墨画掛軸買取りました/骨董品の買取は玄燈舎
墨画掛軸買取りました

福岡市東区で掛軸(墨画)を買取りました!

 

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◇クリスマス前の福岡というのは、毎年のことながらどうにも浮かれすぎている。街は一斉にキラキラしだし、子どもたちはサンタ待ちの戦闘態勢、大人たちはボーナスの亡霊に取り憑かれたような顔つきで歩き回っている。
 で、そんなキラキラの福岡の片隅で、我々骨董屋はというと──こちらもこちらで浮かれているのだ。なにしろ年末は“お宝放出シーズン”。人々が家を片付けはじめ、「これ、使わんけん買い取ってくれんね?」と、押入れの怪しげな住人たちが外の世界へと連行されてくる時期でもある。

 そんなわけで本日わたしは、福岡市東区の住宅街へと向かった。
 依頼主いわく「先代が集めていた掛軸やら書画やら、いろいろあります」というあいまいな説明。骨董屋にとって“いろいろ”ほど信用ならん単語はない。「宝の山」のこともあれば「廃品回収」のこともある。だが、それを確かめるために我々は今日も鞄片手に福岡中をさすらう。つまり、骨董屋というのは年がら年中“運試し”をしている放浪者なのだ。

 さて、部屋に通されたわたし。
 まず視界に飛び込んできたのは…どーん、と鎮座する デカい伊万里焼の壺
 その横に、これまた「わたしは昔は偉かったんだぞ」と威張り散らすような 紫檀の衝立

 いきなり重量級コンビの骨董である。
 最近の住宅事情をまるで理解していない。
 いや、正確に言えば“理解してないのは品物ではなく、先代の趣味”なのだろうが、まあどちらにせよ現代のマンション暮らしとは犬猿の仲である。

 そしてさらに視線を向けると、壁を埋め尽くすように 中国画の大きな油絵が数枚。
 壁には 山水画の掛軸が数本、首をつるしたようになだれ下がり、畳の上には 茶道具、その横に 、そして 印材とまるで古美術のカーニバル状態である。
 最後には、なぜか ブリキのおもちゃが隊列を組んでいた。不思議だ。骨董品たちが会議でも開いていたのだろうか。「この家、そろそろ我々を追い出す気ではないか?」なんて。

 しかし、こうした品々を見ると、つくづく思うのだ。
 現代というのは、重たいものがどんどん嫌われる時代だと。
 世の中は“軽量化”という名の魔法にかかり、人間まで軽くなり、言葉まで軽くなり、しまいには恋愛すら通知ひとつで終わる時代である。
 そんな社会に、紫檀の衝立や伊万里の大壺はあまりに重たすぎる。
 だからもちろん、需要はほぼない
 骨董屋のわたしが言うのだから間違いない。

 ただ、依頼主もその辺りは薄々気づいているようで、「これ、けっこう良いものなんですよ」と言いつつも、自信なさげに壺を撫でていた。
 わたしは正直に事情を説明しつつ、内心で「時代の流れとは残酷なものよ」とつぶやく。

 その点、茶道具や書道具はまだ救いがある。
 たいていの家には「いいのか悪いのか判別不能」な茶碗が数個は眠っているが、今回のはそこそこ値が付くものも混じっていた。
 ただし、おもちゃ類はというと──見事に ほぼ全部復刻版
 復刻版というのはつまり、骨董界における「2軍扱い」である。
 だが、わたしはこういうとき決してがっかりしない。
 なぜなら復刻版にも復刻版の人生があり、その価値を評価するのが骨董屋の仕事だからだ。
 結果、こちらもそれなりの金額で買取させてもらった。こういうのは“気持ちの問題”というやつである。

 そしていよいよ、掛軸の番がやってきた。
 掛軸というのは骨董屋にとって“宝くじ”みたいなものである。
 開けるまで何が出るかわからない。
 現代では飾る家が少ないせいで市場でも扱いづらいのだが、それでも掛軸の箱を開ける瞬間のワクワク感は、ほとんど職業病に近い。

書家と絵師のダブルネームです/掛軸買取り福岡
書家と絵師のダブルネームです

 さて今回の掛軸、山水画が中心で、その中に 福岡県出身の絵師の作品が混ざっていた。
 これは嬉しい。地元の作家というのは、作品自体の出来不出来とは別に“土地の縁”という後押しがつく。
 わたしは迷うことなく、すべて買取させていただいた。

