜と膝関節をたよりに、博多は博多、空港そばの豪邸へと繰り出すのである。

福岡空港の近くという場所柄、空を見上げれば飛行機がギュウギュウに詰まった空気のトランクを開けたり閉めたりしている。轟音の合間に、カッコウのような小鳥の声が、なんとも場違いな牧歌を奏でている。そういう地域の、どう見ても「大きな声では言えないけれど、まあまあな財界的成功を収めたであろう方の住居」に到着。表札の名字はひときわ堂々と楷書体。ポストには何も入っておらず、これはもう住人がよほど几帳面である証である。出迎えに出てこられたのは、白髪の紳士と、これまたしっかり者風の奥様。と、うちの相方(=妻)が心のなかで「戦闘力高そう」とつぶやいたのが聞こえた気がする。

「こちらへどうぞ」

と通された先が、また圧巻であった。古民家と呼ぶにはあまりに整いすぎ、旅館と呼ぶには住みすぎている日本家屋。廊下を通ってふとガラス越しに目をやると、まあ見事な中庭である。梅雨の雨にしっとりと濡れた苔、その真ん中には手入れの行き届いた灯籠がちょこんと居座り、端の方にはなんと茶室まである。あまつさえ、水屋まで完備。水屋を見て「おお、水屋か」とつぶやいてしまった私は、骨董商というよりただのオッサンである。

さて、肝心の査定対象はといえば——

これがまた凄かった。

京焼の茶碗、萩の茶碗、香合、、その他もろもろ、まさに「お茶道具の宝船」。それもただの茶碗ではなく、「誰かに一服差し上げると、たいていお辞儀の角度が2割増しになる」タイプの名品たちである。数えてみれば、なんと120点超。ちなみに120点というのは、高校時代の数学のテストではありえない数字であるが、ここではごく現実である。

例によって妻との分業体制にて査定を進める。彼女が仕分けと裏取り、私は写真撮影と査定額の検討。いつもの「どう考えても1時間では終わらない」モードに突入。案の定、気づけばすでに昼過ぎ。腹が減ったが空腹のまま査定を続けるのが骨董道の真骨頂、などとわけのわからぬ精神論を唱えながら作業続行。途中、奥様がお茶と和菓子を出してくださり、思わず「こういうのが一番沁みますねえ」と言ってしまう。たぶん、あの瞬間だけ私は僧侶だった。

気がつけば午後も深まり、ようやくすべての査定が終わる頃には、脳の湿度は95%を超えていた。書き上げた見積書は、もうそこそこな短編小説の分量。これにご納得いただけるかどうか——と思いきや、ご夫婦は笑顔で「お願いします」と即決。ありがたい、じつにありがたい。

車に品々を詰める頃には、すでに日は傾いていた。後部座席には龍文堂の鉄瓶がゴロリ。これがまた重い。見た目の3倍くらい重い。そして隣には五郎三郎の火箸、明珍の風鈴などの鉄モノ軍団が居並び、まるで「和風スチームパンク展覧会」のような様相である。

鉄瓶というものは不思議なもので、持つたびに「おまえ、まだいけるぞ」と語りかけてくるような気がする。火箸は火箸で、そっと手に取ると「焚き火したいな…」と謎の衝動が湧く。明珍の風鈴などは、車内でちょっと鳴るだけで、エアコンの風が夏の夕立のように感じられる。つまり、骨董の力というのは、こういう微細な感覚の変化に現れるものなのだろう。

菊地政光さんの作品です/骨董の買取は福岡玄燈舎
菊地政光さんの作品です

さて、すべて積み終わり、あとは帰るだけ——というところで、奥様が「あ、もう一つ」と言って持ってこられたのが、なんと菊地政光の茶釜。ズシリとした重量、そして堂々たる風格。これはもう「茶釜」として出すのが惜しいくらいの存在感である。おまけに高橋敬典の釜まで後から出てきた。これはまさに「骨董界の追い打ちジャブ」である。いったんホッとさせてからの、ズドン、である。

そうして、私はその日、鉄の重量に腰を悲鳴させながら帰路についた。途中、コンビニで買ったコーヒーを飲みつつ、「あれがあんな値段で……これは嬉しいなあ」とニヤついたのは、たぶん助手席の風鈴も気づいたはずだ。

こうして、また一件、湿気とともに骨董の物語が幕を閉じた。
博多の空はまだ曇天だったが、車内の私はひそかに晴れていたのである。

この茶釜については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

大講堂釜
大講堂釜

◇この「茶釜」は釜師の「菊池政光」さんの作品です。品名は「大講堂」とあり、とても存在感のある重厚な茶釜です。環はありませんが使用感もなく錆や大きな汚れもない状態の良い茶釜でした。 ありがとうございました。

 

買取査定額

◇茶釜の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に作者の知名度、デザインや時代、箱書きに鑑識があればより高価買取&できます。

鉄味も大変良い茶釜ですね/茶道具の買取も福岡玄燈舎
鉄味も大変良い茶釜ですね

茶釜や鉄瓶は造り、作家、部分的な材質等などでかなり差があります。ご自宅に 御座いましたら一度拝見させてください。

 

■過去の作品買取例


本焼塩屋釜 100,000円
透駒摘斑紫銅蓋雨龍紋鉄瓶     80,000円
松文・筒型釜(釣釜)50,000円
鉄瓶 あまりゅう10号 菊地政光作  40,000円 他多数

菊地政光とは?