 ただ──全体的に見て、今回の品々は“古美術”というより 昭和後期〜平成初期のコレクションが大半。
 つまり「うわ、これは!」と息を飲むようなシロモノは正直なかった。
 だが、今日は年末である。
 なにかと物入りな季節である。
 依頼主も財布事情に悩んでいる顔つきだった。

 ここでケチくさい態度を見せたら、骨董屋としても、人間としても恥ずかしい。
 だからわたしは心の中で言う。

 「文句は言いません。ありがたく買わせていただきます」

 骨董屋というのは、ただ品物を査定する職業ではない。
 依頼主の“気持ち”をも査定して、そこに少しばかりの実利を混ぜ、最後に「年末ですからねぇ」と笑って話を締める、そんな古い商いの名残を背負っている。

 外に出ると、福岡の空気は冬の匂いがしていた。
 電飾で輝く街のざわめきが遠くに聞こえる。
 袋の中には今日の収穫物たち。
 そのひとつひとつが、先代の趣味と時代の流れ、そして人間の生活の変化を静かに語っている。

 骨董屋の放浪は、今日もまたひとつ物語を積み重ねた。
 明日もどこかで古い品物と、しみじみした人間模様に出会うのだろう。

 クリスマス? いやいや、骨董屋にとってのクリスマスは、誰かが押入れを片付け始めた瞬間から始まるのだ。

この掛軸については下記で詳しくお話しておりますので最後までお付き合いください。宜しくお願い致します。

買取品の詳細

◇この「墨絵掛軸」は山水画は近藤藍圃で書の部分は貫名海堂の作品です。

 

買取査定額

淡い墨が素朴ですね/掛軸の買取りは福岡玄燈舎
淡い墨が素朴ですね

◇掛軸の買取査定額もしくは評価額ですがまず第一に作者の知名度、次に画風や状態、時代、ほかには刻印が複数あればより高価買取&できます。ご自宅に掛軸や書画が御座いましたら一度拝見させてください。もちろん状態や時代、作者、作品でもお値段は変わりますのでご了承ください。

 

■過去の作品買取例

貫名海堂印です/骨董の買取は福岡玄燈舎
貫名海堂印です

近藤藍圃 夏景山水・秋景山水図 双幅  30,000円
近藤藍圃 「群馬図」20,000円
近藤藍圃 山水圖   10,000円
貫名海堂 自書七言二句縦幅 10,000円 他多数

近藤藍圃とは?

近藤藍圃之印/書画の買取は福岡玄燈舎
近藤藍圃之印

略歴

  • 近藤藍圃は、天保3年(1832年)に現在の福岡県筑後地方(筑後国)で生まれた画家です。本名の通称は「五郎」。別号に「米翁」「青於堂主人」などがあったと伝えられています。彼は、豊前国(福岡県北部)の小倉藩に仕えた藩お抱え絵師であった、高木豊水(四条派)に師事。初めは伝統的な絵画を学びました。しかし後に、より自由で文人的な雰囲気を持つ「文人画」のスタイル、いわゆる南宗画(南画)の画風に惹かれ、そちらに転じる決意をします。明治期を生き抜き、1914年(大正3年)12月に83歳で没。没地は明らかではないものの、彼の墓は福岡県久留米市の寺院(医王寺)にあるとされ、「地元が眠る画家」として地域に知られています。

このように、近藤藍圃は江戸末期から明治、大正へと移り変わる激動の時代を背景にしながら、「藩絵師」という立場から、より自由な文人画家としての道を選んだ人物です。


画風・作品の特徴

  • 藍圃が採ったのは「南宗画(南画)」――つまり墨と淡彩を主とする文人画の伝統。形式や装飾性よりも、「精神」「余白」「簡素さ」「詩情」を重んじる絵のスタイルです。

  • そのため、人物画というよりは 山水、風景、自然 を主題とする作品が多く、山、川、滝、雲、空といったモチーフを、静かな筆致で描き出すことを好んだようです。たとえば「山水図」「瀑布之図(滝図)」などの作品名が流通しています。

  • 色彩は濃く多用するのではなく、主に墨と淡彩。余白や線の余地を活かし、見る者の想像に余地を与える、「詩画一味」のような余韻を残す絵です。いわゆる“南画らしい”静謐で抑制された美意識が感じられます。

  • また、藩絵師としての修練があるだけに、基本的な画力や構図、描写力も備えており、単なる“素人の落書き文人画”では決してありません。藩の絵師としての伝統ある技術と、文人画の自由さを巧みに両立させていたと考えられます。


代表作品・現存作例

近藤藍圃の作品は現代でもときどき骨董市場やオークションに出ることがあります。以下、よく知られている作品例とその所見を挙げます。

作品名/形態 内容・コメント
「瀑布之図」(掛軸) 滝を主題とした水墨山水画。藍圃らしい静謐な構図で、岩・滝・木々などが墨と淡彩で描かれている。
「月下観泉」淡彩山水図(掛軸) 月の光と泉、山水を配した風景画。夜景/月夜などを題材にし、静けさと物語性を併せ持つ作品。
絖本墨画掛軸 山水図 絹(絖本)に墨で山水を描いた掛軸。藩絵師由来の基礎描写と、南画らしい余白と簡素さのバランスが見どころ。

近藤藍圃は、江戸末期から明治・大正へと移り変わる激動の時代に、福岡の地で生まれ育ち、藩絵師としての修練を経た上で、「文人画」「南画」という自由で精神性を重んじる画風を選んだ稀有な存在でした。

彼の山水画や掛軸は、墨と淡彩、余白と静寂、遠景の山々や滝、月夜の泉など、詩的かつ叙情的な自然の風景を描き出す。決して華麗で派手ではなく、むしろ控えめ――しかしその抑制された筆致と構図には、「土地の静けさ」と「画家の内なる静寂」がにじみ出ています。

貫名海堂(1778–1863)とは…

江戸後期を代表する文人書家・画家。
名は「守賢(もりかた)」。字は「子玉(したま)」。号が「海堂(かいどう)」で広く知られています。阿波国(現在の徳島県)に生まれ、幼少のころから書と詩文に才能を示しました。

● 文人としての修養

若い頃から四書五経、詩文、漢籍を深く学び、さらに書法では古典を徹底的に臨書。
なかでも唐代の 欧陽詢、顔真卿、柳公権 を根本に置きつつ、宋・元の書も吸収していきました。

● 京への遊学と名声

文化年間に上洛し、書をもって一気に注目を集めます。
いわゆる 「幕末の三筆」 として後に藤本鐵石、巻菱湖と並び称されました。

● 幅広い人脈

頼山陽や田能村竹田、浦上玉堂といった文人たちとも交流し、書のみならず画や詩文にも通じた総合文人としての地位を固めます。

● 晩年

徳島藩に招かれ儒官を務めますが、京都と阿波を行き来しつつ書家としての活動を続け、晩年まで多数の揮毫を依頼され続けました。
1863年(文久3年)に没。享年86。


■ 作風の特徴

● ① 楷・行・草いずれも高度という万能型

海堂は**「三体に通じる書家」**とされ、楷書の端正さ、行書の潤い、草書の奔放さをすべて高い次元でこなします。

● ② 古典を踏まえつつも柔らかみのある独自の品格

たとえば巻菱湖ほど厳格ではなく、藤本鐵石ほど豪放ではない、
端正でありながら親しみやすい優品の気配が魅力といわれます。

● ③ 文人趣味の滲む線質

墨色の潤い、リズム感のある運筆、過度に技巧に走らない自然さが特徴で、
「読むに易く、美しく、品がある」書と評されます。


■ 代表作品

貫名海堂の作品は掛軸・額装・扁額・詩書など多数あり、筆跡は全国の寺院・博物館・個人蔵に多く残っています。以下は代表的なもの。

● 1. 『海堂臨書集』

海堂の臨書を集めた資料的価値の高い作品群。
欧陽詢・褚遂良・顔真卿などの古典に基づく臨書が含まれます。

● 2. 扁額作品(寺院多数)

京都・四国を中心に、海堂筆の寺院扁額が多く遺っています。
特に京都の寺社には海堂の大書がしばしば掲げられています。

● 3. 詩書軸(漢詩作品)

自身の詩、または古典からの詩句を揮毫した掛軸作品。
行草書で書かれたものは海堂の真骨頂。

● 4. 「蘭亭序」臨書

海堂の臨書の中でも評価が高いもの。
王羲之の韻味を重んじつつも、海堂独特の柔らかみが加わっています。

近藤藍圃および貫名海堂 参考サイト

■その他の買取品目

 

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