「政光」銘が入っています/茶道具の買取・骨董品
「政光」銘が入っています

菊地政光は1946年(昭和21年)に富山県高岡市に生まれました。高岡市は400年以上にわたる鋳物の歴史を持つ「鋳物のまち」として知られており、多くの釜師や鋳物師を輩出しています。菊地もこの伝統の息吹を受け継ぐ家に生まれ、自然と鋳物の世界に足を踏み入れました。

若き日の菊地は、父・菊地政昭(まさあき)に師事します。政昭は高岡の鋳物界における名匠であり、その指導は厳格ながらも技術と精神性の両面を重んじるものでした。政光は少年時代から父の工房に出入りし、鉄の匂い、火の熱、金槌の音とともに育ちました。

20代になる頃には、すでに一人前の職人として独立。茶釜のみならず、鉄瓶や香炉なども手がけ、工芸界において次第に注目されるようになります。


菊地政光の作品の特徴

菊地政光の作品の最大の特徴は、徹底した写実性と独自の意匠へのこだわりです。彼の手がける茶釜は、一見して「古作」と見紛うほどの風格を持ちつつ、随所に現代的な美意識が息づいています。

1. 鋳肌(いはだ)の美しさ

政光の作品では、鋳肌(鉄を鋳造した表面)の表情が非常に豊かです。滑らかな中に微細な凹凸があり、まるで長い年月を経たかのような古雅な趣があります。これは意図的に温度管理や鋳型の工夫によって生まれるもので、技術的にも非常に高度なものです。

2. 伝統と革新の融合

例えば、室町期の名釜を写した作品でも、完全な模倣に終わらず、どこか政光ならではの「間」が感じられます。蓋の摘みの形状、耳の曲線、口造りの控えめな主張――すべてにおいて均衡が取れ、「静かなる気品」が漂います。

3. 茶人との対話

彼の釜は「見せるための道具」ではなく、「使うための道具」として真価を発揮します。数寄者や茶人との密な対話を通じて、その人の求める美に応える釜を仕上げていく姿勢が貫かれています。こうした姿勢は千利休の思想にも通じ、結果として「用の美」が極限まで追求された作品となるのです。


■ 代表作

政光の代表作には数多くの名釜がありますが、特に評価の高いものをいくつかご紹介します。

「丸釜 鬼面耳」

典型的な桃山風の丸釜で、両側に鋳込まれた鬼面耳が印象的です。耳の造形は緊張感があり、釜全体に力強さと荘厳さを与えています。まさに一器一景、茶室の空間を引き締める存在感があります。

「肩衝釜 松文透」

肩の張ったフォルムに、透かし彫りの松文様が配された作品。釜肌と松の影が織りなす陰影が美しく、鑑賞性に優れています。使い込むごとに味が増す、まさに「育つ道具」といえるでしょう。

「鐶付桐紋釜」

鐶付(かんつけ)部分に桐紋をあしらった作品で、公家文化を思わせる優雅さがあります。特に桐の葉脈まで表現された精緻さは驚嘆に値します。

その他の作品…

  • 「霰釜(あられがま)」
     伝統的な霰模様(突起状の模様)を精緻に表現した傑作。霰の一粒一粒が非常に整っており、見る角度によって光の反射が微妙に変化する。

  • 「山並釜(やまなみがま)」
     釜の胴に、連なる山の稜線を彫刻のように表現した作品。風景を写し取るというより、精神性を山に託したような造形。

  • 「鷺文釜(さぎもんがま)」
     飛翔する鷺をレリーフ状に表現した装飾釜。茶人の間では、「静けさの中の動」と評された。

 


■ 弟子と継承者たち

菊地政光の技と精神を受け継ぐ弟子たちもまた、高岡を中心に活躍しています。政光自身は伝統技術の保存と後継者育成にも力を入れており、地元高岡市の鋳物研究所や茶道具専門の講習会などで指導にあたっています。

なかでも長男の菊地正直(まさなお)は父の工房で修業し、現在は独立して活動しており、政光の技を受け継ぎつつも、よりモダンな造形を模索しています。また、政光のもとで修業した若手釜師の中には、各地の工芸展で受賞する者も増え、政光派ともいえる新しい潮流が生まれつつあります。


■ ライバル・同時代の釜師たち

政光と同時代に活躍した釜師としては、以下のような作家が挙げられます。

□ 金森紹栄(かなもり・しょうえい)

京都を拠点とし、宗匠御用達の釜師として名を馳せた人物。金森の作品は、洗練された意匠と軽やかな釜形が特徴で、政光の重厚さとは対照的。しばしば茶会で両者の釜が並べられることもあり、趣味人の間で好対照として語られています。

吉羽與兵衛(よしば・よへえ)

東京の鋳金系譜を継ぐ名工。政光が高岡の伝統を背景とするのに対し、吉羽は江戸の写実性を極めた作風。どちらも伝統を尊重しつつ、新風を吹き込む点で共通していますが、その表現方法には地域性と個性の違いが色濃く出ています。

◎関連、参考サイト

 

 

■その他の買取品目

 

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